月刊正論:9月号から  
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産経新聞社「月刊正論」からEISへの提供コラムです。
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   道徳教育も歴史教育も不要とは…
 山崎正和・中教審会長が語る「教育」観への疑問

  それでは国籍不明の地球市民は育っても「日本人」は育たない(P102〜109) 
 
産経新聞論説委員●石川水穂 


 

遵法精神を教えるだけで規範意識は育まれるか

 政府の教育再生会議(野依良治座長)は6月1日、ゆとり教育の見直しや徳育の教科化を柱とする第2次報告を発表した。特に、徳育の教科化は、子供たちに高い規範意識を身に付けさせることを教育の目標の1つに掲げる安倍晋三首相の意向を反映した重要な提言である。

 従来の教科は、@点数での評価A教員免許B教科書−の3つの条件が必要とされた。再生会議で検討を重ねた結果、徳育の教員免許の新設や点数での評価は難しいとして見送られたが、従来の教科と異なる「新たな教科」と位置づけ、「多様な教科書と副教材を機能に応じて使う」よう求めた。教科書や副教材づくりについては、「ふるさと、日本、世界の偉人伝や古典」などの活用を例示した。形骸化が指摘されている「道徳の時間」(週1回)を何とかして充実させたいという再生会議委員たちの意気込みがうかがえる。

 しかし、文部科学省や文部科学相の諮問機関である中央教育審議会からは、この問題を真剣に議論しようという意欲がほとんど伝わってこない。

 6月5日の参院文部科学委員会で、伊吹文明文科相は徳育の教科化について、こう答えている。
「国がある価値観を持って決めるというような検定教科書的なものをつくるということは、やっぱり非常に難しいんじゃないかなと私は思っておりまして、その趣旨は再生会議に申し上げてあります」

 徳育の教科書づくりを求めた再生会議の提言を否定するような答弁である。しかも、教科書について誤解を招きかねない発言だ。検定教科書は、国がある価値観を持って決めるものではない。複数の教科書会社が多様な教科書をつくり、それらを検定によってバランスある記述に修正したものが検定教科書である。再生会議が「多様な教科書」といっているのは、こういう意味だ。伊吹氏は、中国や韓国の国定教科書と日本の検定教科書を混同しているのではないか。

 また、中教審・初等中等教育分科会教育課程部会の梶田叡一部会長(兵庫教育大学長)は6月8日、中教審とは別の都内の講演で、次期学習指導要領について「道徳は正規教科とせず、教科書検定は行わない」との見通しを語った。これも、再生会議の第2次報告に盛り込まれた「徳育の教科書づくり」を事実上否定した発言である。

 梶田氏は、教育基本法改正に向けた教育改革国民会議や中教審での審議で、「国を愛する心」をはぐくむことの重要性を強調した学者である。その梶田氏が徳育の教科書づくりに消極的なのは、意外な感じがする。

 最も懸念されるのは、今年2月から第4期中教審会長に就任した劇作家、山崎正和氏の発言である。

 山崎氏は4月26日、日本記者クラブでの講演で、道徳(倫理)教育について、「個人の見解」と断りつつ、次のように述べた。

「私はアドバイスを求められれば、現在の教育システムの下で倫理教育を行うのは無理だと思っている。なぜかというと、現代社会は一面で価値観の多様化を認めている。他人のものを盗まない。暴力を振るってはならない。女性を差別してはならない。これくらいは共通認識で教えられるが、本当に倫理の根底に届くような事柄は、学校制度になじまない」

 山崎氏はさらに、「分かりやすい例」として、妊娠中絶の問題を示し、「正義は2つある。一方は、子供を生む権利は女性にあるという世界中に広がっている考え方で、確かに一理ある。『生む生まないは自分の勝手。中絶してどこが悪い』と。他方で、別の正義がある。胎児は独自の生命なので、母親でも殺人は許されない。アメリカでは大騒ぎだが、われわれはどちらが正しいか、よく考えないといけない。学校で教えられるような簡単なことではない」と述べた。

