月刊正論:9月号から  
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産経新聞社「月刊正論」からEISへの提供コラムです。
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   特集 日本を貶める「歴史捏造」に徹底反撃する
 政も官もやらぬなら民がやる

  映画「南京の真実」製作で見えてきた情報戦の真実(P82〜90) 
 
チャンネル桜代表 映画「南京の真実」監督●水島 総 


 

1、
 私は今、米国ロスアンゼルスのビバリーヒルズのホテルでこれを書いている。映画「南京の真実」の撮影準備で渡米し、映画関係者との打ち合わせやロケハンをしているのである。時差のせいなのか、よく眠れず、今朝も早くからホテル近くのビバリーヒルズの住宅街を1人で散歩した。朝の太陽に木々の緑が輝き、爽やかな朝にその葉が揺れている。家々の前には色とりどりの花壇が点在し、のんびり犬と散歩をする女性、ジョギングをする中年の男女などに出会う。豊かで清潔で美しい街である。多分、アメリカ人の理想像のひとつが、この街に実現しているのだと思う。しかし、散歩しながら、実に「つまらない」と思った。こういう生活はしたくないと思った。自分がエイリアンのような気がして、この違和感は何だろうと考えたとき、この街に無いものを発見した。

「時間」である。

 ビバリーヒルズの高級住宅街は、時間を全く感じられない街だった。ただ、今(現在)を生きるだけの世界だった。現在の「幸せ」はあるが、古い歴史や伝統の匂いが皆無の世界だったのである。何か、空恐ろしい気さえした。そして、過去を消し去り、ひたすら現在を生きようとしているアメリカの一端を見たような気がした。

 同時に、南京大虐殺プロパガンダは、歴史における空間と時間をどう見るかの問題なのではと考えたのである。

 メイフラワー号で渡来し、建国をして以来、アメリカは、原住民の大虐殺を通じて西と南へ国を拡大し、内外のさまざまな戦争を繰り返しながら、ついに世界一の繁栄を築き上げた。日本に対しては、東京大空襲や原爆投下による日本国民の無差別大虐殺を行った。私は反米主義者ではない。むしろ、米国が近代主義的理念で造られた人工国家として、各民族の共生や混生が本当に可能かという、壮大な人類の実験に悪戦苦闘していることに大いに関心と興味を抱いている。

 世界の歴史から見ると、アメリカは、決して珍しい国ではない。このようなやり方で大帝国を築いてきた国家は、いくらでもある。特に、支那大陸は常にそれが繰り返されてきた。支那大陸を舞台に、国家を打ち建て、繁栄を築いてきたさまざまな民族国家も、「易姓革命」によって過去を否定し、今(現在)を生きる世界観で、その繁栄を築いてきたのである。そして、今、過去を否定し、米国の繁栄に自らの姿を重ねようと目指しているのが、中華人民共和国である。彼らの南京大虐殺キャンペーンは、「易姓革命」の一部であり、そこに本質がある。

 ビバリーヒルズの住宅街を歩きながら、口ずさんだのは、「麦と兵隊」だった。考えていたのは、支那大陸に上陸し、各地を転戦し、戦火に倒れていった日本の兵士たちのことだった。「徐州、徐州と人馬は進む、徐州いよいか住みよいか……」

 支那事変の勃発によって、10万を越える日本の将兵が支那大陸に向かい、何らかの解決(幸せ)を求めて、内陸部に進攻して行った。

 私たち日本人は、豊臣秀吉などを除けば、空間的な拡大の中に生き甲斐や幸せを求める民族ではなかった。むしろ、それぞれの「時間」を大事にして、時の移ろいの中に、いのちの営みの深さ、しあわせや哀しみ、「もののあはれ」を感受して、生きてきた民族だった。「侘び」「寂び」は、豪華絢爛な空間の否定であり、深い時間の肯定である。そして、その文化的象徴が、天皇と皇統であり、私たち日本人は、過去現在未来を貫く各々のいのちの時間を、皇統の中に重ね合わせて生きてきたのである。空間的な拡大や充実の内に生き甲斐や幸せを発見しようとする米国や支那大陸の人々とは、世界観の根本的違いが私たち日本人には存在する。

