中国の胡錦濤国家主席が5月6日、国賓として来日する。中国国家主席の来日は平成10年の江沢民氏以来10年ぶりだが、日本側は、なんとも悩ましい時期に中国最高指導者を迎えることになる。
チベット自治区の騒乱以後、胡錦濤主席としては初の外国首脳との会談である。親中派で知られる福田康夫首相が「熱烈歓迎」で押し通してしまったら、日本は国際社会の笑いものになりかねない。日本の外交姿勢の基軸が問われる重要な局面だ。
冷え込んでいた日中関係は安倍晋三前首相や福田首相の訪中によって、その是非はともあれ、落ち着きを取り戻している。胡錦濤主席の訪日はその流れに乗ったものだ。8月の北京五輪を控え、中国としては対外的に柔軟姿勢を取らざるを得ない立場にある。
外交の鉄則からすれば、相手に弱みがあるときには、「キズに塩をつけてなすりこむ」のが常道だ。およそ外交というのは、握手しながら、もう一方の手では殴りあうという側面を持つ。
中国外交部の報道官がことあるごとに、自国の正当性を声高に主張し、相手を居丈高に非難するのは、それが外交の基本だからだ。だから、悪罵に類するような言葉を投げつけても、裏側では「落としどころ」をさぐる交渉が行われ、やがて関係修復となる。
いうまでもないが、外交は政治の最高ランクの一形態だ。日本国内ではこの中国外交部報道官のようなスタンスが当たり前に通用している。与野党は激しい表現で相手をなじり合う。ぶつかり合っているときに幹事長会談などが開かれると、冒頭の写真撮影の場面で双方が笑顔で軽口を交わしていることがある。一般には奇異に映りかねないシーンだが、これが政治である。互いに相手の立場、主張を分かり合ったうえで「応酬して見せている」のであって、建前と本音が交錯する「大人の世界」の場である。
国内ではこれが当然の姿なのだが、日本はこと外交となると、とたんに「上品に」なってしまう。相手を激しく、あるいはチクチクと非難しなくてはならない局面でも、最大限に慎重、穏当な態度に出る。
国家の将来を「諸国民の公正と信義」(憲法前文)に委ねてしまった弊害といっていい。敗戦国ショックの呪縛から抜け出していない残滓が外交分野にいまだ存在しているといって過言ではない。これが、とりわけ対中外交に現れることになる。中曽根康弘元首相や安倍前首相が「戦後政治の総決算」「戦後レジームからの脱却」を訴えた真の意味合いがそこにあった。
靖国参拝、慰安婦問題、南京事件など「歴史認識」をめぐる事例を引き合いに出すまでもなく、日本は中国の攻勢にさらされ、ひたすら「謝罪」「反省」を繰り返してきた。これに呼応する国内の政治勢力や一部メディアの支援もあって、「自虐外交」がまかり通ってきた。
今回の胡錦濤主席来日もそうした文脈で受け止めてしまっては、国家として恥の上塗りになる。とりわけ、チベット自治区の騒乱鎮圧は国際社会では近年まれに見る「人権抑圧事件」として位置づけられている。
加えて、日本には毒ギョーザ事件、東シナ海のガス田開発、尖閣諸島の領有権問題といった国益上、揺るがせにできないテーマが山積している。
ここは、チベット問題で窮地に立たされている中国側に対して、間違っても物分かりのいい態度を取ってはならない。むしろ徹底してその人権無視の姿勢を糾弾し、ガス田開発、毒ギョーザ事件などでの譲歩を引き出すという戦略的対応が求められている。
国際社会の認識と大きな乖離
福田首相にその「覚悟」があるか。これまでの状況ではなんとも期待薄といわなくてはならない。政権運営が行き詰まった印象の強い福田首相だが、国内政局の観点から見ても、ここで胡錦濤主席に強硬な態度を示すことがプラスに作用するはずなのだ。政局事情は後述したいが、「外交は内政の延長」である以上、福田首相が胡錦濤主席来日を自身の政権基盤強化に利用したとしても、政治の世界では許されるのである。
北京五輪を中国当局は当然ながら最高の国威発揚の場として位置づけている。これが成功すれば、江沢民前政権の影響力排除にもつながり、胡錦濤政権の基盤は一段と磐石なものになる。
