戦後日本が、戦前にたいする深い反省、ないし否定のうえに成り立っていることは、それを「良い」と見なすか「悪い」と見なすかはともかく、一般的に受け入れられた認識である。またこの認識が、少なくとも表面的なレベルにおいて妥当なのも間違いない。だが戦前と戦後の歴史を、「社会システムの栄枯盛衰」という視点より比較するとき、両者には瓜二つと形容してもさしつかえないほどの共通性がうかがえる。
戦前のわが国は、明治維新によって従来の幕藩体制をくつがえしたのち、近代化に対応した新しい社会システムの構築に着手した。たいする戦後日本は、敗戦と占領によって戦前のシステムがくつがえされたのち、あらためて近代化に対応すべく、新しい社会システムの構築をめざしている。もとより明治維新の前と後とで全てが断絶してしまったわけではないし、戦後日本にしても戦前を継承した要素を多々持っているのだが(現行憲法さえ、形式的には「改正された明治憲法」なのだ)、どちらの場合も「いったん万事を御破算にして出直す」という意識が強く存在していたのは疑いえない。
くだんの新システムは、約20年間で基本的な完成にいたる。維新から22年目となる1889年、わが国は大日本帝国憲法を発布、翌年には第1回の議会を開催するなど、近代国家の体裁をととのえた。戦後の場合も、敗戦より19年を経た1964年には東京オリンピックが開催されており、高度成長とあいまって経済大国化への道筋がつく。東京ではオリンピックを契機として高速道路の敷設やビルの新築が進み、街並みが一変したといわれるし、新幹線が運転を始めたのもこのときであった。
つづく25年あまりは、できあがったシステムのもと、めざましい成果のあがる時期となる。戦前でいえば、わが国は1890年〜1915年の期間(=明治後半から大正初頭)にかけて、日清戦争と日露戦争に勝利、台湾と朝鮮半島を植民地にしたうえ、いわゆる「21ヶ条要求」を中国に受け入れさせ、同国における権益の拡大をはかった。戦後であれば1965年〜1990年(=昭和40年から平成初頭)は、繁栄の道を突き進んでバブルに達した期間にあたる。
ところがどちらの場合でも、この直後から国の取るべき方向性がはっきりしなくなり、「物事を大きく変えないかぎりダメだ」という閉塞感が広がりはじめる。大正時代後半のわが国では「改造」なる言葉が流行し、それが昭和に入って「革新」や「新体制」にまでエスカレートした。片や戦後も、平成初頭いらい「改革」がえんえん叫ばれ、時とともに急進性の度合いを増している。
戦前におけるシステム変革の試みは「国家主義の強化を通じたアジアでの覇権確立」をめざしたあげく、明治維新の約80年後、敗戦という巨大な挫折によって終わった。それにならえば、目下行われているシステム変革の試みの成否にしても、敗戦80年目にあたる2025年あたりに確定することになろう。今回も巨大な挫折が待っているかはさておき、戦後日本のシステムが、そう遠くない将来、何らかの形で根底から変わらざるをえないのは確実と思われる。
ゴダール発言の意味するもの
だがどうして、近代日本の依拠する社会システムには、戦前と戦後とを問わず「50年前後でほころびはじめ、80年程度で寿命が尽きる」特徴が見られるのか。これを考えるにあたって注目したいのは、フランスの有名な映画監督ジャン=リュック・ゴダールが、1983年のベネチア映画祭で語ったコメントである。ゴダールは同映画祭でグランプリを獲ったのだが、「私は今まで単に映画を作ってきただけ」と前置きしつつ、このように述べた。
「私の考える限りでは私が死んだら、その時は一緒に映画(という表現形式)も死ぬでしょうね。映画もそんなに永くは生きられません。1人の人間と同じくらいの寿命−−80年か90年くらいですね」(梶原和男編『ゴダールの全映画』、芳賀書店、1983年。135ページ。カッコは引用者、以下断りのないかぎり同じ)。