 しかし、「時間」の民族であったはずの我が帝国陸軍は、「山の彼方の空遠く 幸い住むと人の言う」カール・ブッセの詩のごとく、「解決」と「平和」を求めて、空間を拡大しながら、南京へ、そして徐州へと向かって行ったのだった。これまでの歴史研究によって、第2次上海事変から本格化した日本軍の戦線拡大と南京への道は、日本軍を内陸に引きずり込もうとした蒋介石の戦略によるものであり、実は日本と蒋介石を戦わせて、両者を弱体化させようとしたコミンテルン(スターリンや毛沢東)による謀略策動だったことが明らかになっている。

 しかし、結果として、その謀略に踊らされる形で、我が日本軍は首都南京攻略へ、徐州へと戦線を拡大していった。皮肉なことに、行き着いた果ては、日本の歴史始まって以来の敗戦であり、アメリカ型の近代主義価値観の物質万能の戦後日本であり、そして、南京大虐殺という歴史捏造の大冤罪だった。

 私は、大東亜戦争の敗北によって失われたものは、領土という空間だけではく、日本人の基底を形作ってきた「時間」を人生の基軸とする世界観だったと考えている。この世界観は、実は21世紀以降も充分、世界的普遍性を持つ哲学であり、明治維新以降、日本が近代化し、世界化していった過程で、次第に失われていった日本独自のものである。それを決定的にしたのが、敗戦だった。アメリカによって、日本独自の世界観は抹殺され、戦後日本は完全に作り変えられた。国体護持は、実質上、骨抜きにされていったのである。戦後日本は、空間の拡大と充実を本質とするアメリカ型の近代主義世界観が、完全に取って代わった。「歴史」や「時間」感覚が失われ、戦後日本人は、空間と物質の充実拡大に突っ走ったのだ。ビバリーヒルズの街が、理想のように考える「別の国」となったのだ。

「時間と歴史」の民族が、それを無視し、捨て去ろうと「未来志向」を目指した結果、その「失われた時間」から、今、逆襲されているのである。それが、いわゆる「従軍慰安婦」と「南京大虐殺」の世界的キャンペーンである。

 無論、この南京大虐殺キャンペーンが、現実問題としては、中国共産党の国家戦略から仕掛けられている情報戦争であるのは論を俟たないだろう。しかし、従軍慰安婦と南京大虐殺問題は、突き詰めていくと、結局、「日本問題」なのであり、私たち日本人のあり方を問う問題なのである。私たち戦後日本人がきちんとした意識と認識を持って、この歴史捏造キャンペーンに対処出来れば、こんなデマ宣伝など本来は問題ないのである。したがって、南京問題は、必ず東京裁判へと遡らざるを得ない。同時に、明治維新や日本の近代化のありかたまで、遡らざるを得ないのである。

 そういう「失われた時間を求めて」、私たちの映画「南京の真実」は企画され、製作が進められている。

2、
 10年前に遡る。南京陥落60周年の際、中国で初めて本格的な南京大虐殺映画が製作された。日本でも公開されたが、あまり評判にはならなかった。その時のことだ。私は「アジアの映像に見る戦後50年」というテーマで、フジテレビのドキュメンタリー番組を作っていた。韓国、タイ、フィリピン、日本等を取材して、初めて中国の南京を訪れ、数日間取材した。当時は、中国側がその頃のフジテレビを産経グループとして警戒し、江蘇省党委員会は、私の入国ビザをなかなか出そうとしなかった。何とか入国できたものの、南京市民に対する私たちのインタビューは、拒否されていた。まだ勉強不足だった私は、大虐殺30万はともかく、数万くらいの虐殺はあったのかと思っていた。しかし現地南京で取材していくと「何か変だぞ」という気持ちがどんどん強まっていった。

