月刊正論:7月号から  
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産経新聞社「月刊正論」からEISへの提供コラムです。
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   あえて問う! アメリカ人は原爆投下についてどう教えられているか

  慰安婦対日非難決議の前に自らを省みることはないのか (P106〜116)
 
国際問題評論家●わたなべ・みのる 渡邊 稔


(頁 前へ 1・2 )
 

歴史教科書の原爆投下の記述

 米政治評論家のジョージ・ウィルが「第二次大戦では、米国は東京大空襲で一気に日本側の民間人8万3000人を殺し、広島への原爆投下では一瞬にして8万人を殺したように、日本人一般への人道上の配慮はまったくなく、米側では日本民族全体の絶滅さえ提案されていた」と述べている(同紙2月26日)。それを裏書するように、米国のある歴史教科書は原爆投下に関して、次のように描いている。
 
《フランクリン・ルーズヴェルト大統領は1945年4月12日に死去し、ハリー・トルーマン副大統領が後を継いだ。新大統領は原子爆弾のことを知っており、その使用の重大性について比較考察を始めた。一方では、この爆弾は投下されたどの都市でもものすごい数の罪無き人々を殺害するであろう。これらの人々は死にもだえ苦しみ、身の毛もよだつ死を迎えるだろう。しかしその一方で、この爆弾を使わず、また日本への侵攻に着手しなければ、おそらく数百万以上の日本人、米国人の命を犠牲にして、この戦争がもう1年長引くこともありうる。

 日本への原子爆弾投下の数日前、米機が恐ろしい新兵器について日本国民へ警告するビラを投下した。いわく、諸君の指導者たちが戦いを止めなければ、諸君に対しこれが使われると。だが日本の軍国主義者たちは降伏をあくまで拒んだ。彼らに降伏する意志は無いと明らかになって、この爆弾を使用すると決定された。

 1945年8月6日、エノラ・ゲイと呼ばれたB−29が、人間に使用された最初の原子爆弾を投下した。それは広島市の2分の1を破壊し8万人以上を殺害した。爆心地では7平方キロの範囲を完全に平らにするほど、この爆弾は強力であった。

 広島が猛烈に破壊されても、日本人はなおも降伏を拒んだ。3日後、ボックス・カーと呼ばれた別のB−29が長崎市に2番目の原子爆弾を投下した。これは4万人ほど殺害した。ようやく、日本の軍指導者たちはもうたくさんだとなった。8月14日に彼らは降伏した。6年間というひどい年月の末、第二次世界大戦は終わった。》(Walter A. Hazen, "World War II Pacific”, Frank Schaffer Publications, 1997)
 
 記述は2ページにわたり、それぞれのページには観測機から見た原爆雲の写真、廃墟となった礼拝堂の全景写真が掲載されているが、ともに人気の無い、無機質な光景ばかりである。非戦闘員である老人、女性、子供達といった今日でいう生活者たちの悲惨な姿は皆目見えない。特に廃墟の写真は、欧州戦線の瓦礫化した建物の写真と言われても区別がつかない。視覚に訴えていない以上、人類が経験したことの無い原爆の惨状が伝わってこない構成なのだ。

 ともかくこの教科書の執筆者は、原爆投下を決定づけたのは「頑迷な日本の軍指導者たち」であり、原爆投下が米国にとって正当な作戦行動だったとしている。このため、米国民の多くは「被爆者は、日本の軍部の決断が遅かったための犠牲者に過ぎない」、「原爆投下は、戦争の継続による日米両方の犠牲者の増大を防ぐためにやむをえなかった」と思い込まされている。事実、在郷軍人会などの圧力で故意に情報が遮断されているから、大惨事の内容は伝わらない。

 この「広島と長崎」の項の前に、「立案された日本への侵攻」という項があって、とんでもない数字の戦争犠牲者予測が出てくる。日本本土への攻撃で予測される米兵犠牲者は、米国一般に知られている数字は50万人であるが、政治的配慮なのだろうか、倍の百万人という数字を出している。さらに、犠牲者推測の水増しどころか、日本人が竹槍を使って数百万の犠牲を出すだろうとか、日本の国土に入れば、1インチごとに激戦となるといった非現実的な仮説を出して、推測数字が正当であるとの裏付けにしている。
 
