光市母子殺害事件の経緯
H11年4月
光市のアパートの押し入れから母子の遺体が見つかり、山口県警が当時18歳の少年を殺人容疑で逮捕
5月
少年を山口家裁に送致。同裁判所は「刑事処分が相当」とし、少年を山口地検に逆送
6月
山口地検が少年を殺人、強姦致死、窃盗で起訴
8月
山口地裁で初公判。少年は起訴事実を認める
H12年3月
山口地裁が無期懲役の判決。検察側は死刑を求めて控訴
9月
広島高裁で初公判。検察側は、少年が知人に宛てた「被害者さん(遺族)はちょうしづいている」などとする不謹慎な手紙を証拠として提出し、反省の情がないと主張
H14年3月
広島高裁が検察側控訴を棄却し、無期懲役の地裁判決を支持する判決。検察側は最高裁に上告
H17年12月
最高裁が公判の期日を18年3月14日に指定
H18年2月
安田好弘弁護士ら新弁護人が選任。公判期日の延期を求めたが、最高裁は却下3月 最高裁の公判期日。新弁護人が欠席したため最高裁は公判を4月18日に延期し、弁護人に出頭命令
4月
最高裁の公判。少年は起訴事実を否認し、殺人と強姦で無罪を主張
6月
最高裁が無期懲役を破棄する判決。審理を広島高裁に差し戻す
10月
安田弁護士らを中心に、22人の弁護団が結成
H19年5月
差し戻し控訴審の初公判。弁護団は母胎回帰ストーリーを主張
10月
検察側弁論。改めて死刑を求刑
12月
弁護側弁論。改めて殺意を否認
H20年4月
判決(予定) |
その日、広島高裁の前に立つ台湾楓の大木は目映く紅葉し、初冬の陽射しを浴びてオレンジ色に輝いていた。往来の人もしばし足を止め、溜めていた息をふうっと吐き出す、そんな神々しさを漂わせていた。……彼もまた、この紅葉に心を動かされるのだろうか。この紅葉を決して目にすることのできない母と娘がいることに、思いを巡らせることがあるのだろうか。
死刑がかかっていなければ 「手抜きする」という感性
山口県光市のアパートで8年前、主婦と幼児が殺害された光市母子殺害事件で、殺人、強姦致死、窃盗の罪に問われた元少年(26)に対する差し戻し控訴審の最終弁論が、12月4日、広島高裁(楢崎康央裁判長)で行われた。公判への関心は依然として高く、開廷前には40席足らずの傍聴券を求めて900人以上が列をつくった(もっとも大半はマスコミ各社が集めたアルバイトだったが)。
筆者も並んだ1人だ。が、クジ運が悪いのはいつものこと、台湾楓の大木のそばにたたずんで公判が終わるのを待った。殺された母子や遺族のこと、被告の元少年のこと、そして弁護団のことを考えながら…。
これまで、遺族の感情を逆撫でするような言動もみられた弁護団が、最後の段階でどんな主張を展開するのかが、最大の焦点だった。筆者が東京から傍聴に来たのも、弁護団が法廷で何を話し、元少年がどんな態度を示すのかを、この裁判を多少なりとも調べたものとして、直接見てみたかったからだ。
結果的に、この願いは叶わなかった。しかし、法廷で読み上げられた弁論要旨に目を通した限りでは、傍聴すること自体にあまり意味はなかったようだ。510ページにも及ぶ弁論要旨の大半は、主に法医学の見地からする事実関係の分析にあてられ、その内容は従来の主張の繰り返し、焼き直しだった。
このため、裁判の結審という大きな区切りを迎えたにしては、マスコミ各社の報道は地味だったようだ。さすがに地元の中国新聞は1面トップで「弁護側、死刑回避求める」と大きく報じたが、全国紙(東京版)は朝日が第2社会面の3段見出し、産経と読売が第2社会面の2段見出し、毎日が第1社会面のベタ見出しという扱いで、弁護側が改めて殺意や強姦目的を否定したことと、判決が翌年4月22日に言い渡されることを、淡々と説明するにとどまった。
筆者も参加した裁判後の弁護団記者会見では、集まったマスコミからはひとつも質問が出なかった。筆者は産経新聞社会部などで10年以上の記者経験があるが、全国的なニュースで質問がひとつも出なかった会見は、あまり記憶にない。つまりそれほど、興味を引かない最終弁論の内容だったのだ。
だが、筆者は意外なところで、弁護団の真意を知ることになる。