 子供を生む生まないを決定する権利が女性にあるとする考え方は、「性の自己決定権」ともいわれ、妊娠中絶を容認する思想につながっている。いかに価値観が多様化しているとはいえ、それは「正義」とはいえないだろう。学校の保健や道徳の授業などで、正当な理由のない妊娠中絶は「してはいけないこと」として教えるべきである。

 山崎氏は講演後の会見でも、「私はさきほど申し上げた理由で、現在の道徳教育も要らないと思っている。その代わり、法の教育をすればよい。道徳の教育というのは教科で教えることではなくて、教師が身をもって教えることだ。もっと言うなら、親を含めて大人が身をもって教えることであって、教科書を使い、試験をし採点するという教科の範囲の中で道徳教育を行うのは、現状でも無理があると思う」と述べた。

 学校では、道徳教育は不要であり、遵法精神をはぐくむ教育さえ行っておけば十分だというのが、山崎氏の考えである。しかし、遵法精神を教えるだけで、子供たちの規範意識がはぐくまれるとは思えない。

 山崎氏はこの会見で、「さらに過激なことを言えば、歴史教育もやめるべきだ。なぜかというと、『我が国の歴史がかくかくしかじかだった』というのを国家が決定するのは間違いだと思っているからだ。それをしているのは韓国や中国で、日本は大変悪逆非道な国になっている。だからといって、日本が学校教育で反論するというのは間違いで、それは学者に任せておけばよろしい」とも述べた。

歴史教育不要論の根底にある教科書検定に対する思い違い

 この歴史教育不要論も、山崎氏の持論である。

 山崎氏は平成12年に出版した著書『歴史の真実と政治の正義』(中央公論新社)の中で、こう書いている。

「国家は特定の民族文化の伝統から離れ、純粋に合理的な法と制度の体系として働くほかに生きる道はない」「そのための具体的な一歩として、国家は初中等学校における歴史教育を廃止すべきだ、ということを重ねて繰り返しておきたい」

 山崎氏は、「第2次大戦における日本の戦争犯罪の有無や程度」について「国家間に認識の対立」や「個人の学問研究の次元でも見解の相違」があるとしたうえで、「ジャーナリズムの高度に発達した日本のような国では、それらの多様な見解は公平に国民に伝えられ、歴史事実の教育は学校の外で自由に行われているのである。それら多様な見解のなかから国家が1つを選び、制度的に教えることは、学問的には不誠実であるし、財政的にはむだな出費というべきだろう」としている。

 日本の歴史教育は、主として検定教科書に基づいて行われている。しかし、それは、国が1つの見解を選んで教えるような制度ではない。検定は原則として、多様な見解を認めつつ、教育上バランスを欠いた記述に意見を付けているのである。山崎氏も伊吹文科相と同じ思い違いをしているように思える。

 また、山崎氏はこの著書で、こう書いている。

「『東京裁判』の描いた戦争の姿はまさに法的真実であって、戦後の日本はそれを政治的正義の立場から受けいれたのであった」「サンフランシスコ講和条約の条文のなかに、日本は『東京裁判』の判決を否定しないという誓約を明記した。それを前提にして日本は新しい国内体制をつくり、旧敵国とさまざまな条約を結び、結果として平和で豊かな社会を楽しむことができた」

「『南京虐殺』にしても『慰安婦問題』にしても、日本があの『侵略戦争』を全体として認めた以上、そこから状況証拠によって問われている罪なのである。日本人の目から見て非難の証拠が曖昧であり、事件の存否に論争の余地があるとしても、それは法の性質として当然だといわなければならない」

 東京裁判の判決を受け入れたのだから、南京事件や慰安婦問題における中国や韓国の主張に確実な証拠がなくても、甘んじてそれを受け入れるべきだといっているに等しい。最近の実証的な研究により、中国側が主張する「南京大虐30万人」説や慰安婦「強制連行」説は信憑性を失いつつあるが、そうした学問的な検証作業に水をさすような山崎氏の主張である。