《日本への侵攻は2つの別個の攻撃からなる必要があった。まず、最南端の島、九州への強襲が1945年11月に予定された。2番目の攻撃は1946年3月に行い、日本で最も人口の多い島である本州への侵攻を含めようとしていた。

 軍事立案者は百万人の米国人と数百万人の日本人の命を犠牲にすると見積もった。日本軍の狂信的な抵抗以外に、日本全土で民間人が、細く削った竹槍のような簡単な物も含めて、種々の武器の訓練を受けていた。さらに、日本軍は米国の攻撃に抵抗するよう九州を基地とするおよそ1,600機のカミカゼ飛行機を持っていた。日本への陸地侵攻はたぶん犠牲が大きかった》(同書)
 
 ここには設問があって、「日本への侵攻は予測されたくらい多くの死者数を出す結果になったか?」、「日本の首都にその爆弾を−−註:原子爆弾とは言っていない−−落とさなかった理由は何か?」、「なぜ広島と長崎といった都市に原子爆弾が投下されたのか?」と尋ねているが、日本の教科書であれば、絶対と言っても良いほどありえない政治的軍事的な質問である。

 教え方によって米国人の対日戦観に大きな影響があるので、中学校以上の学校の教員向け教則本も見てみる(Grace Kachaturoff著、゛米国史のハイライト、1850年から現在まで″)。
 
《ナチスの科学者たちがウラニウムでの原子核分裂を製造研究しているとの報が合衆国にもたらされた。合衆国と英国は直ちに、幸いにもドイツよりも先に、その武器の開発を開始した。1945年7月16日マンハッタン計画(註:原爆開発計画)の科学者たちは史上初の核爆発を目撃した。ポツダムにいたトルーマン大統領が原子爆弾のことを知らされると直ぐに日本に対して即時降伏をするよう命令する最後通告を発した。大統領は8月3日、合意に至らなかった場合にはその新しい原子爆弾を日本に対して使用する命令を出した。その爆弾を使用するにあたり、合衆国は正当化されたかどうかについて論争がある。1945年8月6日、原子爆弾は広島に落とされ、その後再度長崎市に落とされ、それは民間人の人命の大損失、すさまじい負傷と疾病、そして両市の完全な破壊を引き起こした》
 
 本文はこれだけであるが、推奨する「指導活動」という短い別項があり、具体的に教師に説明させたり、生徒に考えさせるためのものだ。トルーマン大統領の信念を理解させる内容になっているが、戦争と平和についても積極的に教えようとする気配は見える。
 
《原爆が広島の上に落とされ、街を破壊しものすごい数の人々を殺害した。それでもなお、日本は降伏しようとはしなかった。2、3日後、2番目の爆弾が長崎に落とされた。ハリー・トルーマン大統領は、原爆を使う以外に他の手段は無いと信じて決定を行った。彼は自分の決断を次のように言うことで正当化した。「真珠湾で警告無しに我われを攻撃した連中に対して、米国人の戦争捕虜を餓死させ殴打し処刑した連中に対して、戦時国際法遵守のすべての要求を放棄した連中に対して我われはこの爆弾を使った」

 戦時に原子力兵器を使用することについてどう感じるか述べた作文を学生に書かせること。トルーマン大統領は正当化されたか?なぜ?もしトルーマン大統領だったら、学生らは同じ決定をしただろうか?なぜ、あるいはしない理由は?

 クラスでは「広島のピカ」と題した丸木俊の本を口に出して読むこと。これは戦争と平和について説得力があって極めて感情に訴える記述である(“Hiroshima No Pika”, New York: Lothrop, Lee & Shepard Books, 1980)。
 クラス討論:戦争の意味とは何か?戦争の帰結は何か?他の人間に対する人間の責任とは何か?》
 
 低学年用教科書として、グレード4から8+用となっているから、日本でいえば小学校3年生から中学1年ないしは2年生のための、世界史の教科書がある。1942年から45年の間の海戦や諸島の攻防戦を地図で表記して説明する一方、原爆に関した記述はあまり多くない(“The complete book of WORLD HISTORY”: McGraw-Hill)。
 
《20世紀には戦争用の設備や兵器の技術的進歩は急速だった。(中略)第二次世界大戦中、合衆国では新しい戦争技術の獲得として、科学者たちが原子爆弾を開発し、それが日本に対し使われて日本に大惨事の終焉をもたらした。1942年、合衆国は極秘の核研究プロジェクトを立ち上げ、1945年7月に最初の原子爆弾がニューメキシコでの実験で爆発した。1カ月後、日本の広島と長崎に原子爆弾が使われて戦争を終わらせた。日本に投下された原子爆弾はおよそ13万人を殺した。それ以上の人が放射能と熱傷を喫した》
 