それは、裁判が終わり、記者会見が終わり、少なからぬマスコミが記事を書くために席を立った後でのことだった。この日の夜、広島高裁に隣接する弁護士会館で支援者向けの報告集会が開かれ、講演した弁護団メンバーの1人、龍谷大学教授の石塚伸一弁護士が、以下のような見解を明らかにしたのだ。
すなわち、この事件は当初、家庭裁判所の調査官も、裁判官も、弁護士も、検察官ですらも、死刑は適用されないと「安心」していたと。だから「手抜き」の裁判が行われたんだと。
この、不謹慎ともいえる発言が持つ意味は重大だ。が、そのことを理解してもらうために、まずは光市母子殺害事件の裁判とは何だったのか、一連の経緯を簡単に振り返っておこう。
なりふり構わぬ゛戦術″
事件が起きたのは平成11年4月14日のことだ。光市の会社員、本村洋さん(31)方で妻の弥生さん=当時(23)=と長女の夕夏ちゃん=当時(11カ月)=が殺害されているのを、帰宅した本村さんが発見。4日後の18日、近所に住む配管工事会社勤務の少年が、殺人容疑で逮捕された。起訴状などによれば、少年は強姦相手を物色するために下水管の検査員になりすまし、近所のアパートの各戸を回った上、本村さん宅に上がり込んで弥生さんに乱暴しようとしたが、抵抗されたため手で首を絞めて殺害、その後、弥生さんを姦淫した上、一緒にいた夕夏ちゃんの首をひもで絞めて殺害した−とされた。
確かに石塚氏が指摘する通り、この事件は最初から世間一般の注目を集めていたわけではない。事件発生時の全国紙(東京版)の報道は、産経と朝日が社会面の3段見出し、読売が2段見出し、毎日がベタ見出しの扱い。逮捕時には各紙とも3〜4段の見出しでそれなりに報じたが、少年が家庭裁判所から逆送致され、山口地検が起訴した時や、山口地裁で初公判が始まった時は、各紙とも報じなかった。
だがそれは、所詮は死刑にならない事件と世間が「安心」していたからではあるまい。そうではなく、日々繰り返される凶悪な少年事件の中で、埋没してしまったからだ。少年は起訴事実を認めており、裁判上の争点がなかったことも、関心が持続しなかった要因の1つだろう。
いずれにせよ、石塚氏のいうローカル的なニュースが、次第に全国の耳目を集めていくようになったのは、妻子を殺された本村さんの存在が大きい。本村さんは事件後、被害者よりも加害者の権利が議論され、犯罪少年を過度に保護するような風潮を厳しく批判。こうした本村さんの真摯な姿勢が世間の共感を呼び、裁判の成り行きが注視されるようになった。
山口地裁が12年3月、「冷酷、残忍な犯行だが更生の可能性もある」として無期懲役の判決を下した時には、産経が1面4段見出しの扱いだったのをはじめ、毎日は社会面トップ、読売と朝日も社会面4段で大きく報じた。検察が改めて死刑を求めた広島高裁での控訴審で再び無期懲役判決が下された時も、産経と毎日が社会面トップ、読売と朝日が社会面4段で扱い、無念に思う本村さんの様子を詳しく報じた。
17年12月、検察側の上告に応じて最高裁が公判を開くことを決めると、世間の関心は別の方向に向いていく。死刑判決が下される可能性が出てきたため、死刑廃止運動のリーダー的存在として知られる安田好弘弁護士らが新たな弁護人に選任された上、最高裁が定めた公判期日に出頭しないという゛戦術″に打って出たからだ。これが、「審理を不当に遅らせる行為」「新弁護人は裁判を死刑廃止運動に利用している」との批判を呼び、安田氏らは世間の激しいバッシングを受けることになる。
安田氏側では、「新弁護人が元少年に初めて接見したのは公判期日の2週間前であり、新たに分かった事実に基づく弁論を準備するための時間が必要。そうした事情を知りながら公判期日の延期を認めなかった最高裁の態度にこそ問題がある」などと弁明する。しかし公判期日は3カ月以上も前から決まっており、その期日を知った上で安田氏らが弁護を引き受けた以上、この弁明は世間の受け入れるところとならなかった。
安田氏らが公判を欠席した翌朝の読売社会面は、以下のように報じている。