改めていうまでもないが、「五輪はスポーツの祭典であって、政治とは切り離すべきだ」などというのは、子どもの作文レベルの話である。これがときに日本のメディアでは臆面もなく飛び出すのだが、なんともはやである。
そこで、チベット問題は、中国にとってどういう意味合いがあるのか。チベット族は中国で50を超える少数民族のひとつだ。辛亥革命後の1913年、ダライラマ13世が独立を宣言、1940年にダライラマ14世が即位する。49年、中国人民解放軍が侵攻を開始、51年には現在の自治区首府であるラサに進駐する。56年、中国への抵抗運動が勃発、これがチベット動乱の始まりとなる。
59年、ダライラマ14世がインドに亡命、中国政府はチベット政府の廃止を宣言、自治区としての歩みが始まる。以来、66年には文化大革命が波及、紅衛兵が進駐して歴史的遺物を破壊するなど狼藉の限りを尽くした。胡錦濤主席が中国共産党内部で頭角を現していったのは、実はチベットとの関わりであった。
89年、胡錦濤主席はチベット自治区の共産党書記に就任、4年間にわたって、分離主義を抑え込み、経済発展の旗を振ったのである。この間、天安門事件のさいなどにはラサに戒厳令を発令し、波及を阻止した。この功績が認められ、その後の共産党内部での権力闘争に勝利していくのである。
胡錦濤主席はその洗練された風貌や物腰から、かつての中国指導者とは違う国際派、開明派のイメージがあるが、実は国内政治の領域では武力による制圧をいとわない強権派でもあった。ここをきちんと見据えていく必要がある。
中国はチベットの同化戦略を推進、チベット語を奪い、子どもには中国語での命名を強制した。中国人兵士をはじめ中国人男性とチベット人女性の結婚を奨励する一方で、その逆は許さなかった。かくしてチベット民族の中国人化が進められていったのである。いわば、現代版の「民族浄化作戦」といって過言ではあるまい。
ダライラマ14世は89年、ノーベル平和賞を受賞している。独立を断念する代わりに高度の自治を求めるというのが基本姿勢だ。北京五輪に対しても基本的に支持している。その非暴力・平和主義を国際社会はおおむね支持しているといっていいのだが、これは中国政府にとっては「ひとつの中国」という国家の基本とは相容れないことになる。
チベット族の自治権を拡大すると、ほかの民族にも波及しかねないうえ、台湾との関係にも影響を与えることを懸念しているわけだ。
ことし3月の騒乱はそうした経緯を踏まえないと理解できない。中国自治区に組み入れられてほぼ半世紀である。チベット側は「弾圧と虐殺の歴史」と主張している。その鬱積したチベット族の怨念が背後にあったといっていい。
ラサの寺院の僧侶たちが蜂起、民衆を巻き込み過去最大級の騒乱へと発展した。胡錦濤政権は武力鎮圧で臨み、多数の死傷者が出たとされるが、全貌は依然として明らかにされていない。
胡錦濤主席の来日に先だって、自民党の伊吹文明幹事長、公明党の北側一雄幹事長が訪中、胡錦濤主席に福田首相の親書を渡している。その内容は、関係者の冷静な対応、情報公開、対話の努力の3本柱であったという。福田首相としては、これでも一歩踏み込んだメッセージと認識しているようだが、チベット問題の歴史を踏まえれば、なんともおざなりに見える。
国際社会の大勢は、チベット騒乱に対する中国当局の姿勢を厳しく非難するというものである。聖火リレーがその抗議の意思を示す場となった。
3月25日、ギリシャのオリンピアでの採火式での妨害に始まり、ロンドン、パリ、サンフランシスコ、ニューデリーなどで激しい抗議行動が起きたことは周知の通りである。中国当局が送り込んだとされる青いスポーツウェアの「聖火防衛隊」が他国で妨害行動を排除する実力行使に出た。これが「主権侵害」として非難された。
長野では聖火リレーの出発地点とされていた善光寺が混乱防止とチベット問題への憂慮を理由に辞退したため、別の場所から出発、機動隊に厳重に守られての聖火リレーとなった。