ゴダールが正しければ、近代日本の社会システムは「個人の生涯と同じ程度の寿命しかない」点で、映画と通じていることになる。だとしてもなぜ映画には、80年か90年くらいの寿命しかないのか。先に引用したコメントでは、このことに関する説明はないものの、1965年に行われたインタビューを読むと、これを理解する鍵となる発言が登場する。「政治的な題材を、個人のドラマとして撮る気はないか」という質問にたいし、ゴダールはこう答えているのだ。
「純粋に政治的な題材を扱うのは難しい。(中略)政治は過去と現在の両方に関わる形で成立する。たとえばチャーチルの回想録を読むことは、現在の世界で起きていることを理解するために役立つのだ。『なるほど、かくかくしかじかの(歴史的な重要性を持つ)会談に臨んだとき、彼はこんなことを考えていたのか』という具合にね。ところが当の会談が開かれたのは、20年も前の話とくる。この構造を映画に盛りこむのは大変だ。映画は現在のみに関わるものだから、時間がないんだよ」(ジャン=リュック・ゴダール『シナリオ・気狂いピエロ』所収。ロリマー出版、英国。1984年。17ページ)。
ここでいう「時間がない」は、作品を1時間半か2時間程度にまとめなければならない分量的な制約ばかりを指すものではない。ゴダールが指摘するのは、多額の資金とスタッフを必要とする映画製作は、つねに時流(=現在)を追わねばならない宿命を負っているため、「現在の背後に過去の集積がある」構造を実感させる作りにはしづらいということなのである。たとえ過去にポイントを置いても、今度は現在の方が盛りこめず、くだんの構造は表現できない。
また映画は基本的に「撮影の瞬間、カメラの前で起きること」をそのまま提示する。つまり映画の表現は「過去にこんなことが起きた」ではなく、「今こんなことが起きている」という感覚を伴うのであり、「永遠の現在形」とも呼ぶべき特徴を持つのだ。あらゆる瞬間が「現在」である以上、これは時間(の流れ)が存在しないことにひとしい。映画は「現在のみに関わる」から「時間がない」のだと、ゴダールが喝破したのも当然のことであろう。
しかしこれは、映画が作られるたびに「過去になろうとしない現在」が増えてゆくことを意味する。いわば時間の流れがせき止められる形になるのだが、このような状態がつづくなら、遅かれ早かれ「現在」が飽和状態に陥り、「未来」が現在に流れこむこともできなくなるに違いない。「過去になろうとしない現在」とは、とりもなおさず「未来へのつながりを持たない現在」なのだ。
過去と未来の両方と断ち切られたまま現在だけが集積されることは、映画という表現形式が本質的に「1代限り」のものであることを示唆する。だったら「1人の人間と同じくらいの寿命」しか持たないのも当たり前ではないか。これを裏付けるかのごとく、映画の世界では1960年前後より「どんな映像表現をめざしても、既成作品の模倣になってしまう」傾向が生じた。
映画というメディアの誕生が、20世紀の到来とほぼ一致するのを思えば、還暦と相前後する形で老いが表面化したわけである。まして21世紀に入った現在、映画における「新鮮な才能」とは、画期的な表現をめざす姿勢ではなく、既成の表現を手際よく使い回す如才なさを指す場合がほとんどとなった。ゴダール風に言うなら「映画はすでに死んだが、巧みな死に化粧によってそれを隠そうとしている」というところである。
しかるに「過去との関わりを持たないものは、未来へのつながりも持ちえず、1代限りで寿命が尽きる」とは、社会システムにも当てはまる話ではないだろうか。保守主義において、歴史や伝統といった「過去」の尊重が重視されるのは、ある特定の世代が「この国のすべてはわれわれが築いた」という独善的な自己絶対化に陥るのを防ぐためでもあった。
