月刊正論:10月号から  
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産経新聞社「月刊正論」からEISへの提供コラムです。
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   山崎正和・中教審会長への疑問第二弾!
 「徳育」なくして何の教育か

  教育現場に混乱を惹起した「わたしの『道徳教育』反対論」(『文藝春秋』7月号)に徹底反論する(P246〜253) 
 
元文部省視学官・前日本教育文化研究所長●金井 肇 


   今日、我が国の高校生に覚醒剤や性の乱れが広がり、中学生にタバコなど、小学生にも自己中心的な行動が広がるなど、生得的な感覚や感情、欲などを満たす傾向が広がって、このままでは国の将来が危うくなると懸念されます。

 これらの問題は、人間らしい心を育てているかどうかという道徳教育の根本問題を示しています。

 その道徳教育に、こともあろうに中央教育審議会の山崎正和会長が、個人としての見解とはいえ道徳教育反対論を唱えています(文藝春秋7月号「わたしの『道徳教育』反対論――道徳を授業で教えられると思うのは錯覚だ」、日本記者クラブ4月26日講演)。氏の反対論は、後述するように倫理学や教育学などの学問的な裏付けがなく、我が国の現在の道徳教育がどのようになっているかを調査していない反対論です。

 しかし、影響力のある立場の人の発言はそのまま信じ込まれやすいので、この反対論が影響力をもてば、道徳教育が悪影響を受けます。学校の道徳教育には、社会の雰囲気が大きく作用するのです。

1.制度としての我が国の道徳教育

 我が国の道徳教育がどのようなものかを理解していただければ、山崎氏の道徳教育反対論がどれほど間違ったものかがはっきりするので、まず、我が国の道徳教育がどのような仕組みになっているかを、文部省視学官として長年携わって来た立場から説明します。

 我が国の道徳教育は学習指導要領に定められていて、これが制度上の道徳教育です。学習指導要領は、文部科学省が学校教育法の規定に基づいて作成した法規ですが、道徳教育については、道徳教育の権威者である大学の先生や小・中・高等学校の先生などの協力者会議であらゆる角度から検討し、教育として成立する専門的な「筋道」を明確に描いて、子供の心が受け入れるように創られています。専門的な筋道のことは後で何回も出てくるので、学習指導要領にそれがあることを、はっきりさせておきます。

 我が国の道徳教育は、一つ一つの行いを教えるものではなく、小・中学校では「思いやり」、「感謝」、「誠実」など諸々の道徳的価値を、心に受け止めさせ、その集積によってつくられる「道徳性」を育てることになっています。その道徳性は、高等学校では「自分自身に固有な(行動の)選択基準ないし判断基準」、つまり価値観として機能することを目指しています。成人したときにしっかりした価値観をもって生きることができるように「育て」ていくのです。「道徳を教える」と「道徳性を育てる」の違いは後ほど触れますのが、何となく概念の違いはご理解いただけるかと思います。

2.山崎氏の道徳教育反対論

 山崎氏が少なくとも制度上の道徳教育を認識していないことは、学習指導要領に言及していないことから理解できますが、それを含めて氏の論理には三点大きな誤りがあります。

 ア 道徳は「教え」られない、という問題

 氏は、近代の学校制度での教師は、誰とも取り替え可能な凡人が教育の担い手となっているので、学校で教えるのは社会的合意の得られたものに限られる、と言っています。ここには、道徳教育の内容も全て「教える」ととらえていることがはっきりと表れています。しかし、道徳に関わる場面は限りなく多いのです。そのすべてを教えることは不可能です。また、道徳的内容を教えて通用するように見えるのは、小学校2年生の前半くらいまでの大人の言うことを無批判に受け入れる段階と、道徳性が十分に育っていて、教えようとしている内容を納得して受け入れる場合です。最も肝心の小・中学生では受け入れてくれないのです。氏の主張する「遵法精神」に絞っても、教えても子供が受け入れてくれなければ教育になりません。子供が受け入れなければ教育にならないのは、後述する中国の状況でも紹介する通りです。