 山崎氏は『中央公論』今年五月号の「教育とは国家の統治行為である」と題する論文の中でも、「遵法精神」を強調し、「国旗と国歌についても、学校教育の中で敬意を払わせるべきだと私は思っている。しかしその根拠は伝統的習慣ではなく、『国旗は、日章旗(日の丸)とする。国歌は、君が代とする』という内容の『国旗及び国歌に関する法律』(1999年8月13日公布、即日施行)である」としている。

 この考え方だと、国旗国歌法の施行前は、学校で国旗・国歌を教える根拠がなかったことになるが、そうではないだろう。

「日の丸」は幕末の安政元(1854)年、幕府により外国の船と間違われないための「日本総船印」と決定された。さらに明治3(1870)年、新政府が太政官布告で各国に「国旗」として通告した。「君が代」は明治初期、和漢朗詠集などにあった歌から作詞され、宮内省の雅楽課が作曲してできあがった。

 日の丸と君が代はこうした歴史的由来を持ち、慣習として定着してきたのである。しかも、学習指導要領で国旗・国歌の指導義務が明記されており、国旗国歌法の成立如何にかかわらず、国旗掲揚と国歌斉唱は学校で教えられるべき根拠を持っていた。

 しかし、日教組(日本教職員組合)系の一部の過激な教師集団はこれに従わず、広島県の高校で平成11年、組合の執拗な抵抗に悩んだ校長が自殺した。こうした悲劇を繰り返さないために制定されたのが国旗国歌法である。国旗国歌法は先生の指導義務の根拠をさらに明確化したもので、それだけが国旗・国歌の指導の根拠ではない。

 山崎氏は、『文藝春秋』今年7月号でも、日本記者クラブで行った講演と同趣旨の「道徳教育不要論」を書いている。「個人的な見解」とはいえ、道徳教育も歴史教育も否定する人物が今後の中教審の議論をリードしていくことに、国民の1人として不安を抱かざるを得ない。

 現行の週1回の「道徳の時間」は昭和33年に始まったが、最初から日教組などの反対運動の標的にされた。当時をよく知る関係者の証言によると、同年9月、東京都内の校長らを対象にした道徳教育指導者中央講習会がお茶の水女子大講堂(神田)で行われる予定だったが、日教組がピケを張って入場を阻止することが予想されたため、会場が東京国立博物館(上野)に変更された。その東京国立博物館にも、まもなく日教組の教師や支援学生が押しかけ、機動隊に守られながら講習会が行われたという。

 その後も、道徳教育をめぐる論議は政治問題化し、道徳の時間の授業は形骸化の一途をたどった。それが大きな社会問題になったのは平成10年、旧文部省が広島県で執拗に続けられていた日の丸・君が代反対闘争の実態を調べるための現地調査を行ってからだ。

 文部省が子供の持ち帰った時間割などを調べたところ、道徳の時間を「人権」「M(モラルの頭文字)」といった名称に変えていた例が小学校7校、中学校36校の計43校で見つかった。しかも、各市町村の教育委員会に提出された教育課程承認願には「道徳」と虚偽報告されていた。これらは氷山の一角とみられた。

 また、同県福山市の中学校で見つかった人権学習指導案には、こんなことが書かれていた。

「日本の侵略戦争で『日の丸』の果たした役割と、戦前、学校教育が利用され、儀式を通して天皇を尊ぶ思想が植え付けられたこと。そして、今、また過去と同じわだちを踏もうとしていることをおさえていく」

「日の丸・君が代が、現在学校の入学式、卒業式に強制されている現実を知らせる。日の丸・君が代の歴史を簡単に学習する中で、日の丸は国旗ではないし、君が代も国歌ではないことを知らせ、日の丸・君が代の強制に対してどう思うか、考えを交流しあう」

 これほど悪質な例はまれにしても、道徳の時間が「反日教育」などに悪用されているケースは、広島県以外にもかなりあるとみられた。「進路指導の時間」に流用している学校も多かった。