今回の聖火リレーは過去最長の130日間、13万8000キロにわたる。世界を1周した後、中国国内のほぼ全域が対象となる。世界最高峰8848メートルのエベレストも含まれるという念の入れ方である。中国当局の五輪に対する異常なまでの熱の入れ方を象徴しているのはいうまでもない。
聖火リレーは1936年のベルリン五輪からスタートした。ヒトラーがその権勢を世界に示そうと企てたのである。聖火リレーの本質がどこにあるか、この一点からも分かろうというものだ。
福田首相は国会答弁や記者会見などを通じて、チベット対応をめぐる中国当局への非難を周到に避けてきた。
4月2日の衆院外交委員会。胡錦濤主席との会談でチベット問題を議題にするかどうかについて質問され、「状況を注視している。関係者が冷静な対応をしてくれることを望んでいる」と述べただけである。
同日夜、記者団には「チベット問題は中国の内政問題だが、人権にかかわるようなことがあれば懸念を表明せざるを得ない。いろいろな方にそういうメッセージは伝えてある」と述べた。
なにやらひとごとのような言い方に聞こえるではないか。この同じ日に開かれた自民党の外交関係合同部会では「国連安保理常任理事国入りを目指そうとする日本が、チベットの人権問題を中国の内政問題ということだけで済ませてしまっていいのか」といった異論が続出したのだが、福田首相の耳には届いていないらしい。
これに先立つ3月29日、産経新聞などとのインタビューでは、中国当局のチベット対応について、「声高に批判したり、いまから北京五輪と関連付けたりすることはいかがなものか。今の段階で適当かどうか、よく考えないといけない」などと述べている。これは国際社会の認識と相当の乖離がある。「日本異質論」を一段とかき立てかねない問題発言といっていい。
イギリス、ドイツ、フランスなどヨーロッパの主要国は、五輪開会式への首脳の出席を見合わせる方針だ。米大統領選で共和党候補に確定したマケイン氏、民主党でデッドヒートを演じているヒラリー・クリントン、オバマ両氏ともブッシュ大統領の開会式出席を取りやめるよう求めている。
日本では皇室の出席は早々と取りやめたようだ。中国側はせめて皇太子の出席をと望んでいたようだが、ここでうかつな行動に出ると、日本は中国当局のチベット対応に理解を示したという誤ったイメージを送りかねない。皇室の政治利用そのものになってしまう。
「華夷思想」に対峙できるか
さて、福田首相はどうするか。日中首脳会談をきわめて友好的なムードの中で進行させると、開会式出席拒否の姿勢を打ち出せなくなる。胡錦濤主席来日をこの時点でセットしたことの政治判断のミスということになりかねない。
もっとも前述したように、国賓として招いた以上、それにふさわしいもてなし方をすれば、外交上の非礼にはあたらないわけで、開会式出席問題などと切り離しても一向におかしくはない。会談の場でチベット問題を厳しく批判しても、それによって会談決裂というものでもない。
外交当局は首相発言をどの程度の内容にするか、ぎりぎりまで詰めるだろう。これが外務官僚の発想に従ってしまうと、なんとも慎重な、おざなりなものとなってしまう。問題は、福田首相が政治家として、日本の政治リーダーとして、どこまで踏み込むか、にある。外務官僚が用意したペーパーに忠実に沿う必要はさらさらない。むしろ、事前の草稿は草稿として手元に置き、そこからいかに政治的に踏み出せるか、そこに福田首相の政治家としての力量がすべて集約されることになる。
あの朝日新聞ですら、といってはなんだが、チベット問題について「首相はもっと語れ」という社説(4月3日付)を掲げたのだ。
〈それにしても、福田首相がこの問題をはっきり語ろうとしないのは納得がいかない。「双方が受け入れられる形で、関係者の対話が行われることを歓迎する」。こんな発言では、何も言っていないに等しい。胡錦濤・国家主席の訪日を5月に控え、できるだけ摩擦は避けたいという気持ちなのだろうか。だが、この問題の大きさを見誤ってはならない〉
朝日新聞は安倍前首相に対しては、きわめてきつく当たってきた。その保守派としての政治信条と相容れないのはいうまでもないが、NHKの番組改編問題などでの衝突が尾を引いていた。