 我が国の道徳教育は、道徳性を「育てる」教育なのです。道徳的な場面でどうすればよいかという答えを教えるのでなく、どうすればよいかを自分で考えて答えを見いだす能力となる道徳性を育てるのです。その道徳性を育てる筋道は学習指導要領にはっきりと描かれていて、この筋道で教育すれば、どんな教師でも、さらに教育実習の大学生にも、それはできるのです。

 そこを理解していないで、社会的合意のできていないことが多いので、教えることはできないと述べています。社会的合意の有無にかかわらず、学習指導要領は昭和33年以来「道徳を教える」という立場はとっていません。人間は、心という深い奥行きをもった存在です。だから「教える」のではなく「育てる」筋道を示しているのです。

 イ 道徳性を「育てる」道徳教育が見えていない問題

 氏は、教育を、国民すべてが国家社会を形成して生きるために必要な事項を教える「統治行為としての教育」と、国民一人一人の自己実現する手伝いをする「福祉サービスとしての教育」とを分けています。この分け方が適切であるかどうかは別として、前者は、教育の、国民全てに必要とされる国家社会を形成する資質能力を育てる側面で、後者は一人一人の自己実現に関わる、個々の必要を満たそうとする教育の側面を指しています。近代国民国家の成立とともに生まれて来た公教育の考え方です。

 この見方で道徳教育も論じています。社会的に要請される道徳と一人一人の内面の道徳とを分けていますが、この両面は分けて考えることのできない、関連し合ったものです。まず内面の道徳が重要で、そこから社会的な道徳も成り立つのです。

 一人一人の内面の道徳は、価値観ないし人生観・世界観を育てることが中心課題ですから、その教育は、山崎氏の言うような「福祉サービスとしての教育」などではありません。教育の中核となるところです。ここを見誤ると、生きがいを見いだすことができない青少年の問題も解決できませんし、国家社会の活力に関わる重大な問題も見えなくなります。

 ウ 倫理と道徳の混同

 氏は、社会生活の約束事を「取引の倫理」とし、これと区別して「内面の倫理」を挙げ、その内容としてエートスに触れていますが、そこには倫理と道徳の混同が見られます。全体にこの混同があります。倫理は人間や人間社会が人間のものとして成立するための原理を指しているのです。原理と、その原理に従うかどうかは別のことで、人間は原理のそのままに動いているのではありません。

 倫理学では、「徳は得なり」(『礼記』)と言って、人間の「徳」は倫理を身に付けた、つまり倫理という原理を自分の身に獲得したときに「徳」となるととらえています。

 倫理の根拠をどこに求めるかは、宗教に根拠をおくもの、社会の在り方に基づくものなどいろいろありますが、カントが例に挙げる「うそ」で言えば、「うそ」をつくことは倫理という原理に反します。

 だからといって、「うそは倫理に反するからいけないよ」と教えても子供が身につけるとは限りません。山崎氏の言う「統治行為としての教育」も成立しないのです。殺人罪が死刑になり得ると知識で知っていても、殺人事件は起きるのです。倫理を身につけさせるには、どうすれば身につけさせることができるかという、教育の専門的な検討を経て、身につけさせることのできる筋道を見いだして、教育に当たらなくてはなりません。教育学の専門的な領域です。我が国の学習指導要領は、その専門的な検討を経て、はっきりした筋道を描いています。

3.我が国の道徳教育――制度の目指すところと現実の問題点

 ア.我が国の道徳教育の目指すところ

 我が国の道徳教育は、「自分自身に固有な(行動の)選択基準ないし判断基準」、つまり価値観を、しっかりもって生きることができるように「育て」ていくことを目指しています。価値観という言葉は、今日、自分勝手な言い分でも価値観という場合があるなど、全くの取り違いが横行していますが、価値観は本来、人生観と同じく、人生にどういう意味を見いだして生きるかという、一人一人のしっかりした考えを意味する言葉です。しっかりと育てられた価値観によっ自分の生き方を見いだした人は、希望をもち、活力をもって生きることができるのです。(詳細は拙著『こうすれば心が育つ』小学館)

