発展するインド最大の ネックは宗教の呪縛
「中国の次の進出先はどこか」という議論が深刻かつ真剣に、しかも静かに実業界で沸騰している。最大の理由は人件費の高騰、ついで環境汚染が理由だ。「改革・開放」の成功で栄耀栄華を極めた中国経済だったが、人件費の高騰に加えての水不足、治安悪化などで進出ブームはいきなり沈静化した。
代替対象国の筆頭はベトナムとインドだ。2005年のインドへの直接投資は107億ドル、GDP成長率は8.0を記録、株式指数は過去2年で2倍以上になった。インド最大の自動車メーカーは日本のスズキである。所得にあわせて、早くから小型車でインドへ進出、その合弁相手のマルチ・ウドヨグを通じて6億ドルに投資を拡大、工場を2倍に拡張するなど鼻息が荒い。
筆者は年間最低数回は中国に出かけて定点観測を繰り返してきたが、この間にも゛中国を地政学的に囲む全ての国々″を見て回った。北朝鮮だけは入れないので3回に分けて延吉(図們)、集安、丹東の3カ所から対岸の北朝鮮を観察してきた。また新疆ウィグル自治区と国境を接するカザフスタン、キルギス、タジキスタンは2カ月前にようやく取材できたので、この拙論で中国周縁地域全ての総括ができることになる。最大の興味は朝貢国か、敵対国か、或いは文明的に中国とは無縁か、という接触の度合い、温度差である。
中国と最も対照的な国がインドである。インド最大財閥のタタはフィアットと合弁で小型車を販売しているほか、アウディ、ボルボは新型モデル、大型バスを投入してインド市場に大胆に乗り込み、年間200万台の販売目標は2008年に達成可能という予測まで出ている。インド十傑財閥の資金力は旧宗主国イギリスの金持ちを相手にせず、その集中的富は中国の新興財閥が束になっても叶わない。
富裕層が集中するムンバイ(ボンベイ)の人口は2015年には2260万人に膨張し、首都圏人口比較では東京メガロポリスにつぐものになるだろう、と国連報告が予測している。しかし筆者の観察するところインド最大のネックは宗教の呪縛である。中国とは正反対に宗教の自由、言論の自由、政治結社の自由があり、民主主義選挙がおこなわれているものの、カースト制度の残滓が文化面、日常生活に強く残り、これら非近代的要素が躍進に大きなブレーキをかけるのではないか。
「中国のユダヤ人」が活躍するベトナム
ベトナムの経済成長率は過去3年連続で7%台を維持している。旧敵アメリカも本格投資を始めた。ハノイ、ホーチミン(旧サイゴン)の何処へ行っても台湾企業の存在が顕著だが、2005年に日本経団連が大型ミッションを送り込んで以来、ちょっぴり日本企業も目立つ。
ハノイは共産党独裁のお膝元、そのど真ん中の繁華街では深夜も屋台、露店、カラオケ、怪しげなバアで賑わい、タクシーは平気で乗車拒否する。まるでバブル期の日本のようである。一流ホテルでは西欧式の結婚式に多くを集めてどんちゃん騒ぎ。グッチやルイ・ヴィトンの偽物が土産物屋に溢れかえっている。
1988年以来、外国企業のベトナム投資は累積で500億ドルを超えた。台湾、シンガポール、日本、韓国企業の進出による。この間、中国からの投資は7億3400万ドルに過ぎなかったが、香港経由の中国企業のベトナム投資が累積で37億ドルと見積もられ、中越間の貿易は75億ドルに達した。2005年の胡錦涛ハノイ訪問では南沙諸島の帰属問題を棚上げして、エネルギー産業への大々的投資が決定、中国海洋石油(CNOOC)がベトナムと合弁で沖合ガス田開発に乗り出す。
中国企業は、とくに製造業、石油化学がベトナムへ陸続として工場を移転中である。しかも1番目立つのは「中国のユダヤ人」と言われる温州商人である点に興味が惹かれる。中越戦争のとき、中国軍は通信を傍受されないため温州人を通信兵とした。その温州語は台湾語と似ており、それで台湾企業の進出の時点から尊重されているかも知れない。