なぜならそのような発想にとらわれた者は、「自分(の代)さえ良ければそれで良い」と横柄に構えたあげく、次の世代に道を譲ろうとしない恐れが強い。いいかえれば過去を尊重しない社会システムは、ある特定の時代が永遠に「現在」たりつづけるかのごとき錯覚を抱き、変化への対応を怠って硬直化しやすいのだ。かかるシステムが未来への展望を持ちえず、やがて衰亡の道をたどるのは自明と評さねばなるまい。
はたせるかな、革命という形で過去をとりわけ強く否定した社会主義体制は、かつて一世を風靡したにもかかわらず、時代の変化にたいする適応に失敗、軒並み消え去るにいたる。世界初の社会主義国にして、その代表格でもあったソ連は1991年に終焉を迎えたものの、同国の「享年」は1917年の革命から起算して74年(正式の樹立からは69年)と、やはり個人の生涯と同じくらいの長さであった。
保守と世代交代
問題は、ソ連の運命を他人事と見なせるかという点にほかならない。わが国にしたところで、戦前と戦後の2度にわたり、それまでの歴史を多分に否定する形で「新出発」をはかった。おまけに戦前に構築された社会システムは80年足らずで自滅、戦後のシステムも発足より60年あまりを経た現在、崩壊の兆候が目立ってきている。
ならば保守主義にのっとり、祖国の歴史や伝統を積極的に見直すことこそ、日本の存立と繁栄を維持してゆく道だと断じたくなるにしろ、事はそれほど単純ではない。過去を否定する姿勢のもとに構築されたシステムでは、当の構築過程において主要な役割を果たした世代が「この国のすべてはわれわれが築いた」とする自己絶対化に陥るわけだが、くだんの世代にとっては「歴史や伝統を尊重すること」も、往々にして「若い世代が自分たちに迎合・服従すること」とイコールになってしまうのだ。
若者と比べたとき、年長の世代は「過去」に属しているのだから、これもまた必然といえよう。むろん年長者とて、本当はさらに前の世代より恩恵を受けているはずながら、こちらは「新出発」の段階で御破算にされている。過去の否定が長らくつづいた社会において、歴史や伝統を真に復権させるのは、決して容易なことではない。
真の意味での「伝統の復権」と、うわべだけのそれの違いは、若い世代の置かれる立場に注目するとき、たやすく識別することができる。前者の場合、年長の世代の自己絶対化がくつがえされ、若い世代が伝統をテコに「親殺し」を遂げる形になるものの、後者の場合、年長世代の自己絶対化はかえって強化され、若い世代は伝統の名において「子殺し」されるハメとなろう。
しかも伝統をテコにした親殺しは「過去の世代全般にたいする尊重にもとづいて、親の世代を否定する」性格を持つため、ある程度のところで歯止めがかかるのにたいし、伝統の名における子殺しは「過去の全世代を代表するかのごとき錯覚のもと、子の世代を否定する」のだから、そこには何の歯止めもなくなる。保守、ないし保守主義というと、「大人」にたいする尊敬をとにかく強要するようなイメージがつきまとうものの、この印象は表面的なものにすぎない。歴史や伝統を重んじる真の目的は、あらゆる世代の立場を相対化することによって、過去−現在−未来という時間の流れがせき止められないようにすることであり、つまりは世代交代(=大人の否定)を円滑に進めるための知恵なのだ。
裏を返せば、社会における保守のポテンシャルを計る基準としては、「歴史や伝統の重要性を説いたり、愛国心を強調するような主張がどれだけ見られるか」よりも、「年長の世代にたいし、若者がどのような自己主張をしているか」「どんな自己主張が『望ましい』と見なされているか」の方が適切といえよう。そしてポップカルチャーに目を向けるなら、この点に関するわが国の状況には憂慮すべきものがある。
