英国エコノミスト誌とは
英国「エコノミスト」誌の価値
「The Economist」は、1843年に創刊され、世界での発行部数は毎週約130万部(2007年時点)であり、世界で最も権威ある国際政治・経済週刊誌として確固たる地位を築いている。その半数はアメリカ・カナダで販売されている。
日本のメディアは米国の動向ばかりを取り上げて報道しているため、英国の雑誌であるエコノミスト誌を取り上げることは、ほとんど稀であると言ってよい。
一般には日本の報道は、米国に偏っており、また、米国では日本の報道をほとんどしていないと言われる。
エコノミスト誌の優れた点は、その出発点にもつながるが、グローバルなバランスのとれた視点である。
エコノミスト誌の構成は以下のようになされている。
The world this week Leaders Letters Special report Asia United States The Americas Middle East and Africa Europe |
Britain Business Finance and economics Science and technology Books and arts Obituary Economic and financial indicators Emerging-market indicators |
バランスよく地政学的に世界をカバーしている。また報道する領域も政治、経済、科学、技術、アート、など多岐にわたる。
年に数回スペシャルサーベイを出しており、その中には「ビッグマック・インデックス」という指標が含まれている。これはマクドナルドの世界各国でのビッグマックの値段を比較することで各国の購買力を比較したものである。こうしたエコノミスト誌独自の分析記事も数多くあり面白い。
以下は、エコノミスト誌の発行部数及び発行地域の状況を表したグラフである。
米国で多く読まれているということからも、その分析記事の独自性やレベルの高さがよく理解できる。
世界で読まれているエコノミスト誌だが、日本人にとっては馴染みの少ない難解な英語表現も含まれる。
その点でも英国エコノミスト日本語オンラインサービスは読者にとって有益なものとなるであろう。
歴史的背景
英国「エコノミスト」誌は1843年に創刊された、おそらく世界で最も歴史があり、最も権威があり、最も影響力のある国際政治・経済を中心に取り扱う総合雑誌である。創刊日は1843年9月2日である。当時銀行家であり下院議員でもあったJ .ウィルソンが初代編集長として、「前進し続ける知性と進歩を妨げる無知蒙昧との厳しい争いに寄与すること」を目的として創刊された。創刊の基本理念は150年以上を経た今日でもなおその伝統が保持されており、編集の独立性と世界の政治・経済のカバー力では群を抜いた影響力をもっている。
エコノミスト誌が創刊された1843年は日本では水野忠邦による天保の改革の最終年に当たる。この年水野忠邦は失脚する。目をアジアに向ければ、英国はこの前年の1842年に清とのアヘン戦争を終結させた南京条約を清と締結した。この条約の結果、香港が割譲され、広州、福州、アモイ、寧波、上海の5港が開港された。香港はその後英国の植民地となり、155年後の1997年7月1日に中国に返還された。
すでに英国は1600年に東インド会社を設立し世界各地に進出しており「日の沈まぬ帝国」を確立していた。1764年にハーグリーブズがジェニー紡績機を発明し、1769年にはジェームズ・ワットが蒸気機関の改良に成功、アークライトが水力紡績機を発明したのもこの年である。エコノミスト誌が発刊されてから8年後に世界最初の万国博覧会がロンドンで開催されている。
産業革命の進展の中で労働者の労働条件を守るため1832年に工場法が制定された。また、新たな財力を身につけた資本家が政治に参加できるように1832年に選挙法が改正され地主や貴族に加えて資本家が、政治に参加するようになる。労働者を含めた参政権運動は、1837年にチャーチスト運動として起きるが、結局、普通選挙が行われるのは1928年になってからとなる。
英国は、この頃には世界の7つの海を制覇しており、その中では自由貿易が一番の国益にかなっていた。穀物の価格を一定以上に保ち地主たちの利権を保護する1815年に制定された穀物法は1846年に廃止された。1651年に制定された航海法は、オランダ商人を排除し英国の船と船員の使用を義務付けたものだが、航海法も200年を経過して1849年に廃止され自由貿易体制の確立を図った。
エコノミスト誌が創刊された時代、英国は産業革命と限定的ではあるが政治革命を完成させ、世界に向かって植民地を含めた大英帝国をどのように維持発展させるかが最大の課題であった。この課題実現のためには、グローバルな視点に基づく普遍的理念と、その理念に基づいて自由貿易を実施し植民地を経営する人材が必要とされた。一言でいえば「グローバルな普遍的理念の追求」と、「それを担う人材の育成」を目的とするものである。エコノミスト誌はこのような背景の中で生まれてきたのである。
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