中国人と正反対のラオス人 驚くほどの親日感情
ラオスの人口は560万人、その1割以上にあたる60万人が首都のビエンチャンに暮らす。都会とは言っても高層ビルがほとんどないため町全体が平べったく見える。至る所に仏塔が光っている。看板は中国のTCL、ハイエール、韓国の現代、LGといった具合で、日本企業の宣伝塔は極めてすくない。丸紅、伊藤忠、住友は常駐の模様だが三菱商事はプノンペンと兼務だという。
道路を占拠するバイクは現地組み立てのホンダ、スズキに人気がある。けれども半値の中国製、韓国製には歯が立たない。クルマも韓国との合弁「ラオコラ」(LAOKORA)が商圏を急拡大している。この点はカンボジアも同じである。日本企業で大きな工場を稼働させているのはキヤノン、東京コイルなど数社のみ。
ラオスから日本が買うのは特産の珈琲、木炭(備中炭)、シルク。愛知万博のラオス館ではほかにラオス岩塩に人気が集まった。ラオス材木はベトナム戦争中の弾丸が食い込んで内部が腐っているものが多いせいか、日本の業者は見向きもしない。消費財や看板で日本の存在は薄いが、ラオス人の気性は日本人とそっくりで、温和な性格も手伝ってか、昨今は日本語教育がブーム、市内で日本語学校が四つもある。
驚くほどの親日感情! ラオス人学生の多くは米国より日本留学を望む。つまり人生観が金儲けよりも徳目、長い目での平和な人生を渇望するからで、中国人と正反対である。「だけどねぇ」と現地の日本人商社マンが言う。「ラオス人は大人しいのは良いにしても動作がのろい。時間だけかかって詰めが甘く、商談が進まないっ」。
ラオスは貧困と中流と富豪の3つの空間が仏教文化のなかで混在し、不思議に一党独裁の臭いがしない。人々の目をみても明るく清澄で、むしろ開放感がただよい、治安が良いのは外国企業に゛売り″である。仏教が憲法よりも潜在的習慣として社会の上位にあり、独裁政権はこの宗教権威をしょせん上回ることがないから中国のように宗教を厳格に取り締まらない。
首都のビェンチャンには美女が相伴するカラオケも盛業中。大通りは派手なネオンの飾り付け、最高級ホテルは豪華絢爛でありながらも、ビールがたったの2ドルという良心的商法だ。各地に残る仏教寺、仏塔、卒塔婆など、どれをみても見事な彫刻や歴史絵巻の絵画、美術品の類いが飾られており、革命政権も仏教遺跡の破壊を行わなかった。この国は落ち着いていて人々が喧しくない。ただしホテルのロビィでは中国語の怒鳴り声、叫声が響き、携帯電話でも北京語が飛び交う。喫茶コーナーに置かれた新聞はと言えば中国語と英語のメディア、日本語はなかった。
西側の無理解に苦しむミャンマー
かつて日本人の抱くミャンマーの印象はと言えば、竹山道雄の名作『ビルマの竪琴』だった。中井貴一主演で映画にもなったが、その好印象が消え、「人権抑圧」の代名詞になった国、軍事政権の国という悪い印象が染みついて日本企業には撤退組も出てきた。
三井物産は国際空港の隣りに経営してきた工業団地を断念した。日本企業と台湾企業の合計5社しか入居が決まらず、警備費、維持費などを合わせると赤字が続き、とうとう匙を投げてしまったのだ。この間隙を巧妙に突くのは中国と相場は決まっている。スーチー女史を軟禁しているため国際的に孤立し、軍事政権の在り方が批判されるミャンマーに、中国は静かに、しかし大々的に進出し、いまやわが物顔の横暴を極めだした。
この現実を日本のマスコミは殆ど伝えないが「軍事政権が悪い」「スーチーさんが可哀想」と言うだけでは先の展望は何ひとつ見えてこない。