 中学校以上の学校の教員向け教則本と同様に、グレード4から8+の低学年用教員教本もある。内容は歴代の大統領についての教本であり、原爆に関した記述は長くない(“Presidents Third Edition”, by Jerry Aten: Good Apple an imprint of McGraw-Hill)。
 
《ハリー・トルーマン(在任1945年−1953年)
 ルーズヴェルトの死で、トルーマンは米国史上最も重大な決定を幾つかせざるを得なかった。早期の降伏を余儀なくさせるため、日本に原子爆弾を落とすことが彼の決定であった。
 ルーズヴェルトの死後大統領職に就いてから(中略)トルーマンはドイツのポツダムに出向き、ロシアのスターリン、英国のチャーチルに会って、日本の降伏の最後通告を発した。日本に「爆弾」を落とすという彼の決定は日本に降伏を急きたて、かつ米国人の生命を救うという利益のもとに行われた。
 コラム・大統領のトリヴィア(註:雑学知識):質問。トルーマンが日本の降伏を急かすため命令して「爆撃された」2つの都市はどことどこだったか?》
 
 たったこれだけの内容である。しかも日本の降伏を早めるためという手段が、単なる爆撃のように設問ができていて、広島、長崎の大惨事など想像できる描写になっていない。

米国の覇権目的の教育

 それではこういった教育を受けてきた成人の知識はどうであろうか。米国の友人に原爆投下についてどう教育を受けたのか尋ねてみた。1人目は、筆者とは30年来の交友がある60歳代後半の常識ある中西部在住の男性である。製品マーケティングの仕事で頻繁に来日した経験のある人だ。彼は期待した通りの答えを返してきた。
《学生時代も社会人になってからも、原爆について最も一般に認められている立場は、戦争の終結を速め、陸上進攻にともなう米国人の犠牲者の数を大いに低減させるために原爆が落とされたということだ。だが合衆国には原爆を落としたことは誤りだったと感じる人々がいつもいた。時が過ぎるにつれて、この意見に同調する人が非常に多くなっているようだ。

 私の意見は、実際に戦争を経験していて今なお原爆攻撃は最善の選択肢だったと考える人たち(私と同年齢かもっと年上)と同じだ。第二次世界大戦の経験がない若い人々は、原爆攻撃が良い決定ではなかったと考える傾向が強くなっているように思える。ただ後知恵ならいくらでも言える。

 私としては、原爆を密集した人口の地域よりもむしろ人口がずっと少ない地域に落とすことによって原爆のパワーをはっきり示せたのではないかと、いつも思ってきた。

 もう1つ引っ掛かることは、当時のトルーマン大統領は戦争での尽力について、何が続くのか詳しく知らないで大統領に就任したのではないかということだ。原爆開発計画の詳細を全然知らなかったと主張する報告がいくつかある。多分、大統領でさえ情報をまずく受けて、その時点の最善の決定をしてしまったのだろう》

 彼は極めて温厚な人で日本人の友人も多く、人種意識は微塵も感じられない知日家というよりも親日家と呼んだほうが正しいだろう。その彼も、原爆攻撃による死傷者の数は聞いているとしても、感覚的に実感が湧かないのではないかと思える。

 もう1人は、筆者の米国在住時代の秘書をしていた女性で、シカゴ出身の彼女は50歳前半の主婦である。平均的な主婦層に入ると考えてよい。

《中学校の時は、「降伏をしないなら原爆を落とす」という警告をしたのに、日本が無視したから落としたと教わった。だけど大人になってからは、そんなことは信じられない。合衆国はそれがそうなることを望んだからだと思う。だって、政府がここでやっているやり方(註:イラク・アフガニスタン攻撃を指すと思われる)と同じでしょ》