「(最高裁の)第3小法廷が弁論の開催を決めたのは、4人の裁判官の合議で無期懲役の判決に疑問符がついたことを意味する。しかし、浜田邦夫裁判長が定年退官する5月下旬の時点で結審していなければ、合議をやり直さなければならない。弁論期日の指定後に突然、弁護士が交代し、6月への延期を求めているのは、合議の流れを変える狙いと見なされても仕方のない面がある。安田好弘弁護士ら死刑廃止を求めるグループはこれまでも、オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告の裁判などで、審理をストップさせる手法をとったことがある」
荒唐無稽なストーリー
最も不可解だったのは、弁護人が安田氏らに変わった途端、元少年が1審、2審で起訴事実を認めていた従来の主張を突然覆し、殺意と強姦目的を否認し始めたことだ。この点について弁護側は、@検察側が性暴力ストーリーを捏造し、これを認めて反省すれば死刑にはならないと元少年に思わせるように仕向けたA1審、2審の弁護人も情状酌量狙いで起訴事実を争わなかったB元少年は裁判資料をほとんど見せてもらえず、自分がどのような立場にいるのか知るすべがなかった−などとし、安田氏らが裁判資料を届けたことで、初めて真実を述べる手がかりを得たと主張する
だが、弁護側が真実とするストーリーこそ、世間の常識では理解しがたいものだったといわざるをえない。
本稿は、最終弁論以前に安田氏や石塚氏ら弁護団が展開した主張を論じるのが目的ではないが、このときのストーリーがどんなものだったのか、弁護団が最高裁判決(無期懲役を破棄)後、差し戻し控訴審に提出した更新意見書から幾つか拾ってみよう。なお、元少年が父親からたびたび暴力を受けていたのは事実のようだが、弁護団提出の犯罪心理鑑定書をみても、少なくとも高校を卒業するまでは社会生活に支障をきたすような精神異常はみられず、虚言癖はあるものの、むしろクラスの人気者であったことだけは付言しておく。
▽被告の人格−−幼い頃から父親の激しい暴力にさらされ、同じく父親の暴力を受けていた母親と精神的にも肉体的にも密着していたが、中学1年の時に母親が自殺し、「唯一絶対の庇護者を失い(中略)精神的に発達する機会をほぼ失った」
▽アパートの各戸を回った目的−−仕事を休んでゲームに没頭し、父親や義母に嘘を重ねて激しい退行現象を起こしていたとき、「時間つぶしのための遊びを思いついた。アパートを戸別に回り、玄関ブザーを押して下水の検査にきたという、ピンポンダッシュに似た遊びで、つまりママごとであった」(強姦相手を物色するためではない)
▽弥生さんの殺害−−被害者に自殺した母親のイメージを重ねて抱きつくと、激しく抵抗されたため、「大声を張り上げる口元付近を懸命に押さえて、母親が別人格に変身するのをとどめた」。つまり、「被告は被害者を死亡させ、自分の母親を守った」(被害者の抵抗を押さえようとして死亡させた傷害致死である)
▽夕夏ちゃんの殺害−−泣き叫ぶ被害児(11カ月)に2歳年下の実弟を重ね、あやしたが泣き止まなかったため、「紐を被害児の首に巻き、蝶々結びで止めた。それは、母親を亡くして泣き叫ぶ弟に対し、兄ができるせめてもの償いの印(中略)、償いのリボンであった」(殺害しようとして紐で絞めたのではない)
▽弥生さんへの姦淫−−死亡後に姦淫したのは「死者に生をつぎ込んで死者を復活させる魔術ともいうべき儀式」であり、「母親を、目の前に横たわる被害者を姦淫して、生をつぎ込んだ」(性暴力ストーリーではなく、母胎回帰ストーリーである)
▽遺体を押し入れに入れた行為−−被告にとって押し入れは、母親の胎内に似たミステリーゾーンであり、「復活を願って、自分の願いを叶えてくれる押し入れに(遺体を)入れた」(遺体を隠そうとしたのではない−−なお、少年は差し戻し控訴審の被告人質問で、「ドラえもんの存在を信じていて、押し入れに入れれば、ドラえもんが何とかしてくれるという思いがあった」と説明している)
上記の主張のうち「被告は被害者を死亡させ、自分の母親を守った」など、被害者にも責任があったかのような弁護団の母胎回帰ストーリーが、遺族を傷つける結果になったことは間違いない。遺族の本村さんは、「弁護側の主張は不可解なことが多く、にわかに信じがたい」と怒りをあらわにした。
とんだ「知恵袋」