バイクや自転車などの製造、物流面で華僑の進出がめざましい。ヤンゴン国際空港は田舎町の飛行場という風景。入国管理ロビィも、荷物のベルトもお粗末。外へ出ると風が熱い。湿度が低いので不快感はないが。ヤンゴンの都心部はクルマの洪水、なかでもおんぼろ中型トラックを改良した通勤バスが目立つ。
筆者はヤンゴンのチャイナ・タウンにすぐさま足を延ばした。どの国へ行っても必ずチャイナタウンを時間をかけて見学する。世界の一流品が並び、アーケード街は殷賑を極めるが物乞いが少ない。しつこい物乞いが纏わり付く国と違うのは仏教文化の倫理からくるのだろう。
しかし中華レストランはもちろん、縫製工場も宝石加工も華僑経営が多い。驚かされるのは中国語がいとも簡単に通じることである。ハイウエィも建設が進まず、鉄道は半世紀前のスピード。また映画館がたくさんあるのにも驚かされる。外国映画も輸入されていてあの韓流「冬のソナタ」が大ブームというから、これは「想定外」の驚きだった。
仏教原理がまつりごとの求心力にある。タイが国王と仏教の権威を重ね持つ智慧に基づき、首相は国王に拝謁するかたちを踏襲して社会を安定させてきた。タクシン前首相が強気で政権延長を謀ろうと国王に拝謁したところ、やんわりと反対を受け、首相は辞任する。権威は国王にあり、首相の権力を認めても権威を排除するという、目に見えぬまつりごと原理が機能する(脱線だがタイの軍事クーデタは親中国で華僑の末裔であるタクシン前首相の、あまりに中国の代理人的な政策にタイのナショナリズムが対応したのだ)。
ミャンマー元国王はイギリスによりインドに拉致されてから半世紀以上も経った。その権威の代替を軍部が行うため、ミャンマーの統治形態はペルシアやサウジアラビアと同様に伝統的権威の確立はひどく遠のいてしまった。カンボジアのシアヌークのような国王復帰劇はおそらくないだろう。
ミャンマーの人々が貧困に喘いでいても、人間性は豊かである。哲学的な人生への取り組みが比較的どっしりとして見えるのは、仏教を基礎とする伝統文化を尊ぶ民族の精神である。日本のように引きこもりが目立たないのは僧侶が求心力となった精神社会の基底に強靱さがあるからだろう。戦後の日本が失ったものは、こうした精神世界である。
中国が完全に支配下に置けないのも、この精神的倫理観との乖離だろう。
仏教原理を価値観の頂点におくため軍人でも有名なパゴダへの参拝と寄付を演出し、憲法を超える宗教律にその統治の権威を求める。このような歴史の経緯とミャンマー的統治原理を理解しない欧米が、伝統を無視したスーチー女史を支援し、一方で人権を楯とした経済制裁を行ってきた。西側の無理解と間違った政策を前にミャンマーの未来はそれほど明るくはないが、民衆の目の輝きを見る限り、暗くもない。
ミャンマーに中国は経済特区を開発中で、およそ6,000社の海外誘致実績を誇る上海浦東新区政府がミャンマー軍事政権と話し合いを進めた。首都ヤンゴンの南東20キロのティラワー港に1200万平方メートルの経済特区を設けて物流基地とし、道路、発電、通信などのインフラを中国が建設する。
ミャンマー沖合には膨大な天然ガス油田の開発が待たれており、中国は海底パイプラインを敷設し、沖合から雲南省までを繋ぐ構想を示している。こうして中国資本の流入とともにビルマ人の若者の意識が急速に変わっている。雇用機会が増え、女性の就労機会が急増し、このため婚期が遅くなる。ミャンマーでさえ働く女性の婚期は30歳代が多い。その結果、結婚しても子供が1人か2人、進学率が上昇し、価値観が変わる。中国、ベトナム、インドなどと同じなのである。
中国とは直接国境を接していないが、カンボジアについて少し触れる。日本の援助で道路が急速に整備され、日の丸とカンボジア国旗が翻っているとはいえ、日本企業の本格進出はない。この地へ巧妙に食い込んでいるのはタイ華僑とシンガポール華僑。そして台湾華僑だ。
