現在公開中の『パッチギ!LOVE・PEACE』(井筒和幸監督、シネカノン配給)という映画を見た。いやはや、酷い映画だ。見終わった今でも怒りがこみ上げてくる。
この映画、同じ監督、配給元の『パッチギ!』(2005年)の続編なのだが、1作目から問題は多かった。続編は輪を掛けて、反日・反戦の色を強く打ち出し、今日の「右傾化」傾向を揶揄もする。日本人が戦前においては如何に残虐で、また今日においても如何に差別的であるかを強調し、日本人であることが嫌になる内容というわけだ。
1作目は京都の朝鮮高級学校に通う高校生と日本の高校生との抗争や友情、淡い恋心を描いたもので、青春映画と見れば、それはそれで評価できるものであった。ただ、政治的な立場が明らかに北朝鮮寄りで、違和感も多かった。台詞にあった「戦前に朝鮮半島から60万、70万の人々が連行され、牛馬のように働かされた」という発言はその代表例だ。
2作目は違和感の連続だ。1944年の済州島という場面では道行く少女が日本の官憲と思われる男たちに騙され、トラックに乗せられて連行されるというシーンまで出てくる。いわゆる従軍慰安婦の強制連行のシーンということだろう。また当時は朝鮮半島では志願制だったはずなのに、召集令状で徴兵され、軍隊で虐待されている。この映画、韓国で同時公開らしいが、これでは日本発で韓国の出鱈目話を正当化してしまうことになる。
今回の映画の柱の1つはヒロインの少女が朝鮮籍であることを隠して芸能人になるという話なのだが、彼女は『太平洋のサムライ』という特攻隊を描いた映画のオーディションを受ける。ラサール石井扮するその映画の総指揮者がヒロインに「君は役柄のイメージにぴったりなのだが、大和撫子を演ずる子が日本のパスポートを持っていないのはまずいんだよ」と述べると民族意識の強いヒロインは席を蹴って立つ。その際、その総指揮者が周りに言う。「あの目、見た? ありゃ三国人の目だ!」。別の機会に総指揮者が言う。「困ったときの特攻隊ってね」。映画完成の試写会の際にも「国のために亡くなった方々のお陰で今日がある」と。
もうお気づきであろう。その映画総指揮者というのは石原慎太郎氏のパロディーなのだ。観客にそう思わせる仕掛けというわけだ。ほぼ同時期に公開された石原氏総指揮の映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』と石原氏自身をコケにするのがこの映画の目的の1つなのだ。石原氏の発言に本来あった「不法入国した」という部分を意図的に削除したばかりか、「三国人」という表現をただただ侮蔑的に使っている。
こんなシーンもある。ヒロインをかわいがり、彼女も憧れる若手人気俳優がいる。彼女は自分の出自を明かすが、それでも彼の対応は変わらない。遂に彼女は彼に操を捧げる。行為の後、彼女が家族に会って欲しいと言うと彼の態度が急に変わる。「それは話が違う。俺にも親がいる。韓国人と結婚するなんて言って賛成する親がいるか? 人間の種類が違うんだぞ」
また、こんなシーンも。人気番組『水戸黄門』にゲスト出演したヒロインが先輩の女優と言葉を交わす。その女優は自分も在日コリアンだと打ち明ける。しかし、日本の芸能界では出自を明かせないという。「コマーシャルは無理ね。嫌がるクライアントは結構いるからね。大丈夫なのはロッテくらいね」
私はこれらの台詞は現在の実態とかなりかけ離れていると思うが、それにしても一体全体、これらを敢えて言葉にする意味はどこにあるというのか。
前にも触れたが、この映画は韓国でも公開される。こんな台詞を韓国の人たちはどう聞くだろうか。彼らの反日意識は一層増すに違いない。いや、それを狙っているようにも見える。
この映画には在日コリアンへの侮蔑のシーンや侮蔑的な言葉がこれでもかこれでもかと出てくる。私はやり切れない思いがした。在日コリアンへの日本人一般の差別感情を醸成し、煽っているように思えてならないからだ。
問題はこんな映画が「文化庁支援」のお墨付きをもらっていることだ。「支援」というからお金も出ているのだろう。内容をどう評価するのか、文化庁の見解を問い質したい。