 こうした反省も踏まえ、文科省は道徳教育の教材『心のノート』を作成し、平成14年度から、全国の小中学校の児童生徒に配布した。

 小学校1、2年生用の『こころのノート』を開くと、目次で「むねをはっていこう」「よいこと すすんで」「うそなんか つくものか」といった徳目が書かれ、本文でそれらの徳目が絵やイラスト、写真などを使って分かりやすく説明されている。歴史上の人物のエピソードなどを交えると、もっとおもしろくなり、子供たちに訴える力が増すと思われる。

「修身」を評価していたGHQ 道徳教育再興に向けて見直しを

 戦前は、古今東西の偉人の伝記などを教える「修身」という教科があった。教科書(国定)があり、通信簿で成績評価された。

 修身の教科書は何度か改訂され、明治37(1904)年以降の第1期、明治43(1910)年以降の第2期、大正7(1918)年以降の第3期、昭和9(1934)年以降の第4期、昭和16(1941)年以降の第5期に分かれる。

 昭和9年から使われた第4期国定修身教科書の巻一(尋常小学校1年用)をひもとくと、目次で「過ちを隠すな」「うそを言うな」「思いやり」「親を大切に」などの徳目が示され、本文で各徳目にふさわしい具体的な話が紹介されている。「過ちを隠すな」では、「とらきちの投げたマリがそれて、お隣のしょうじを破りました。とらきちは悪いと思って、謝りにいきました」。「思いやり」については、「子供が大勢集まっています。目の見えない子供もいます。手を引いてあげたり、物を取ってあげたりして、みんな一緒に、楽しく遊んでいます」という話が載っている。

 学年が進むと、二宮金次郎、上杉鷹山、本居宣長、毛利元就、新井白石、吉田松陰、中江藤樹、ジェンナー、ソクラテス、ナイチンゲールら内外の偉人が次々と登場し、それぞれの伝記が簡潔に紹介されている。

 例えば、二宮金次郎については、貧乏な家に生まれた金次郎が父母の仕事を手伝いながら勉学に励んだ話を聞かせ、「孝行」「勤労」「学問」の大切さを教える構成になっている。日清戦争で死んでもラッパを離さなかった木口小平の話などもあるが、今でも世界に通用する「ためになる話」が多い。

 しかし、昭和16年以降に使われた第5期の教科書には、加藤隼戦闘隊を率いて戦死した加藤建夫少将の話などが登場し、戦時教材としての性格が強まる。GHQ(連合国軍総司令部)は当初、第4期までの修身教科書を肯定的に評価していたといわれる。

 高橋史朗・明星大学教授らのグループの研究によると、米国では、終戦前から、日本占領を想定した教育政策に関する研究が行われ、シカゴ大学のスタッフは1945(昭和20)年1月に第4期修身教科書の分析を終えていた。スタッフはその教科書を@子供の望ましい行動様式に関する説話A天皇制に関する説話B社会や国家に関する説話−の3つの分野に分け、それぞれ「占領軍に不利な効果を及ぼさない」「占領軍の安全と成功を脅かすものではない」「米国の小学校の教材と大差ない」との結論を出していた。

 また、カリフォルニア州では、戦後、CIE(民間情報教育局)の教育班長を務めるホール氏が分析を担当し、昭和期の軍国主義への傾斜を問題視しながらも、「修身」そのものまで廃止するという結論は出していなかった。ホール氏は占領後も修身教科書の分析を続け、第5期の教科書については軍国主義・超国家主義的傾向を認めたものの、修身という教科の停止には否定的だった。

 しかし、マッカーサーを中心とする総司令部は、そうした分析結果にもかかわらず、修身の停止を強く求めた。昭和20年11月、CIEのダイク局長はホール氏を解任し、同年12月31日、修身・国史・地理の3教科停止指令を出した。

 地理はまもなく授業が再開され、国史も『くにのあゆみ』など文部省が編集してGHQの認可を得た教科書を使うという条件で「日本歴史」として授業が再開されたが、修身の授業は再開されなかった。

 ホール氏は後に自著で「修身教科書の詳細な分析は、問題となっている教科書が相対的に無害であることを示しており、全体に及ぶ禁止は適切なものではなく、もしそのような措置が実施されれば、『思想統制』と『焚書』を根拠とする深刻な非難にさらされるだろう」と書いている。