ところが最近、市場を席巻するかのごとく、中国企業の迅速にして大胆な進出が見られ、基本的に中国嫌いのカンボジア人が警戒を強めている。このためタイを拠点とする企業戦略がまだ有効ということになるだろう。
急テンポで発展するバングラデシュ
バングラデシュは1971年にパキスタンから独立した新興国家である。北と東西をインドに挟まれ東隣がミャンマー、また北のインド領を越えて、すぐにネパールにつながる。南はベンガル湾。国土面積は北海道の2倍の広さしかないちっぽけな土地に日本の総人口より多い、1億4000万の国民が暮らす。人口密集度は世界一のレベル。9割がイスラム教を信じているとされ、1割がヒンズー教徒だ。
バングラの外貨収入の80%は繊維産業で、輸出は経済の生命線。大々的に工場を建てて進出したのは、やっぱり中国企業である。女工の月給は5,000円から6,000円。これに毎日3時間から4時間の残業をすると毎月8,000円以上になるという。バングラの輸出品目の筆頭はアパレル(繊維製品)。ついでエビなど魚介類、3位は皮革製品、4位がジュート、紅茶など。
ダッカの交通渋滞も凄まじい。上海やバンコック以上である。これは想像を絶する現象だった。少なくとも経済発展の急テンポは、手元のデータを修正しなければいけないほどに迅速である。
中国もかつては自転車大国だった。いまや自転車は廃れ、車社会になったが、バングラはまだ自転車さえが高級な乗り物である。庶民は徒歩。サンダル履きが多いが、素足通勤も稀ではない。庶民の乗り物であるスクータもバイクも少数。自転車とバイクは中国製で溢れ、日本の出番はない。電化製品も中国製が圧倒的でハイエール(海爾)、ファウェイ(華為)、TCLの看板ばかり、韓国も頑張っている。ここでは日本の電化製品は影も形もない。人力車はダッカ市内だけで27万台もあるという。それが道路の3分の2を占拠する。だから渋滞するのだが、リキシャを廃止すれば、すぐに反政府暴動になる。
一歩、ダッカから郊外へ出ると農村風景が拡がり、水牛、竹の仕掛け網、水田に案山子(かかし)。カラスが獲物を狙う。昭和20年代の日本の田園風景に近い。しかし有機栽培ではない。アスファルトの狭い道路をバスは突っ走るが、途中、肥料工場とタイル工場くらいしか農村で産業らしき施設を見かけない。
ダッカ大学(バングラデシュの東大)の在籍学生数はじつに3万名。構内をめぐると壁に毛沢東主義政党のポスターが貼ってあった。いやはや、この国には野放図な言論の自由があるようである。
行く先々で、バングラのひとびとは刺すような視線で外国人を見る。着用している服装、時計、帽子、もっているカメラをしげしげと見る。日本人など見たことがないから、きまって最初に発せられる質問は「チャイナ?」ついで「コリアン?」だ。
「中国の進出ぶり」は具体的にどうか。ダッカの港近くにかかる大橋を中国が寄付して架橋した。近くに5万人規模のチャイナタウンを建設中。道路も日本と競うかのように援助しているが、中国の最大の貢献は武器。見返りに沖合のガス鉱区を狙っているものの、バングラデシュの「アワミ連盟」などは資源ナショナリズムの観点から外国への鉱区売却に反対し、天然ガス油田開発は進んでいない。
中国がやりたい放題のパキスタン
パキスタンへの進出は日本企業が固く敬遠している。だから中国がやりたい放題である。パキスタンは米国、日本そしてイギリスから巨額の援助を受けていながら、なぜかイスラマバード市内の一等地には豪邸群が建ち並び金持ちを軍が守っている。もともと初代ブット首相以来、歴代の大統領や首相側近には「腐敗」「汚職」がつきもので、あの美貌を謳われたブット元首相(初代ブットの娘)もイギリスからサウジへと亡命していた。