さて、死刑がかかっていないから「安心」し、「手抜き」をしていたと分析する石塚氏の講演である。12月4日の最終弁論終了後、石塚氏は支援者らに向かい、身ぶり手ぶりをまじえてこう弁じた。
「…で、安心していた。彼は死刑にならない。ずっと刑務所にいる人なんだろう。まあ、あれだけのことをやったんだからしようがないじゃないか。そんな安心感の中で、彼の行動、彼の心の中を全く解明しないまま、家庭裁判所の裁判官は検察官に逆送致した。検察官も起訴するときに、相場からいえば死刑にならないよ、と思っていた。だから初期の段階でいろいろ矛盾のある供述があったり、証拠関係でおかしいところがあったりしても、子供の事件だから死刑にならない、命のかかった事件じゃない、と思って手続きが進んだ」
「1審の検察官は起訴したものの、死刑にはならないと思っているから早くこの事件が終わればいいと思っていた。裁判官もそう思っていた。マスメディアが取材に来て、裁判所の前で傍聴券がどうのこうのと言われると、被害者の方には裁判所に重い処罰を求めますと言われると、早く終われ早く終われと裁判官は思う」
「2審の検察官も、ものすごく手抜きだった。本当に死刑にしたいと思うんだったら、もっと何か、被告人の責任を重く追及する事実を調べてくれればいいし、もっといろいろと証拠の設定のしようもあったんだろうと思う」
確かにこの事件は当初、世間一般の注目をさほど集めなかったのは前述した通りだ。しかし少なくとも検察官や裁判官に、「安心」などという感情はなかっただろう。死刑にならないからと「安心」して「手抜き」をし、死刑の可能性が出てきた途端にしゃかりきになるのは、おそらく石塚氏のような死刑廃止論者だけなのではあるまいか。
弁護団長の本田兆司氏によれば、石塚氏は「弁護団の知恵袋」なんだそうである。この「知恵袋」は事件の「真相」について、次のように打ち明ける。
「少年が人恋しさの中で戸別訪問をし、たまたま出てきたのが(実母を連想させるような)優しいお母さんで、その人が偶然、家に入れてくれた。(少年は)どうしよう、どうしようと戸惑っているうちに、甘えたいという気持ちが展開していって、この事件が起きたんだ。と、今のところそこら辺までは解明できているのだが、弁護団の方でも、最終的に分からないね、というところがまだまだ残っている」
「実は、本人も分かっていないんだと思う(中略)この裁判の中で彼は、自分は前にこう言っていると、客観的にストーブが倒れているとかヤカンがひっくり返っているとか、あれはこうだったんじゃないかと考えながら、ああそうだそうだという中で、1つ1つの事象を自分の中で埋めていくという作業を今も続けている」
これもまた、とんでもない主張である。これが弁護団の本音だとすれば、「最終的に分からないね、というところがまだまだ残ってる」とすれば、510ページの弁論要旨で長々と検証してきたことは、いったい何だったのだろうか。
無視された最高裁の意向
510ページの弁論要旨の問題点にも触れておこう。まず、遺族の感情を逆撫でするような表現は幾分薄まっている。全体的なストーリーはこれまでの主張と変わらないが、更新意見書にみられたような、多分に感情的な記述スタイルは改められ、客観性を装う表記に努めている。各戸を回った行為は更新意見書の「ママごと」から、「一種の仮想現実の世界(ゲームの世界)に逃げ込むこと」に改められ、被害者を殺害したときの「自分の母親を守った」との記述もなくなった。
また、元少年が「ドラえもんが何とかしてくれる」などと述べた点については、「確かに通常の発想ではない。しかし、被告の精神能力(犯行当時)は通常の18歳のそれではない」と、一応弁明している。元少年が検察官に対し「なめないでいただきたい」と発した言葉についても、「場をわきまえない言葉」「許される言葉ではなかった」とたしなめている。
だが、弁論要旨がなお異様にみえるのは、510ページの約8割、実に400ページ以上を、弁護側提出の法医鑑定書などに基づく起訴事実への反証に充てている点だ。