 というのも、日曜の早朝、随行していた「監視役」が寝坊して遅れたとき、私たちは南京の「自由市場」に出掛け、百数十人に「南京大虐殺って知っていますか」、と突撃インタビューを試みたのである。結果は、当事者である南京市民ですら、知っていたのは約6割だった。中には「蒋介石がやったんだろう」という人もいて、ほとんどがあやふやな知識だった。帰国後、私なりに調べ始めたが、調べれば調べるほど、南京大虐殺なるものは捏造だと確信するようになった。最初の南京大虐殺の映画が作られた当時は、日本でも、南京でも、この程度の状況だったのである。

 しかし、映画に連動するかのように、同じ年、米国では、中国系米人、アイリス・チャンが『ザ・レイプ・オブ・南京』を書き、50万部売れてベストセラーになった。もっとも、このベストセラーには裏がある。在米中国情報関係者や親中団体が、大量に購入して、ベストセラーを「製造した」のだと言われている。このやり方は、情報工作としては当たり前で、本年、南京大虐殺映画を十本以上製作し、世界中に配給しようとするやり方とも共通している。いずれにせよ、このアイリス本をきっかけに、米国内で大々的な反日キャンペーンが展開され始め、それから10年後、南京陥落70周年を迎え、今日の更なる世界的反日キャンペーン拡大へと連なって来たのである。

 当時から反日キャンペーンの戦略目的は、さまざまあった。抗日戦争のヒーローとしての中国共産党を自国民にアピールすること、抗日意識の醸成によって国民を団結させ、憎悪の対象を共産党に向けさせないこと、対米工作の一環として、米国民に日本への侮蔑と嫌悪を植え付け、強固な日米関係に楔を打ち込む等々である。これによって、米国と世界の人々に、日本の悪行、南京大虐殺、従軍慰安婦等を人類共通の認識にしようと企んでいるのである。

 日本に対しては、道徳的に貶めることで、両国間での優位を保ち、永久に、中国に日本国民が負い目を持ち続けることを目指している。極端な言い方をすれば、こんな野蛮で残酷な日本は、原爆を落とされても仕方ない国だという世界認識を確立することによって、原爆投下について米国が密かに抱く罪悪感を払拭する「共闘」を提案しているのである。

 視点を変えて言えば、中国共産党は自らの過去の時間を消し去りたいのである。迫害を逃れエジプトを脱したモーゼとユダヤ民族のように、あるいは、自由を求め、アメリカに渡ったメイフラワー号の人々のごとく、また、ホロコーストに遭いながら、イスラエルを建国したユダヤ民族のごとく、中国もまた悲劇を体験しながら立ち上がった「未来志向」の実験国家として、世界に、そして自国民にアピールし、認知を受けたいのである。遺憾ながらお人好しで平和的(実は臆病の代名詞)な日本は、格好の「標的」や「好敵手」となるのである。

 しかし、現実の中華人民共和国の歴史は、アメリカやイスラエルとは、全く異なる。建国以来、大躍進、文化大革命、天安門事件等々によって6000万とも7000万とも言われる自国民を死に追いやり、チベット族120万人の民族浄化と虐殺、ウィグル族の弾圧虐殺、法輪功の弾圧虐殺等、血塗られたおぞましい過去の歴史が厳然と存在する。それに加えて、建国以来約60年の短い間に、台湾、朝鮮での国連軍、チベット、ソ連、ベトナム等々の国々と戦火を交えてきた「好戦国家」である。そして、これまで1度たりとも、民主的な選挙を行ったことの無い1党独裁国家でもある。こういう国が、哀れな被害者の顔をして、悲劇の主人公を世界中で演じようとしているのである。茶番劇と言ってしまえばそれまでだが、今回の映画製作による宣伝工作の力は侮れないものがある。先年起こした反日デモの失敗に懲りた結果なのか、今回の反日キャンペーンは、日本を外して、米国を中心とした世界中の国々を対象にして行われようとしている。「外圧に弱い」日本を十分意識して、搦め手から攻めようというわけである。