第2は自国の運命にやや無関心なのか、たとえば国境の町、ペシャワールへ行くと、アフガニスタン難民のキャンプが群棲しているが、ここで産まれ育った2世、3世が逞しく生活しており、この町の住民は「フレンド」から突然「山賊」に化け、白昼堂々と密輸の武器を売っている。
パキスタンは意外に高潔な国民性もあるが、敬虔なイスラム教徒ばかりではなく宗教の束縛から逃れようとする人々は欧米へ移住する。「反米」を謳う反面、若者の多くが保護国の中国ではなく、米国への移住ヴィザを熱望するのだから矛盾も甚だしい。
パキスタンは中国から提供を受けた核技術により核兵器を所有し、中国の代理役のごとくインドを牽制してきた。これらの事実に米国は事実上目を瞑って、9.11テロ以後、軍事拠点としてムシャラフ政権に梃子入れした。核保有を背景として自信を深めるパキスタンのイスラム教徒は、世界のテロリストと連携したがらないという風説はどこへやら、最近はやたらと暴力沙汰も増えた。
パキスタンへ進出した中国企業は山のようにあり、戦車の合弁工場まで稼働している。中国とパキスタンは依然として半世紀をこえる緊密な軍事同盟である。しかし日本人が想像する国民国家というよりは、パキスタンは中世の部族が入り乱れての群雄割拠状態。地方軍閥が砂漠で盗賊的行為に走る。だからパキスタン人が全員、同一の発想をするなどと考えない方が良い。
パキスタン南西部バルチスタン州でセメント工場で働く中国人技師が銃撃され、3人が殺害された。この地域はパキスタンからの分離独立を唱える過激派が蟠踞し、治安は最悪だ。この南端グアダールという漁村に中国の援助で゛軍港″らしき港湾施設が作られているから話はいきなり焦臭くなる。
中国人の殺害事件では過激派ゲリラ組織「バルチスタン解放軍(BLA)」が犯行声明を出した。バルチスタンは天然ガスに恵まれ、とりわけ中国企業の進出が目立つから日頃から恨みを買っている。資源収入の地元還元を求めるBLAは中国企業の進出に強く反対してきており、資源ナショナリズムを主張する。
こうした劣悪な政治環境のもとでパキスタンのムシャラフ大統領は何回も北京を訪問している。中国とパキスタンの共同声明は「両国関係をさらに固め、拡大するために経済・貿易協力の水準を高め、自由貿易区を実行し、投資・エネルギー・インフラ建設における協力を促す。中国はパキスタンの地政学的要素を十分に活かし、パキスタンを地域における貿易とエネルギーの回廊とすることを望んでいる。また、教育・文化・安全保障における交流と協力も強化し、テロリズム・分離主義・過激主義を共同で撲滅し、地域・国際問題における調整と協力を強化していきたい」などと謳っている。パキスタンを中国の戦略的要衝にしようというわけである。
イスラム過激派が蟠踞するアフガニスタン
アフガニスタンと中国国境を繋ぐ細長い回廊は峻険な山岳地帯だ。同時に麻薬ルートでもあり、武器の密輸ルートでもある。もともとアフガニスタンは凶漢な部族がいがみ合い、パシュトーン族、タジク族、ウズベク族が地域を割拠し、バーミャンの石仏をミサイルでぶっ壊す蛮行をはたらくイスラム過激派が蟠踞している。高原と岩盤と蛾々たる山稜に砂漠という地理的条件は牧畜、焼畑農業のほかは罌粟の栽培しかカネになる産業はない。せっかくの西側の支援も首都のカブール周辺だけで費消され、欧米の軍は首都の治安をかろうじて守っているのが実状である。
ロシアが侵略したときにアフガニスタンのイスラム教徒が勇猛果敢に立ち上がって山岳ゲリラ戦争に勝利した原因は、第1にパキスタンを拠点にした米国からの武器援助、第2はパキスタン経由での麻薬の密輸、第3は武器の密造だった。