たとえば国民的な人気を誇るアニメ監督の宮崎駿は、『もののけ姫』(1997年)、『千と千尋の神隠し』(2001年)、『ハウルの動く城』(2004年)などの大ヒット作で、「若者は年長の世代から何をされても耐えるべきだ」というメッセージを繰り返し打ち出した。にもかかわらず私の知るかぎり、近年の宮崎作品が「子殺し」を美化する要素を色濃く有することを指摘する声はほとんどない。むしろ多くの人々は、上記3作を「子どもに見せたい良心的・感動的な映画」としてとらえている。社会全体の価値観がここまで倒錯すれば、若者に覇気や活力がなくなって当たり前であろう。
宮崎を擁する製作会社「スタジオジブリ」が2006年の夏に発表したアニメ映画『ゲド戦記』は、関連してさらに興味深い。同作品は、アメリカの作家アーシュラ・K・ル=グインによるファンタジー小説を原作とするものの、宮崎駿はこの小説から大きな影響を受けたと公言、かねてからアニメ化を考えていた。ところが実際に監督を務めたのは、彼の長男であり、かつアニメ製作の現場を経験したことがない宮崎吾朗なのだ。
上映プログラムや、特集本『ロマンアルバム・ゲド戦記』(徳間書店、2006年)によれば、宮崎吾朗の監督起用を思い立ったのは、スタジオジブリの現社長にして、1989年いらい、同社の長編作品すべてを製作してきた鈴木敏夫であり、父親の駿は反対したという。しかしスタジオジブリにおける宮崎駿の存在の大きさを思えば、よしんば暗黙の形であれ、彼の承諾抜きにこのような人事が実現するはずはないし、「宮崎の息子」なる点を売り物にする魂胆がなければ、素人監督にいきなり大作を任せるなどという発想が生まれるわけもない。あまつさえ宮崎駿はすでに60代半ばを迎え、監督として明らかに盛りを過ぎている。先に挙げた近作3本も、興行的にはともかく、内容面では1作ごとに出来が悪くなっていった。
監督世襲は是か非か
ならば鈴木と宮崎駿は「商売のため『宮崎ブランド』の世襲化に踏み切った」と言われても抗弁できた義理ではあるまい。しかるに宮崎は、アニメ監督としての名声を1代で築いたのだから、吾朗は父親を絶対化するための人身御供にされたことになろう。もっとも鈴木は『ロマンアルバム・ゲド戦記』収録のインタビューで、この点についてこう語った。
「だってね、江戸時代だったらね、親の職業を子供が継ぐのは当たり前で、むしろ江戸時代の価値観からいったら、今のほうが変でしょ。だから、そんなに深くは考えなかった」(105ページ)。
江戸時代においても、実子が不出来な場合は優秀な若者を養子に迎え、家業を代わりに継いでもらう慣習があったので、鈴木の認識は十分正確ではないものの、これは問題としない。今まで展開してきた議論を踏まえるなら、彼が真に主張しているのは、「監督世襲は宮崎駿を絶対化するための方便ではなく、むしろ彼の存在を相対化することで、世代交代を進める意味を持つ」ということになるからだ。宮崎吾朗自身、上映プログラムで次のように述べている。
「(今の若者は)出来上がった世界の中で閉塞感に喘いでいる。アニメーション映画の世界でも、せっかく若い人たちが作っているのに、なぜか巨匠といわれる人たちが作ってきたものを手本に完成度の高いものを作ることばかり考えている。それじゃあ面白いものはできないんじゃないか」
吾朗の発言と、「年長世代の自己絶対化が『子殺し』を引き起こす」という論点が呼応するのは自明であろう。だったら『ゲド戦記』の成否は、宮崎駿に挑戦する「親殺し」の要素をどれだけ持ちうるかによって決まる。事実、映画の筋立てでは、原作にはない父親殺しの場面が大きなポイントとなっているのだ。