 図にすると分かりやすいので図1のように鏡餅の図で考えます(図は「正論」にてご覧ください)。

 イ.「自分探しの旅」の答え

「自分探しの旅」ということがよく言われてきました。自分の生き方を見いだすことが重要だから、そこを強調している言い方です。

「自分探し」と言って旅に出た若者がいますが、答えは1図にあります。1図が自分の生き方を見いだす答えになっています。図の上段は一人一人の心の世界ですから、譬えて言えば、心の顔になります。体の顔が、誰もが同じ栄養を採り入れても一人一人個性的な顔になるように、心の顔も、誰もが同じ道徳的価値という栄養を取り入れても、一人一人の個性的な心の顔が育つのです。本当の意味の個性が育つのです。だから、教育する側が教育する内容を選んで、その内容の方に引っ張ろうとしたり、ある内容を取り上げないということはもちろん、子供の側が欲する内容だけで済ませてもいけないのです。道徳的価値という栄養を与えなければ、鏡餅の下段だけの、動物のような人間になってしまうのです。

 上段が育てば、自分自身の生き方を見いだす能力となります。自分の生き方を見いだし、活力をもってしっかり生きることになります。下段とあわせて価値観となります。

 自分探しの旅は、地上を旅することによって生き方が見つかるものではなく、足下にあるのです。道徳教育でしっかり価値観を育てることによって生き方が見つかるのです。

 生き方が見つかれば、行動面も安定します。

 ウ.現状の道徳教育の問題点

 道徳教育の現状に対する不満は、山崎氏だけでなく広くあります。昨今の世相を見れば、人間らしい心をもっているとは思えないような悲惨な事件が相次いでいます。学校時代から人間らしい心を育てる教育が成功して来ていれば、非人間的な成人が増えるはずはありません。道徳教育は問題が多いのです。その改善には、我が国の道徳教育の制度や、実際に行われている道徳教育がどのようなものかを見極めて、どこにどのような問題があるのかを見いださなくてはなりません。

 このところを正確に、学問的に捉え、道徳教育を正確に実施する方向に導いていく役割をもつのは、現在の制度では文部科学省ですが、文部科学省がその役割を果たしているとは言えません。山崎氏が道徳教育反対論を唱えることも、現在の道徳教育がどのようなものであるかを、中教審においても説明していないことの現れと言えます。

 現在の文部科学省に在籍する人たちが、学習指導要領の専門的な筋道を理解しているかと言えば、多くの事例から見て、極めて怪しいと言わなくてはなりません。

 昭和33年に文部省が出した『小・中学校における「道徳」の実施要領について(通達)』を見れば、当時の文部省は高度な専門性をもっていたことがはっきりと読み取れますが、今日ではそこが怪しいのです。

 しかしここでは、主題が違うので、この点を論ずることは避けます。

 エ.人々の価値観が育たないと国の活力にかげりをもたらす

 冒頭に述べましたように、覚醒剤などの広がりは、それ自体が憂慮される問題ですが、より大きな問題は我が国の国家社会の活力に関わっているという問題です。清国末期のアヘンと同種の感覚的喜びを求めている傾向を示しており、このままではアヘンの二の舞を演ずることになりかねません。

 清国はアヘン戦争を契機として崩壊し、中華民国が生まれました。人々が将来に希望をもち、活き活きと生きる展望がもてないときは、刹那的な喜びで紛らわすしかないのです。アヘンに溺れる人々が増えたことが国家社会の活力を低下させたのです。

『Newsweek』は、1984年10月8日号の特集'Japan's Aimless Generation'で、我が国に無目的世代が増えており、国の活力に翳りをもたらすことを指摘しています。

 現在の中国では、「思想品徳」という教科で道徳教育が行われていますが、経済の「改革開放路線」により社会生活もある程度自由化されたことと、一人っ子政策によって家庭では子供がわがまま一杯の小皇帝になっていることによって、学校で行う道徳教育を子供が受け入れなくなり、教育として成立しなくなりました。そこで、子供が受け入れる道徳教育を求めて、主要師範大学が分担して世界各国の道徳教育を研究しました。その結果、東北師範大学を中心として金井の説く道徳教育論を取り入れ、中国教育部(我が国の文部科学省に当たる)と連携して教師向けの出版物や現職教育はもちろん、中国最大の総合雑誌『読者』にもその要点を、金井の道徳教育論として紹介するなど、社会全体の理解を深めるようにしています。

