月刊正論:5月号から  
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産経新聞社「月刊正論」からEISへの提供コラムです。
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   まさか゛焚書″では?

  国立国会図書館検索システムに開いた巨大な穴
国会の立法行為を補佐し、全出版物を保存する唯一の法定納本図書館に欠けているものは何か
(P316〜323)
 
本誌編集部●牛田 久美


 

 昨年12月のある土曜日、国立国会図書館(東京都千代田区)へ出かけようと、焦りつつ、自宅で身支度をしていた。締め切り間近なのに、文献がいくつか未入手だったのだ。開館日をパソコンで確認すると、週末だが開いている。「ああ、よかった」と画面の前で両手を合わせ、さっそく記事検索を始めた。

 ことの発端は『別冊正論』第5号「日本防衛にタブーなし」だった。「出稿したい部員は申し出よ」と上島嘉郎編集長から話があり、年末から海上自衛隊の潜水艦「なだしお」と遊漁船の事故について取り上げたいと願っていた。海自初のミサイルハープーンを搭載した最新鋭艦。昭和63年夏、世界一の過密路といわれる東京湾で客船「第一富士丸」と衝突、30人もの死者を出して国民の記憶に残ることになった。

 たまたま、平成5年、入社後の配属先だった産経新聞横浜総局の先輩が地裁判決を受けて連載を始めた。「泊まりがけで外洋へ」とバブルを象徴するレジャー船と自衛隊でも精鋭が集う潜水艦とを対比させ、「審判・裁判で戦闘性能が公開され、各国の情報機関にとって格好の情報収集対象となった」「潜水艦操作を知らない検察官が、陸の論理で追及した」と指摘したことが印象に残っていた。

 その後、横須賀市にもたびたび赴いた。だが海自隊員は固く口を閉ざしていた。1人の隊員が、生き残った富士丸乗員女性のことを「いま日本社会のどこでどうして生きておられるのだろう。彼女が病院から抜けて毎日新聞記者と接触したことをわれわれは知っていた。記者に事実を話してくれていたら」とポツリと言った。事故は、多くの人々の人生を変えた。

 事故から20年近い歳月が流れようとしている。「日本防衛にタブーなし」というテーマをきいて、「なだしお」というタブーを破りたいと思ったのは、ご遺族の方々の悲しみを思うにつけ、私たちにできることは事故を忘れないことだと感じたからでもある。

 平成12年には「なだしお」を彷彿とさせる潜水艦事故がハワイ沖で起こった。米原子力潜水艦が緊急浮上し、愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」に衝突、何の瑕疵もない職員、生徒計9人が亡くなった。原潜の責任の取り方が注目される中、日米関係を憂慮し、米大統領も駐日大使も謝罪したが、艦長は軍事法廷にかけられず、有罪判決を受けたなだしお艦長と対照的だった。

 彼我の差は何なのだろう。なだしおとえひめ丸の「差」について思うところを語っていただければ学ぶべきものがあるかもしれない……。年末、複数の海自元幹部と接触を試みた。詳しくは別冊に書いたので繰り返さないが、正直にいって現役幹部、退官幹部とも実名で語ることに積極的でなく、出稿目処が立たず胃が痛かった。編集部は1月2日から稼働しており、編集長には、松が明けたらもう1度だけお願いにあがるつもりだと伝えていた。すると、編集長は「君が書いたらどうか」と言う。正月気分は、すっかり吹き飛んだ。
 
◆地下8F建て書庫に眠る膨大な文献

 取材を重ねると、どうも日米で軍法への認識が違う。というより、日本にはそもそも軍法がない。そこで、まず、軍法について先行文献のほぼ全てにあたった。

「軍法」「軍法会議」「軍事法廷」のキーワードを国会図書館の検索システムNDL−OPACに入力すると、論文名、雑誌名、掲載月号がズラリ並ぶ。これを印刷して国会図書館に行き、端から論文を出してもらい目を通す。有用なものは複写依頼する。1度に3件しかカウンターに出してもらえないから大変な労力なのだが、ちょっとしたコツを係員が教えて下さった。論文名で請求すると3本しか読めない(雑誌記事索引検索)。そこで雑誌名で請求すると、同じ雑誌は6冊まで同時に出してくれるので、3種10数冊をさくさく読める(書誌検索)。複写も、すべて後日受け取るよう手配して、すぐ次の3件を請求した。

 以前は、一連の作業がすべて手書きだった。雑誌名、論文名、分類番号など用紙に記入し雑誌を出してもらう。複写依頼時は別の用紙に同じことを書き込み、さらに複写内容を書かなければならなかった。もちろん、自分の名前を都度記入する。それが平成16年秋に完全自動化され、便利になった。

『軍法会議』(昭和28年、富士書房)という赤茶けた書籍を見つけたのも収穫だった。縫製が脆く「複写禁止」のため別室で閲覧だけが許された。宮崎清隆さんという法務官が軍内の窃盗や軍属の殺人事件など縷々つづっている。軍事法廷と聞くと、とかく暗黒のイメージがつきまとう。