旧宗主国はイギリスであり、それゆえにアフガン再建は英米主導でおこなわれた。カルザイ大統領は誰がみても欧米の傀儡だろう。アフガニスタンにいまも蟠踞する武装ゲリラは必ずしも反米ではない。彼らの存在理由の基本に横たわるのは部族問題である。部族の掟に従い、村長の命令に従順なのは、そうしなければ部族の統一が保てず、ほかの部族に滅ぼされる危機と隣り合わせだからだ。実際にアフガニスタンのゲリラはソ連を敗退させたが、その後も、平和は来なかった。
米国の援助にぶら下がって密輸に励み、挙げ句はイスラム原理主義過激狂信主義がアフガニスタン各地に蟠踞して派閥間の武闘を展開した。タジク人のマスードはテレビインタビューを装ったテロリストに暗殺され、ウズベク人軍閥のドスタム将軍は裏切りの常習者、イラン寄りのヘクマチアル元首相はまるで亡命将軍のごとくイラン各地を彷徨い、謎の指導者オマル師は砂漠の奥地で復活した。タリバン支配下でアフガンを秘密軍事基地化させ、世界中にテロリストを輸出したアルカィーダとビンラディンは当該地域のどこかにいまも潜んでいる。
上海協力機構に呑み込まれる中央アジア5カ国
旧ソ連の中央アジア・イスラム圏5カ国(カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン)は、ソ連時代と変わらぬ独裁制度が残存、旧態依然としている。いまでも中世的専制政治がお好きである。民族的にはペルシア系のタジク人をのぞいてすべてトルコ系モンゴロイドだ。これらの地域に膨大な石油とガスが産出する。それが現代的な問題を運んでくる。
米国は9.11テロ直後、ウズベキスタンとキルギスに空軍基地を租借し、タジキスタンに軍事訓練基地をおき、カザフスタンにも協力を求めた。相手にならなかったのは典型的独裁者のいるトルクメニスタンだけだった。これら中央アジアのイスラム圏はソ連崩壊直後に独立し、一時期はロシア離れを見せつけたが、内心で米国のカネを期待していた。米国側もこの旧ソ連圏へ巨大な楔を打ち込もうと当時のベーカー国務長官は何回も現地入りしている。
事態の急展開に慌てたのは中国だった。欧米が中国の背後地にずかずかと入り込んで来るのは旧宗主国のロシアばかりか、中国にとっても不愉快なことだからだ。そこで猛烈な勢いで中国の巻き返しが開始された。
第1にイスラム・テロ対策のためと言って、中国とロシア主導の「上海協力機構」が結成された。ソ連崩壊の直後、サウジとイランがコーランを大量に空輸して寄贈するなど宗教上の主導権を争い、インドはさっさとこれらの国へ経済的進出を果たした(コーランはアラビア語とペルシア語だったのでウズベキスタン、カザフスタン、キルギスでは殆どの国民が読めなかった)。
欧米の大々的投資はメジャーの石油鉱区開発にのみ集中し、輸送パイプラインによる輸出は急拡大した。とくにカザフスタンでは上層の特権階級だけが潤った。しかしパイプラインのルートがロシアを経由するため、結局のところ欧米への輸出窓口はロシアのメジャー、とどのつまりロシアのプーチン一族が1番裨益したのである。
期待したほどのカネも技術もプロジェクトも日米欧からはもたらされず、数年間、我慢したが、この間に「民主化」やら「人権」やらを強く言われ、頭にきたカザフスタンのナゼルバエフ大統領は中国に急接近する。
ウズベキスタンはロシアとの親密な関係を復活、「昔、袖にした恋人とヨリを戻した」。そうした状況下でキルギスだけが、親米路線を掲げ、マナス国際空港には2007年9月現在も2,000名の米軍が駐在している。
キルギスで取材すると国民の多くが「キタイ」(ロシア語で中国を意味する)と言って警戒心を露わにし、げんに中国の存在は稀薄である。