3、
 注目すべきは、この10年の内に起きた中国の政治的経済的強大化は、その文化戦略の規模と質を本質的に変化させたことである。南京大虐殺キャンペーンは、これまでの規模をただ拡大しただけのものではない。質的に変化したのである。

 それは「対日戦争準備」のためのキャンペーンだということだ。

 中国は、来年の北京オリンピック以降を考えているのである。オリンピックという国家的大目標が終了し、国民をまとめる対象が失われたとき、中国はこれまで以上に混乱を極めるに違いないのである。その内政問題への対処を考えているはずなのである。最も有効な方法は、共産党に矛先が向かぬよう「大敵」を作ることである。よく台湾への武力侵攻が言われているが、台湾との武力衝突は、「窮鼠猫を噛む」の喩え通り、中共政権そのものが崩壊する危険が多々ある。

 しかし、台湾「解放」を選ぶリスクよりも、まず、精神的にも弱く、国家意識の薄弱な日本を敵とすることの方が現実的なのである。私は、中国が台湾の武力侵攻の前に、中国が尖閣列島の軍事占拠を行い、日本と米国の出方を探るやり方をしてくるだろうと考えている。占拠直後に、米国からの厳しい警告が出たら、米国の面子を立てる形で引き揚げても良いのである。領土を一時的に占有したという実績は残るのである。尖閣は日本固有のものだと中国は知っているが、この一時的占拠によって、領土問題で日本と対等に交渉できる立場を得られるし、領土、領海奪取の第一歩としては上出来なのである。部分的に日本を屈服させることで、日本との決定的な分裂や対立を避けつつ、経済関係は維持し、反面中国の国民にはナショナリズムを鼓吹して満足させるのである。一方、アメリカの顔を立てる姿勢を見せながら、アジア諸国に対しては、しっかりアジアナンバーワンの国として、覇権と影響力を確立できるのである。

 つまり、私の判断では、今度の映画による南京大虐殺キャンペーンは、これまでの反日キャンペーンとは、量、質とも危険な形で本質的変化を遂げて、「対日部分戦争への準備」として実行されているのである。また、そう考えるべきである。間違えてもらっては困るが、全面戦争と言っているのではない。地域紛争を装い、あくまで自国の核ミサイルシステムを脅迫の背景にした部分的な「戦争」である。これは決して、絵空事では無い。そういう意味からも、この南京虐殺キャンペーンに対抗する映画「南京の真実」の製作は、単に中国の文化戦略と情報戦に対抗するだけではなく、わが国の防衛・安全保障の一端を担っているものだと考えている。私とスタッフは、この情報戦争を戦う兵士であるとの自覚も持っている。原爆を落とされても仕方の無い残虐で野蛮な民族、日本という世界共通認識の下に、現実の戦争を起こさせてはならないのだ。そのためにも、私たちの映画製作は必要なのである。

4、
 さて、この本質的変化を遂げた「対日戦争準備」反日キャンペーンは、中国の膨大な(ように見える)マーケットを餌に、中国ビジネスへの参入を望む国際企業の国際反日ネットワーク網の構築をも目指している。

 その口火を切ったのが、中国でのインターネットビジネスの展開を狙う米国大手インターネット企業「アメリカ・オンライン」(AOL)のテッド・レオンシス副会長である。彼が中国国営テレビ局と共同製作したハリウッド映画「南京」は、昨年12月、米サンダンス映画祭でドキュメンタリー編集賞を受賞した。監督はアカデミー賞のドキュメンタリー部門で2度も受賞したビル・グッテンターグである。