それに対して、福田首相には一転して好意的であった。親中リベラル派であるというのは、朝日の論調ともぴたりと合致する。3月12日には、キャスターの筑紫哲也氏ら朝日系のジャーナリストと会食の機会も設けている。もっとも、この場では8年前、森内閣の官房長官就任の直前、極秘入院して胃がんの手術を受けていたことを明らかにしてしまい、これが「週刊朝日」で報じられるという羽目に陥った。福田首相の「朝日びいき」が裏目に出たということにもなる。
今回の胡錦濤主席来日は、日中関係史上のエポックとなる可能性もある。1972年の共同声明、78年の平和友好条約、98年の共同宣言以来となる「4番目の文書」が作成される方向だ。東アジアの安全保障、経済協力などを盛り込み、「戦略的互恵関係」を更に発展させようというわけだが、これは要注意でもある。
中国は東アジア共同体の構築が悲願だ。これは手っ取り早くいえば、EU(欧州連合)のアジア版といっていい。中国の「元」を基軸とする経済共同体が究極の姿だろう。日本国内には保守派の中にも東アジア共同体構想への同調者が見られるが、中国の「華夷思想」が根底にあることを忘れてはなるまい。
古今、中国はいかなる時代にあっても、自らが宇宙の中心であるという基本思想を捨てていない。日本は日米同盟を基軸とし、巨大・中国には巧みに、たくましく対していかなくてはならない。
この点をさらに発展させると、こういうことになる。韓国にこれまでの対北太陽政策に代わる強硬な半島政策を持つ李明博政権が誕生した。台湾では、国民党・馬英九政権がまもなく発足する。馬英九氏は「親中」だが「親米」でもあり、自由、民主主義、人権という価値観を持つ。となると、これからの日本の東アジア政策は「日米韓台の価値観同盟」を主軸とするべきではないか。
韓国の新政権がこれまでの反日から親日に転換することを期待し、というよりもその方向にこちらからも誘導する。台湾総統選は日本の保守派にとっては芳しからざる結果となったようだが、これは政治の世界の話であって、思想戦の舞台で論じていてはリアリズム無視のそしりを免れない。「馬英九の台湾」に李登輝氏がいち早く理解を示した政治センスを見逃すべきではない。
馬英九政権もただちに中国との統一を果たそうとするような短絡的なことはしない。「現状維持」が基軸である。ならば、これまで反日派といわれてきた馬英九氏をこちらに向けさせる努力が最も必要となる。
日中関係はそうしたより大きな舞台装置の上で構築されていくべきものである。今後、米中、あるいは米朝の急速な接近も予想されないわけではないのだが、その場合でも、日米基軸は不動であるという基本線を維持していかなくては、日本の外交安保政策は成り立たない。
「福田離れ」を食い止める舞台として
胡錦濤主席にどう対するか。これは福田首相にとって、その国家観、歴史観が試される重要な局面である。ここでチベット問題にいたずらに理解を示すような態度を取れば、国際社会の友邦から総スカンを食いかねない。
福田首相はその飄々とした風貌から「柔和」なイメージがあるようだが、実際には相当の「短気」である。ときに「逆切れ」する。前述の胃がん手術報道についても、記者会見で確認した朝日記者に対して、「どこの社だ。自分のところの雑誌の宣伝をするのか」と怒鳴り散らしたという。
この「逆切れ」をそのまま胡錦濤主席にぶつければいい。巨額な対中ODA(政府開発援助)を実施してきたにもかかわらず、中国側はほとんど謝意を示したことすらない。名目GDP(国内総生産)では、まもなく日本を追い抜こうかというほどのめざましい経済発展を遂げている。その一方で軍事力強化もすさまじい。
でありながら、歴史認識問題では反日一辺倒で、ときに暴動も起こす。サッカー国際試合の侮蔑的な態度は記憶に新しい。ここは、そうしたこれまでのうらみつらみをすべて吐き出し、チベット問題にかこつけて、徹底してやりこめればいい。中国側はこの時期のチベット弾圧を「しまった」と思っているはずだから、立場はこちらのほうが上である。