カザフスタンは豊富な資源をバックにロシアと中国に石油とガスを輸出し国富を増やす一方、私腹も大きく肥やしたのが独裁者=ナゼルバエフ大統領だ。1989年からトップの座を動かず、ナゼルバエフ大統領を地元民は「ナゼル・カーン」と呼んでいる。先年も首都移転を突然強行し、南のアルマトイから北方のアスタナへ遷都した。アルマトゥ(アルマトイを改名)は商都、北部のアスタナを政治都市にして政治をロシアや中国に近い方へ移したのだ。
強権独裁、反対者暗殺を繰り返すカザフが経済的にもっとも潤うのは中国へのパイプラインが完成し、石油とガスの輸出が始まってからだ。加えてカザフスタンは、中国が不足している水さえもイルティシュ川から運河を引いて、大量に売却している。急速に中国との関係が改善されている珍しい国である。日本は石油関連で商社が多少進出している程度で、あまりになじみが薄いため、今後も縁が遠い国であろう。
モンゴルは中露の束縛から逃れられるか
モンゴルからロシア軍は去った。タタールの頸城に悩んだロシアが数世紀を経て復讐を果たすかのようにモンゴルに敷いた過酷な全体主義は90年代から急速に弛緩し、同時にキタイ(中国)の呪縛からも脱却しようと懸命に足掻くのがモンゴルの政治だが、さて中露の束縛から離れてモンゴルは経済的に離陸は可能なのだろうか。
モンゴル政治の目は米国と日本に向いた。ウランバートルで最初に目にするのは自由経済を象徴する商業的看板とネオンの群れだ。しかし多くがロシア語、新しい企業広告でも英語併記である。レストランでもホテルでもこの文字空間は変わらない。伝統的モンゴル文字を復活させようにも1920年代の共産化以来、すでに世代がふたつ交替し、教育現場はそんなことより英語教育に熱心だ。中国語、韓国語、日本語の学校が雨後の竹の子のように増えたが30歳以上の国民はロシア文字しか読めない。民族の記憶は第1に文字、国語、そして歴史教育だから、モンゴルの悲劇はこの点から見て、まだ続いているのである。
ならば独特の文化、伝統、歴史をどうやって民主化なったモンゴルは教育しているのか? 市内にある民族歴史館の写真パネルをみて、おおよその見当がついた。ここでは4つの「大国」がこれ見よがしに展示されている。エリツィン、ブッシュ(父親)、胡錦涛、盧泰愚の四人が平等にならび、別のコーナーに天皇皇后両陛下の写真が飾ってある。
このモンゴルの国際政治に対しての絶妙なる均衡感覚と中米露の間隙を巧妙について韓国企業が大々的に進出し、他方ではモンゴル人から1番好かれている筈の日本は相撲人気のみで浮わついている。援助を明示する日本国旗をつけたバスが多く走っていても、肝心の日本人の姿が見えない。至る所に中華料理レストランがにょきにょきと新造され、筆者はどちらかといえばモンゴル伝統の羊肉料理より中国風が好みなので、何軒かで食事を摂った。
胡錦涛がモンゴルを訪問した折、たいそうな歓迎を受けたのも膨大な経済援助との引き替えだった。ところが中国企業はモンゴル経済のインフラを構築し、産業的離陸、経済の自立に協力を惜しまないのではなく、1日も早くモンゴルからロシアの頸城を物理的に突破させ、中国の衛星圏に無理矢理にでも引き入れたいとする覇権主義がみえみえであり、基本的にはたいそう嫌われている風情なのだ。
こうして中国を囲む外縁の国々を大急ぎに1周してみると、当該地域への中国の進出ぶりには目を丸くさせられる一方、各地では中国との文化的衝突が激甚になっている。中国は決して好かれてはおらず、いやむしろ脅威視され、嫌悪されている現実も把握できる。カネにあかせての傍若無人と宗主国顔が忌み嫌われるのだ。文明史観的には中華文明から離れようとする強い力が多くの国々で作用しており、実践的経済的な絆だけは深めても、中華文化の浸透には警戒を強めているのが現実である。