 今年は、その他にも、10本以上の南京大虐殺映画が製作される予定である。その総予算は2百数十億から3百億円に上ると言われている。例を挙げると、中国共産党がバックアップして、中国の陸川監督による「南京!南京!」は、40億円以上の予算で撮影を開始している。カナダでも、反日謀略の最大組織と言われている世界抗日戦争史実維護連合会のカナダ・トロント支部が、テレビ向けの映画を作り始め、別のハリウッドの製作プロダクションと中国政府系の江蘇文化産業集団によっても、製作費45億円をかけて、南京大虐殺映画が共同製作される。これには世界的な有名女優となったチャン・ツィイーが起用されると言われている。

 更に、製作費15億円掛けて「南京聖誕1937」の撮影を年末から始めるという。ブラッド・ピッド、ニコール・キッドマン、金城武が出演の予定という。この他、「トゥームレイダー」のサイモン・ウェスト監督は製作費60億円の「ザ・レイプ・オブ・南京」の撮影を開始したと伝えられ、「プラトーン」のオリバー・ストーン監督も作家ケビン・ケントの小説『南京』を基に製作構想を進めているそうである。

 かくのごとく、目もくらむような膨大な資金を使って一流の監督や製作者、俳優をかき集め、中国は「南京大虐殺」キャンペーン=情報戦争を推進しようとしているのだ。

 もうひとつ指摘しておかなければならない点がある。実はこの膨大な資金を使う南京大虐殺映画の製作は、中国共産党幹部と世界的な国際企業を金で結びつけるダーティーなビジネスとしての側面も持っている。

 中国の国家ぐるみの一連の文化(映画)戦略に対して、中国ビジネスへの参入と展開を狙い、共産党幹部との「良好な関係」構築を望む国際的大企業が、競って映画製作事業に参加するようなのである。昨年末、最初に南京虐殺映画を製作したプロデューサーのテッド・レオンシスが、アメリカ・オンラインの副会長だというのが、このことを良く示している。

 同時に、この映画製作費は、映画製作という名前を借りた中国共産党幹部への「献金」となる可能性が大であることも指摘しておきたい。以前、ジャーナリストの青木直人氏が、この献金(賄賂)システムについて言及し、私にも教えてくれた例がある。「中国身体障害者連合会」の主席はケ小平の息子・ケ朴方だが、ここに日本の商社やコンビニ会社が競って膨大な寄付をするのである。彼らが障害者に同情して大金を献じるのではない。障害者福祉という美名の下、その団体の役員を独占する共産党幹部に大金をばら撒き、「良好な関係」を構築して、商売をうまく展開しようとするのである。私には、今回の一連の大予算映画製作にも、この献金構造のにおいがぷんぷんするのである。これからの南京大虐殺映画に出資する企業の名前を是非注目していただきたい。

5、
 さて、このキャンペーンに対して、南京大虐殺など「無かった」と主張している映画は、私の製作する「南京の真実」が唯一の作品である。愚痴に聞こえると困るが、この映画製作を情報戦争としての視点で見たとき、片や中国政府が国家を挙げて支援し、数百億円の製作費と物量、人材、マーケティング力等々を駆使して、世界中に宣伝し、配給を行おうとしているのに対し、私たちの製作予算は2億に届かぬ金額である。比較にならぬほど圧倒的な差がある。宣伝戦、情報戦の現実は、物量、すなわち宣伝の量や回数、場所を確保するお金の額で決まるからである。こういう厳しい現状ではある。

 しかし、私も私のスタッフも全く絶望などしていない。強がりで言うわけではないが、闘志満々である。なぜなら、私たちには何よりも「真実」がある。そして、不当な冤罪を着せられた靖国神社の英霊の汚名を晴らすという使命への誇りと自負がある。また、現実面から言っても、彼らの映画が宣伝されればされるほど、私たちの映画も注目されるようになるだろう。彼らの映画が、全て我々の宣伝(映画)と考えれば、私たちの映画が、世界中の多くの皆さんに観てもらえる可能性は大いにある。やや無理があるが、そのように楽観的に考えることに私は決めている。