ちなみにこの鑑定書は安田氏らが弁護人に選任された後、安田氏らの依頼で作成されたもので、被害者の右首に平行に残された4本の指の痕が上にいくほど短くなっている点を重視。1番上が小指の痕だと推定し、被害者は右手の逆手により首を絞められたと分析した上で、元少年が被害者に馬乗りになり順手で首を絞めたとする検察側主張を否定する。
これに対し検察側は、人が物つかむ際に最も力が入るのは親指と薬指及び小指であり、力の入る小指の痕が長く残るのは当然であると、別の法医鑑定書をもって反論する(確かに、例えば椅子に座って太ももを片手で強く握ると、人差し指よりも小指の方に力が入るような気がする)。
ここで双方の主張のどちらが正しいかを、筆者が判定することはできない。ただ、最高裁は無期懲役判決を破棄する際、弁護側提出の法医鑑定書も吟味した上で、検察側主張の性暴力ストーリーを「揺るぎなく認めることができる」と認定したことだけは指摘しておく。最高裁が審理を広島高裁に差し戻したのは事実関係を再審理させるためではなく、18歳になって間もない犯行当時の年齢や犯行後の反省の態度など情状面で「死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情があるかどうかにつき更に慎重な審理を尽くさせるため」だったはずだ。
隠された意図
検察側の主張を根底から覆すような新証拠が提示されない限り、最高裁が「揺るぎなく認めることができる」とした犯罪事実を、下級審の広島高裁が否定するとは考えにくい。にもかかわらず、どうして弁護側は情状面よりも事実関係の検証にかくもこだわるのか。
この点について、大御所である安田氏本人が、意味深長な発言をしている。安田氏はまず、最終弁論後の記者会見で次のように語った。
「この裁判は実質上、彼(被告)にとって第1審であると思っている」、「私たちの弁護活動は、ごく当たり前の弁護活動だった」、「世の中に流布されているこの事件の像というのは実は検察官がつくりあげた全く架空のもので、(真相は)実に不幸は偶発的な事件であった」、「事実とはおよそかけ離れたものとしてこの事件がとらえられ、彼が指弾されるという不公正や不正義があってはならないと思って私たちはやってきた」…
そして会見後の報告集会に登壇し、こう続けた。
「今日で私たちの弁護が終わるわけではない。私たちがやった弁護活動を、もう1度見直してみて、足りないところは弁論の補充という形で補いたい。ですから、これで終わるわけではありません」
この言葉を額面通りに受け取れば、弁護団は4月22日の判決まで弁護活動を行う、ということになる。だが、果たしてそれで終わるのだろうか。安田氏の講演を直接聞いた筆者としては、この言葉を額面通りに受け取ることはできない。仮に来春の判決で弁護団の主張が受け入れられなかったとして、弁護団のすべてが、「これで終わり」にするとは思えない。むしろ弁護団のうち何人かは、「事実誤認に基づく不当判決だ」として、減刑を求める署名活動なり、再審請求なりの新たな活動を起こすのではないか。「これで終わるわけではない」の発言は、そのための布石だったのではないか。
筆者が危惧するのは、実は安田氏ら弁護団が、この事件をある種の冤罪事件に仕立て上げようとしているのではないか、ということだ。弁護団の意識は裁判官に向いているのではなく、むしろ「人権派」のリベラル勢力に向いている。だから最終弁論後に支援者向けの報告集会を行う。そして世間をある考えに誘導しようとしている。すなわち、元少年は無実ではないが、殺人と強姦については無罪であると。検察という国家権力により、捏造された性暴力ストーリーを押しつけられた被害者でもあるんだと。だから自分たち「人権派」は、こぞって救済の手を差しのべなければならないのだと。
今、何が問われているのか
不幸にして筆者の予感があたっていたとしたら、極めて遺憾だと言わざるを得ない。判決で確定した事実関係を墓前に報告したいと願う被害者遺族の感情を、踏みにじることになるからだ。また、再審請求なりの活動が、死刑執行を決裁する法務大臣に不要なプレッシャーを与えかねない。もしも弁護団にその意図があるなら、単なる死刑廃止運動以上の政治目的を感じざるを得ない。