 人間らしい心が育っているかいないかは、国家社会の活力に直結し、国の存立にかかわっています。我が国がここを見過ごしていていいわけがありません。

 オ.道徳教育の現状と子供の受け止め方から見る課題

 道徳教育の成否は、子供がどう受け止めているかで見るのが唯一のモノサシです。子供の反応調査は、マクロにはアンケート調査によって数量的にとらえることができ、ミクロにはどのような指導にどのように反応したかの個々の子供の反応によって知ることができます。そこからどのような指導の筋道が重要かを見いだすことができれば、確実な指導を生み出す指針が得られます。

 道徳教育についての調査は、文部科学省が5年ごとに行っている「道徳教育実施状況調査」などがありますが、どのような指導が子供に受け入れられるかを探る調査は、日本教育文化研究所の『道徳教育に関するアンケート調査』(平成18年3月発行)があります。

 道徳教育が教育として実りあるものになっている割合は、文科省調査でも効果的な指導は中学校3年生で約5%となっています。他の調査でも似ていて、この数字は筆者も文科省も真摯に受け止めなければならないものですが、教育ではたとえ一例でも優れた指導があれば、その筋道で指導すればすべてが優れた指導にすることができることになります。今真剣に考えなければいけないことは、この5%を如何に増やしていくかということなのです。

 筋道と述べましたが、道徳教育は、子供の心が受け入れる筋道を的確に捉えて、その筋道を生かして教育しなくては子供の心が受け入れてくれません。

 分かりやすい例を月ロケットに譬えてみます。月にロケットを届かせようという目標を定めたとします。目に見える月をめがけてロケットを打ち上げても月には届きません。天文学や力学などを応用して正確な軌道計算をし、必要な力で打ち上げれば、ロケットは月に届きます。

 目標を子供の活力を育てることや問題行動の防止に置き換えてみます。これらの問題は誰にでも見えます。しかし目に見える問題に直接働きかけても、目に見える月をめがけてロケットを打ち上げるのと同様に効果はありません。何か事件がある毎に「命の大切さを教える」という学校関係者のコメントを聞きますが、それはまさに「目に見える月をめがけてロケットを打ち上げる」の例です。有効な指導は正しい筋道で教育すればできるのです。その筋道は倫理学や教育学に基づいて導きだされる筋道で、月ロケットの場合の軌道計算に当たるのです。この筋道は本章に概説した通りですが、詳しくは前掲『こうすれば心が育つ』に詳しく述べてあります。

 道徳教育を試行錯誤で試みている場合をしばしば見ます。そこでは右に述べた筋道を見いだすこともなく、筋道が必要だということも気づかず、いろいろな方法を試みているのです。肝心の筋道に目が向いていないから試行錯誤になってしまうのです。

「道徳教育に関するアンケート調査」からは、望ましい行いを教えようとしたり、教材を中心にする指導は、子供の心に響いていないことが分かります。

 ミクロに見る例で、筆者が大妻女子大学で、教職課程の道徳教育の科目を指導していた学生の手記を紹介します。学生の手記は大別して次のような傾向になります。

A 学校時代に行いの指導を受けたが、小学校低学年ではそれをそのまま受け止めていたが、成長するにつれて何かがおかしいと気づき、裏表のある人間にされてしまった。

B 道徳とはただ暗いイメージがあるだけだったが、この大学の講義で自分なりの道徳性(価値観)を育てるものと分かり、価値観を育てる筋道を学んで、道徳と聞いただけでも、前に明るい道が開けてくるような、そんな明るいイメージを持つようになった。