 映画製作の資金についてだが、7月20日現在、全国草莽の皆さん4千226名(延べ)から、1億4千897万8008円をお送りいただいている。私たちには大きな企業からの資金提供は1円も無い。中国ビジネスの関係もあるから、私たちの映画にかかわって、商売がうまくいかなくなったら大変だということだろうし、私たち自身も全く望んでいない。ただ、英霊の冤罪を思うとき、何か日本人として、寂しい思いがするのは確かである。しかし、支援者の中には、少ない年金から毎月3千円をお送りいただいている元兵士の方もいる。胸の詰まる思いである。この貴重なお金を1円も無駄にすることなく、映画製作を実現するつもりである。

6、
 それにしても、今回の中国による世界的な南京大虐殺キャンペーンは、日本だけでなく、世界中のジャーナリストがその性根を試されることになるだろう。東中野修道・亜細亜大教授などの長年の労苦によって、南京大虐殺が歴史的捏造であったことが明らかになりつつある。少なくとも将来、中共政権に大変化が起きたとき、さらに明確に、この歴史的捏造が暴露されるだろう。しかし、今、世界の映画人とジャーナリスト、知識人たちが、知らない間に、あるいは金儲けのために、歴史的捏造と冤罪加担のサポーターに仕立てられようとしているのである。

 たとえば、米国スタンフォード大学敷地内には、中国系民間団体からアイリス・チャンの銅像が寄贈され、展示されるようになった。これと同じ銅像が南京市にある「南京大屠殺記念館」にも展示されている。その虐殺記念館は、現在、中国政府によって、「世界遺産」に登録すべく、40億をかけて拡張工事をしている。この虐殺記念館の由来は、社会党委員長だった田辺誠が建設を提案して、中国側が資金難を理由に渋ると、総評がお金を寄付したという事実も伝えられている。結局、南京問題は、日本問題だと述べたのもこういう現実から来ているのだ。

 この情報戦の帰趨は、部分戦争勃発の可能性も含めて、世界における日本の将来がかかっていると言ってもいい。南京大虐殺や慰安婦問題が、世界的に確定認識となれば、日本が将来どんなに経済発展し、大国になろうとも、いくら経済援助を他国に為そうとも、侮蔑、軽蔑の対象民族、国家であり続けなければならないのだ。現在を生きている私たち日本人が非難を浴びるのはいい。しかし、何の罪も無い私たちの祖先と子孫がいわれ無き汚名と侮蔑を呼ぶような将来への禍根を残すことは、私たちの無責任であり、怠慢であり、不作為の犯罪であるとも言える。いや、それ以上に、大東亜戦争で倒れた英霊に、どう申し開きが出来るというのか。

 南京大虐殺なる歴史的捏造は、あの東京裁判の場で、初めて世界に公表されたといっていい。私たちの視線と志の果てには、あの極東軍事裁判があり、東京裁判史観の打破が想定されている。

 それは私たち日本人が、日本人としてのアイデンティティーを取り戻すきっかけとなるに違いない。南京大虐殺キャンペーンへの反撃は、単なる中国共産党の歴史捏造に対する否定運動だけではない。日本人の「失われた時間を求めて」、日本人の魂を取り戻す精神復興運動なのである。

 次回からは、日誌風にプロパガンダとの戦いの現場報告を記していければと考えている。
 
  もののふの やまと心を より合せ
       ただひとすじの 大綱にせよ
              野村 望東尼


名古屋大学専任講師
●みずしま・さとる  水島 総

(略歴)
昭和24年(1949)静岡県生まれ。
昭和47年早稲田大学第一文学部卒。
日本映画監督協会会員、日本脚本家連盟会員。
映画、テレビの主な監督作品に「奇跡の山」、「南の島に雪が降る」、「車椅子の花嫁」(プラハ国際テレビ祭視聴者大賞)、「アトランタホテル物語」(ギャラクシー賞奨励賞)、「夢の帰る場所」、「フィリッピーナを愛した男たち」など。
平成16年夏、日本文化チャンネル桜を設立。キャスターとしても活躍。
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