 いたって明快な返事である。そこには微塵も原爆の犠牲者への思い遣りなどない。それだけ原爆の惨禍についての情報を与えられていないということなのだろう。

 稀に広島・長崎を訪れた人がいて、惨状を知り衝撃を受けても、2通りの反応がある。片方は犠牲者に同情を示すか、もっと深く考える人は米軍の非人道的な行為に悔恨の情を示す人々であるが、これは少数派だ。もう一方は、被爆者とは日本の軍部の決断が遅かったための犠牲者に過ぎない、あるいは米国が広言している戦争の継続による日米両方の犠牲者の増大という主張を信じてやまない人々である。まして軍隊での命令は絶対であるから仕方がないと言う人々で、特に退役軍人らは口を揃えて「任務は忠実に実行されなければならないから、命令があれば再度原爆投下をする」と言っている。

 しかし原爆投下の真の理由が「日米双方の犠牲者を減らすためではなかった」ことを、当の米国の学者たちも認めている。例えば、1993年8月11日付のニューヨーク・タイムズは、公開された米国防総省の国家安全保障局(NSA)の機密資料を基に、広島への原爆投下の約3カ月前に、旧日本軍の上層部が連合軍に降伏する意向を抱いていたことを示唆する情報を米国が傍受していた、と報じた。そして、この資料を精査したある米国の研究機関員の「原爆投下が完全に不要だったことを示している」とのコメントを紹介している。また、米スタンフォード大学のバーンスタイン教授は、「原爆投下は、計画されていた日本本土上陸作戦を無用にし、米軍兵士50万人の生命を救うために決断された」との説は虚構であり、「上陸作戦による米軍犠牲者の実際の予測数は4万5000人であり、原爆投下の目的は日本に懲罰を加えることと、原爆開発にかかった約20億ドル(現在の貨幣価値に換算すると約2兆5000億円)の政治的結果を求めたのだ」と結論づけている。簡単に言えば、納税者である米国民に費用対効果を納得してもらうためのデモンストレーションだったということである。

 これらのことから分かるように、米国の歴史教科書は専門家の結論とは異なる解釈で書いている。では、なぜ米国の歴史教科書は、原爆投下正当論を載せているのだろうか。実は米国の歴史教科書には、あたかも初級軍人に対する講義の内容であるかのように、戦略的な観点が強調された記述や設問が多い。米国は歴史教育を通じて、子供達に大量の戦争情報、軍事情報を与えているのである。それは、同国独特の国防戦略に起因している。

 米国は国防戦略を英仏との戦いで得た教訓から練り上げ、19世紀に完成させた。その要点は、守備地点が本土から遠くなればなるほど国民大多数が住む本土への危機が迫る確率が減る、という考え方である。そこで、まず北米大陸の保全を始める。西海岸まで国境を持たないよう、現在のテキサス州から西に領土を持っていたメキシコを追い出した。

 次に南米大陸に防衛網の範囲を広げ、パナマやベネズエラに権益を得て、その権益保全に武力介入する正当性を獲得する。次の展開は西大西洋と東太平洋を守備範囲にすることだった。国力の落ちたスペインの植民地は絶好の餌食で、米国の自治領はスペイン語圏が多いことでも分かるように、米西戦争という絶好の機会を捉えて戦略の実現を図った。独立国ハワイやフィリピンも戦略に沿って支配下に置いた。20世紀に入ってアルフレッド・マハンの「海上権力史論」に代表される制海権獲得が明確な戦略として確立した。

 このようにして米国は防衛網構築の戦略を実現した後、2つの世界大戦と冷戦を経て、世界の覇権国となった。だが、世界各地で覇権を維持するためには相当な努力がいる。軍事力の絶対的維持と仮想敵に対する優位、そしてそれらを支える経済と教育である。特に教育で子供達に自国に都合の良い歴史観や情報を、しかも詳細に与えて従属国の人々との論争で負けないように理論武装をさせている。歴史教育は米国にとって、従属国を知識の上でも精神的にも支配し、世界覇権を維持するための重要な戦略ソフトウェアであり、強力な武器なのである。

国際問題評論家
わたなべ・みのる 渡邊 稔

(略歴)
 渡邉稔氏 昭和19年(1944年)生まれ。
東京都出身。
山梨大学工学部でマイクロ波通信などを学び、放送機器メーカーに勤務後、小売業の在庫管理コンピューターシステムの開発に従事。
在米5年、在韓3年の経験を生かし、平成12年、竹本忠雄、大原康男編著「再審『南京大虐殺』」(明成社)の英訳「The Alleged゛The Nanking Massacre″」を担当。
著書に「アメリカの歴史教科書が描く『戦争と原爆投下』」(明成社)。

 

 
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