C 自分が人間らしく生きるにはどうすればいいかを学ぶので、大学の授業の中で一番楽しい授業だ。

D 教育実習の道徳の授業で、涙を流していた子供がいたという報告、先生方から絶賛されたという報告など、優れた授業の報告がたくさんあります。

 カ.道徳教育活性化の課題

 道徳教育の教育として成立する筋道は、前述したようにすでにあります。教育を考える識者は、学習指導要領を先ず読み解くべきです。その上で多くの学校においてなぜ道徳教育が機能してかなかったかを客観的に分析し、原因を特定し、そこから改善を図れば、道徳教育は活性化します。学習指導要領の筋道で行う道徳教育は、子供たちに喜んで受け入れられ、活き活きとした子供が育っているのです。

 制度上の道徳教育が正確に生かされていないところに問題があります。道徳教育の調査結果から見て、学習指導要領を無視した指導が横行しています。なぜそうなるかについて、滋賀大学名誉教授村田昇先生は、道徳教育は、学習指導要領にそって実施すれば優れた指導になるのに、そこからかけ離れた道徳教育になっている。その原因が文部科学省自体にあった、と述べています(村田昇編著『日本教育の再建』東信堂286〜290ページ)。村田先生は学習指導要領の作成に当初から最近までかかわって来た道徳教育の権威者です。兵庫教育大学長・中教審副会長の梶田叡一先生も同様の見方をしています。

 現状もその通りで、学習指導要領でなく、文部科学省在籍者が唱えたいろいろな指導方法がマニュアルのように広がっている状況です。

キ.優れた指導と今後の展望

 子供の心が吸い寄せられている優れた指導が、前述したように現にあります。

 東京都内のある中学校の公開授業で見た事例です。全学級公開で授業が行われました。その学校でも型にはまったマニュアルどおりの授業がほとんどでしたが、3年生のある学級は、担任の教師が学習指導要領の趣旨を生かして、教材中心でなく、生徒の関心や願いなどの実態を中心に作られた授業でした。テーマは「男女は、互いに異性についての正しい理解を深め、相手の人格を尊重する。」内容でした。その学級に近づくと、外からでも熱気が感じられました。中学校3年生は、一般に口が重く、あまり発言もないのが普通ですが、教室に入ると、生徒たちの発言が活発で真剣でした。

 なぜなら、男女は皆、自分が男性として、あるいは女性として生きるのですから、自分の将来をどう生きるかに強い関心があります。男性は男性として、女性は女性としての自分の将来像を描きたいのです。それこそが具体的な人生観です。この関心事に正面から取り組むのですから、誰もが真剣で、熱気がこもるのは当然のことです。何の学習よりも最も関心の高い学習です。心が吸い寄せられる学習になって当然です。

 このような優れた道徳教育が、学習指導要領の筋道を生かせば、誰にでもできるのです。子供たちの心に一生残り、一生感謝され続ける教育ができ、教師は文字どおりの一生の恩師になるのです。そのような優れた道徳教育を作ることを、皆が期待しています。

 ほかにも、教材を中心に教えるのでなく、教材に書かれている内容を、子供たち自身の身にひき比べて、自分の問題として考えさせる授業によって、活き活きとした授業になっている例もたくさんあります。そうした優れた指導を広げていくことが課題なのです。

4.おわりに

 今確かに我が国の道徳教育は危機的な局面にあります。しかし、学習指導要領に有効な道徳教育を行うための筋道は既に存在しているのです。にもかかわらず、なぜその筋道に沿った指導を行えていない例が大多数なのか? その根本原因を明確にし、きちんと対策をすれば、必然的に道徳教育は良くなるのです。なぜなら、5%もの優れた例があるのですから。

 山崎氏の反対論は事実に基づかないものですが、この反対論が契機となって道徳教育が糺され、活性化されていくとすれば、氏の反対論は奇貨と言うべきかもしれません。


元文部省視学官・前日本教育文化研究所長
かない・はじめ 金井 肇

(略歴)
昭和4(1929)年、長野県生まれ。
東京教育大学哲学科倫理学専攻卒業。
東京都公立学校教諭、同指導主事、文部省教科調査官、同視学官、 大妻女子大学教授、日本教育文化研究所長など歴任。
民間教育臨調教育理念部会長。
著書に『道徳教育の基本原理』(第一法規)、『道徳授業の基本構造理論』(明治図書)、『こうすれば心が育つ』(小学館)など多数。
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