ところが面白いことに、かかる脚色を思い立ったのは宮崎吾朗ではなく、製作者の鈴木だったという。鈴木は宮崎駿より七歳年下だが、吾朗よりは19歳年上なのだから、ここには「年長者の指示により、若い世代が受け身で親殺しを試みる」という奇妙な構図がうかがえよう。これが一体何を意味するのか、以下では作品の内容を紹介しつつ分析したい。
『ゲド戦記』の舞台となるのは、人間の支配する領域と竜の支配する領域とが共存し、人間界の中でも善と悪の魔法使いが対立する中世風の世界・アースシー(「大地と海」の意)である。アースシーは長らく平和と繁栄を誇ってきたものの、ここにきてさまざまな天変地異や災厄が発生、人々は「世界の均衡が崩れた」とする不安に怯えていた。
主人公の少年アレンはある国の王子だが、自分でも良く分からない理由で父王を刺し、その剣を奪って逃走する。荒野をさまようアレンは、ハイタカという逞しい中年男に出会い、彼の旅に同行することになった。ハイタカは「ゲド」の別名を持つ偉大な魔法使いであり、何が世界に異変をもたらしているのか突きとめようとしていたのである。
アレンたちは、ハイタカの古い知り合いだという女性・テナーの農園に身を寄せる。農園には、顔に大きな火傷の跡がある寂しげな少女・テルーがいた。テルーは両親に虐待されたあげく捨てられた過去の持ち主で、五年前テナーに拾われ、以後一緒に暮らしているのだった。
農園の仕事を手伝ううち、アレンとテルーは少しずつ打ち解ける。だがアレンは、亡霊のごときもう一人の自分に追われる幻覚に悩まされ、ついに農園を出ていってしまった。他方ハイタカは、世界に異変をもたらしているのが、かつて対決した悪の魔法使い・クモだと知る。クモは永遠の命を手にすべく、生と死の境界を取り払おうと画策しており、これが世界の均衡を狂わせていたのだ。
ハイタカをずっと恨んでいたクモは、復讐の好機とばかり、自分の居城にアレンを連れこみ、洗脳して味方につける。クモはさらに農園の女主人テナーまで拉致して人質に取り、ハイタカを捕らえるのに成功した。けれどもこのとき、農園に残されたテルーのもとに、亡霊のごときもう1人のアレンが現れ、自分の正体を告げる。
こちらのアレンこそ、じつは彼の「光」(=真の魂)であった。世界の均衡が狂うのと同時に、アレンの中でも精神の均衡が崩れ、疑念や恐怖といった「影」が身体を乗っ取ってしまったのである。真相を知ったテルーはクモの居城に潜入、アレンに正気を取り戻すよう説いた。
テルーのおかげで自分自身の「光」とあらためて一体化、洗脳より解放されたアレンは、ハイタカとテナーを救うため、父王の剣を抜いてクモに立ち向かう。するとテルーまでが巨大な竜に変身、アレンに加勢した。竜の息を吹きかけられたクモは炎に包まれて滅び、世界の危機は去る。そしてアレンは農園でしばらく過ごした後、ハイタカとともに祖国へと戻ってゆくのだった。
この要約でも明らかなとおり、映画においてハイタカは2次的な存在にすぎず、彼の別名「ゲド」にいたっては、ろくろく言及もされない。そのくせ題名は『ゲド戦記』と銘打たれているのだから、作品が「肩すかし」「焦点ボケ」の印象を与えるのは不可避であろう。原作者ル=グィンは映画版を厳しく批判したコメントを自分のホームページで公表したし、わが国の評論家の間でも「何を描きたいのか全く分からない」といった類の反応が多く見られた。
しかし近年の宮崎駿作品が「子殺し」を美化する要素を強く持っていたこと、および『ゲド戦記』に「親殺し」の場面を盛りこんだのが、宮崎吾朗ではなく鈴木敏夫であったことを考え合わせるとき、映画が何を言わんとしているかは明快となる。同作品は、若い世代を立てるかに見せかけて、それをこっそり逆手に取り、年長世代の絶対化を貫徹することをもくろんでいるのだ。劇中のクモよろしく「自分の代こそ永遠だ」という錯覚に陥った者が、世代交代の必要性に迫られたときに示す反応として、これは容易に納得がゆこう。