とくに福田首相にとっては、毒ギョーザ事件という強い味方がある。つまり、日本国民にとって、きわめて分かりやすい中国攻撃の材料があるのだ。中国側はあの強烈な農薬が中国国内で混入されたことは絶対にない、と言い張っている。日本国民でこの言い分を信ずる人はまずいない。いまや、中国製品は食品に限らず、玩具、割り箸、楊枝などに至るまでボイコットするのが日本側の常識だ。
福田首相はそうした国民感情を背景として、胡錦濤主席をこの機会に徹底してとっちめる、ぐらいの姿勢で臨んではどうか。政権の浮揚策になるのは間違いない。国際社会での位置づけも「なかなかやるなあ」と格段にアップすることになる。
小泉元首相は、総裁選の候補討論会で靖国参拝を質問され、「いかなる反対があろうとも、8月15日に参拝する」と言明した。保守色の強い自民党の地方党員の圧倒的な支持を得る起爆力となったことを想起したい。
これが自民党支持層の真の姿なのである。福田首相は「人の嫌がることはしない」と、靖国参拝をのっけから否定した。保守層の離反を招く要因となっていることはいうまでもない。日本の保守層にとって、靖国は格別の存在なのであって、これは他国の容喙を許さないのだ。日本人としてのアイデンティティーそのものにかわわるテーマなのである。
福田首相は政権継続を果たしたいのなら、そこに目覚めるべきだ。内閣支持率はついに30%を割り込んだ。これが20%割れといった事態になれば、いよいよ福田離れを加速させるだろう。
小泉、安倍両政権で、いわゆる「劇場型政治」を経験してきた国民には、福田首相はなんとも地味で発信力が希薄な存在に見える。そのうえ、「衆参ねじれ」によって、政治は機能不全状態に追い込まれている。
ガソリン税の暫定税率期限切れによるガソリン値下げ、再議決による値上げ、後期高齢者医療制度の周知徹底のお粗末さ、さらには日銀総裁人事の混乱、懸案の年金記録5000万件の未統合問題などなど、政治の体をなしていないといって過言ではない。小泉政権と安倍政権前半には鳴りを潜めていた霞が関官僚が、福田政権になって息を吹き返したように見えるのも、政権の足を引っ張っている。国民は「お上の横暴」には敏感だ。
民主党は早期解散を求め、あらゆる政治課題を「政略」がらみで扱っている。小沢一郎代表の神通力にも相当の陰りが見える。昨年10〜11月の大連立構想の破綻によって、小沢氏の党内求心力は一気に減殺されてしまった。
かといって、民主党内には小沢氏に取って代わるだけのパワーを持った次期代表候補がいるわけではない。党内パワーを回復すべく、小沢氏としては強硬路線を取らざるを得ない。どんな組織でもそうだが、内部に亀裂があると、外に向かって強く出て結束をはかるというのが通例である。
自民党は衆院で与党3分の2の勢力をできる限り長く維持したい思惑が強い。仮に衆院総選挙となって与党が過半数を確保したとしても、再議決要件を失ってしまい、衆参ねじれは残る。これでは、国会運営はさらに苦しくなる。来年九月の衆院任期満了近くまで解散を引き延ばしたいというのが自民党の本音である。再議決規定は憲法に定められたものだが、参院での問責決議は法的拘束力がない。野党がいかにいきり立とうと放っておけばいい。いずれ民主党の審議拒否に批判が集中する。
これが現在の政局の大筋である。福田首相の人気がさらに低落するようだと、「フクダのカオでは選挙は戦えない」という思いが党内に一段と強まる。となれば、ここは内閣総辞職しかない。その場合、麻生太郎、小池百合子両氏といった人気者を中心に自民党総裁選が展開されることになる。民主党はこのシナリオを最も警戒している。国民の関心はそちらに集中し、9月の代表選挙はすっかり影が薄くなってしまう。
胡錦濤主席の来日は、福田首相にとって、党内の「福田離れ」を食い止めるための舞台ともなり得るのだ。それは福田首相が国際社会や国内の庶民感覚の総意を汲み取って、胡錦濤主席に徹底して強く出ること、それ以外にない。五輪開会式欠席を堂々と通告すればいい。国内政局上の思惑をとことん反映させることが、外交的にも高ポイントをあげるという稀有な局面なのだ。