最後に、差し戻し控訴審で本村さんが述べた意見陳述の一節をもって、本稿の締めとしたい。この陳述は元少年に向けて語られたものだが、むしろ弁護団にこそ、その意味をかみしめる必要があると思うからだ。そして、いつ被害者になるとも限らない我々自身も…。
私が初めて意見陳述した時(平成13年12月、2審の広島高裁で本村さんは、「妻と娘の最後の表情や言葉を、君は忘れてはならない。毎日思い出し、己の犯した罪を悟る努力をしなければならない」と述べた)、過去の判例から推察して死刑判決が下されない可能性が高いと思っていました。つまり、君が社会復帰する可能性があることを考えながら、2度と同じ過ちを犯して欲しくないと思い、少しでも反省を深め、人間としての心を取り戻せるようにと一生懸命話しました。
だからこそ、最後にこう述べました。
「君が犯した罪は万死に値します。いかなる判決が下されようとも、このことだけは忘れないでほしい」
その時から5年以上の歳月が流れ、死刑判決が下される可能性が高まり、弁護人が代わり、そして、君は主張を一変させた。
私は、なぜ弁護人が最高裁弁論期日のわずか2週間前に交代したのか理解に苦しみます。加えて、最高裁の公判の欠席など許されない行為だと思っています。
そして、弁護人が代わった途端に君の主張が大きく変わったことが、私を今、最も苦しめています。
私は、事件直後に1つの選択をしました。
一切社会に対し発言をせず、このまま事件が風化し、人知れず裁判が終結するのを静観すべきか、それとも積極的に社会に対し被害者としての立場で発言を行い、事件が社会の目に晒されることで、司法制度や犯罪被害者の置かれる状況の問題点を見出してもらうべきか。
そして、私は後者を選択しました。家族の命を通して、私が感じたままを述べることで社会に何か新しい視点や課題を見出して頂けるならば、それこそが家族の命を無駄にしないことにつながると思ったからです。
しかし、(弁護団が不要な裁判資料まで公開し)インターネット上で家族の殺害状況の図解までが流布される事態を目の当たりにすると、私の判断が間違っていたのではないかと悔悟の気持ちがわいてきます。
なぜ、1審2審で争点になっていなかったことが、弁護人が代わって以降、唐突に主張されるようになったのか、私には理解できませんし、納得し難いです。
そして遺族としては、弁護人が代わることで、ここまで被告人の主張が変わってしまうことが非常に不可解でなりません。
私達遺族は、一体何を信じればよいのでしょうか。
A君、私は君に問いたい。
君がこれまで、検察側の起訴事実を大筋で認め、反省しているとして情状酌量を求めていたが、それはすべて嘘だと思っていいのですか。
私がこれまで信じてきた犯行事実は、私が墓前で妻と娘に報告してきた犯行事実は、すべて嘘だったと思っていいのですか。
本当に、本法廷で君が述べていることが真実であると、私は理解していいのですか。
しかし、私はどうしても理解できない。私は、ずっとこの裁判を傍聴し続けてきたが、どうしても君が心の底から真実を話しているようには思えない。君の言葉は、全く心に入ってこない。
たとえ、この裁判で君の新たな主張が認められず、裁判が終結したとしても、私には疑心が残ると思う。
事件の真相は、君しか知らない。
そして、もし、ここでの発言が真実だとすれば、私は君に絶望する。君はこの罪に対し、生涯反省できないと思うからだ。
君は殺意もなく、偶発的に人の家に上がり込み、2人の人間を殺したことになる。こんな恐ろしい人間がいるだろうか。
私は、君が反省するには、妻と娘の最後の姿を毎日でも思い浮かべるしかないと思っていた。しかし、君は殺意もなく、生きたいと思い最後の力を振り絞って抵抗したであろう妻と娘の最後の姿が記憶にないのだから、反省のしようがないと思っている。
A君。私が君に言葉をかけることは、これが最後だと思う。
最後に、私が事件後に知った言葉を君に伝えます。中国、春秋戦国時代の老子の言葉です。
天網恢々、疎にして漏らさず
この言葉の意味を、よく考えて欲しい。
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