 今でも、「修身」という言葉を聞いただけで、拒否反応を示す知識人が少なくないが、形骸化した道徳教育を再興するためには、ホール氏の分析などを参考にしながら、修身の教科書をひもとき、戦後教育が失ったものを謙虚に学ぶ姿勢が必要だろう。それは、中教審委員や文科省の幹部にも言えることだ。

国籍不明の地球市民でいいのか 国際化で真に求められるものは

 歴史教育もそうだが、道徳教育も歴史上の人物を中心にした内容でなければ、子供たちの心に響くような授業にはならない。子供たちが日本に生まれたことに誇りを持つためには、先人の業績や遺産を通して日本の歴史と文化の伝統を学ぶことが大切である。そうした教育は、日本が国際化すればするほど、ますます必要になってくる。

 山崎氏が言うように、歴史教育も道徳教育も否定してしまっては、国籍のない地球市民は育っても、胸をはって外国人に自国の歴史を語れる日本人は育たない。

 伊吹文科相は6月7日の参院文教科学委員会で、道徳教育について、こんな答弁も行っている。

「再生会議は再生会議として1つの意見を言っておられるわけですから、これは傾聴に値することもありますし、傾聴に値するけれども既存の法律や何かとの関係でどういうふうに実現するのかなと私が考えなければいけないこともありますし、だから、ここでいろいろご議論もあることも参考にして、学習指導要領その他はどういうふうに作るかというのは中教審に当然諮って、最終的には私が責任を持って判断いたします」
 伊吹氏は再生会議を中教審への単なる意見の具申機関とみているようだが、それは違うのではないか。

 教育再生会議は、安倍内閣の最重要課題である教育改革を検討する首相の直属機関である。官邸主導による迅速な公教育再生を目指す安倍首相の肝いりで、昨年10月からスタートした。文科相の諮問機関である中教審と上下関係があるわけではないが、中教審で再生会議の報告に沿って審議を進めるのは当然である。次期指導要領の中身に関する最終判断は文科相が行うとしても、それは再生会議の提言を十分に踏まえたものでなければならないはずだ。

 再生会議の第2次報告以降、1、2週間に1回のペースで中教審の教育課程部会が開かれているが、7月13日の部会で、山崎会長の日本記者クラブでの発言を疑問視する意見が委員の1人から出された以外は、徳育の教科化や教科書づくりについて、議論らしい議論はほとんど行われていない。

 昭和50年代末から60年代にかけ、「戦後教育の総決算」を掲げる中曽根内閣の下に臨教審(臨時教育審議会)が設置され、個性の重視や国旗・国歌の尊重などを求める答申が出された。当時の教育課程審議会はこの臨教審答申を踏まえた検討を行い、それらは平成元年改訂の学習指導要領に盛り込まれた。

 また、平成12年、小渕、森内閣の下に首相の私的諮問機関として教育改革国民会議が設置され、教育基本法の見直しなどを求める最終報告が出された。これを受け、中教審で教育基本法改正の具体的な方向性が検討された。その後、時間はかかったが、昨年暮れ、「国を愛する態度」などの育成を求める改正教育基本法が成立した。

 首相直属の機関と文科相の諮問機関との関係は、そういうものである。
 これからの日本の教育の根本法規である改正教育基本法も、第2条の「教育の目標」の中で、「豊かな情操と道徳心を培う」と徳育の振興をうたっている。

 中教審は1日でも早く、教育再生会議が提言した「徳育の教科化と教科書づくり」の具体策について、本格的な検討を始めるべきである。


産経新聞論説委員
●いしかわ・みずほ 石川水穂

(略歴)
昭和22年(1947)三重県生まれ。
東京大学法学部を卒業後、産経新聞に入社。
前橋支局、社会部、特集部などを経て平成3年から社会部編集委員。
9年から論説委員兼務。
主として教育問題に携わり、歴史教科書問題や慰安婦問題などのテーマに取り組む。
共著に『大学を問う』(新潮社)、『教育再興』(扶桑社)など。
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