 しかし、実際はそうではなく、事件発生、犯人追跡、逮捕、量刑決定など、現代社会の世相とそう変わらないのだと感じ、別冊取材とは関連がないがつい読みふけった。

 特に興味深かったのは、戦線での様子だ。先輩がタバコ六箱と交換で中国人から肉をもらってきたという。「野菜一切れない戦場で、…はたまた夢か…くしに刺し焼き鳥とシャレた」。ところが、また肉を抱えた支那人を見かけ追跡して驚いた。戦死した支那人兵の肉だったという。「我々はぼう然としながらも、昔から中国では人間の體から不老長壽のクスリをつくるという話は聞いていたが、あの激しい戦の後で、早くも同胞の肉をとりに来るという、その大胆さにはただただあぜんとするばかりだつた。犯人捜査も出来ないまま進撃となつた」「10年近くの大陸戦場生活中、人間の肉の試食はこれが最初にして最後だつたが、後にこうした事件は、すべて日本軍におしかぶされたのは無念である」
 南京事件についても「4万3000人以上という犠牲者数であるが、よく、これを数えたものと思う…1人が5人から6人の人間を殺さねばならぬことになる勘定だ。果たしてそんな馬鹿なことが出来得るだろうか」と首をかしげる。
 国会図書館は、こうした1冊も修復・保存する。当時を生きた人々の声がたくさんある。書庫に眠る膨大な文献を思い浮かべると、神妙な気持ちになった。
 
◆なぜか検索できない小堀氏の「なだしお」論文

 さて、「軍法」に続き、「なだしお」「第一富士丸」も検索した。事故からほどなくして、なだしお元艦長は『文藝春秋』、第一富士丸船長は雑誌『世界』(岩波書店)の取材を受けているところに支援者の政治信条がみてとれる。富士丸船長支援の輪は社会党系、共産党系の労組、平和運動グループなど約30団体に広がった。政治色を帯び始めた地裁公判に、遺族はほとんど姿を見せなくなったと先の産経新聞連載は報告していた。

「えひめ丸」との比較は、調べた範囲で見あたらず、記事として成立するとの感触を得て編集長に報告した。編集長はゴーサインとともに「小堀桂一郎先生が公判を取材して『正論』で連載なさったよ。読むといい」と言う。「はい」と答えつつ「あれ?」と思った。小堀先生の記事、検索記事リストにあったかしら?

 その後、傍らにいた販売部の大内保治部長と昼食に出たので聞いた。
「マッカーサー米議会証言録でお世話になった、あの小堀先生のことですよね。皇室についてもお詳しい」
「そう」
「森鴎外研究をされた」
「うん」
「なだしおもお書きに?」
「うん」
 編集部に戻り、さっそく掲載号を調べた。すぐ見つかると思っていた。『正論』なら国会図書館へ出かけるまでもなく、社内に創刊号からある。ところが、このあとちょっとした騒ぎになった。

 国会図書館の検索システムで調べた「なだしお」の全39件に小堀氏の名はない。「第一富士丸」の10件にもなかった。「小堀桂一郎」で検索すると161件ある。「検索条件:小堀桂一朗」と誤植が気になるが、「郎」「朗」のいずれでも同数がヒットする仕組みらしい。だが、その中にもなだしお関連は1件もなかった。狐につままれた気持ちだ。先輩たちの勘違いではなかろうか。それとも短い記事なのか、と。

 大内部長が「絶対にある」と言ってバックナンバーを納めた書庫で1冊ずつ目次の確認を始めてくれた。上島編集長が席に戻ったので「いつごろでしょう」と聞くと、ウーンと腕組みをして、天井を見上げて言う。「平成5年の……5、6、7月号かな」。平成5年5月号を取り出すと、その通り、あった。「再検証『なだしお』判決 上」。よく掲載月号を正確に思い出せると感服するが、編集長の上島は不思議とそういうところがある。
 すぐ3本を読んだ。「真相の究明者たち」では、定期刊行物所蔵の論文類を列挙している。広い読者を持つ『文藝春秋』から、いわゆるミニコミに属する『月曜評論』まで、後世の研究者が、どの論文を読めば事故の概略をつかめるのか、分かりやすく紹介していた。これら文献を一読しようと再びパソコンに向かい、またも愕然とした。小堀氏が勧める戦史研究家、板倉由明氏の記事も、元海幕長、矢田次夫氏の記事も出てこないのだ。板倉氏のラーベ日記論文(『正論』平成10年6月号)や、矢田氏の湾岸危機の考察(『世界週報』平成2年11月27日号)など、それぞれほかの領域はあるが、こと「なだしお」関連はどれも行き当たらない。
 一方、第一富士丸側を擁護する論文は多種多様だった。例えば、宮家からも異論があった皇室典範有識者会議の座長代理、園部逸夫氏が、判例研究で知られる『ジュリスト』で座談している(昭和63年11月15日号)。「交通信号というのは絶対無理なんですかね」と話し、海上保安庁次長らに「信号を見て止まるといっても自動車みたいに止まれないのです」「止まるまで何キロという話になりますのでね」と言われたりしている。注意義務も「自衛艦については高まる」と述べ、世界各国の軍法と異なる考えを示していた。

 なだしお艦長は無免許運転だったという、珍妙な批判論文もあった。運輸省発行の免許を持っていなかった、という論拠らしい。自衛隊員は言うまでもなく防衛省所管である。意味のない追及だなあと思いつつ、当時の世相を反映しているので複写した。自衛隊たたきの素材となるなら「何でもあり」だったのだ。こうして、何も生み出さない゛研究″まできちんと(?)採録されているのに、なぜ前出のいくつかは行き当たらないのだろう。
 
◆船橋市立西図書館の゛焚書″事件

 この日、昼過ぎから「ない、ない」と私が繰り返しているので、編集部内は、すわ焚書坑儒か……といった、記者独特の何かを★期待するような★(★内傍ケンテンルビつける)雰囲気になった。頭に浮かんだのは、千葉県船橋市立西図書館で保守系識者の著書が大量廃棄された事件だった。その1人、西尾幹二氏の場合、廃棄された九冊のうち七冊は歴史にも政治にも関係なかった。「新しい歴史教科書をつくる会」代表だったというだけで昔の著作も無差別に廃棄された。

「何かに属していれば罪になる。ユダヤ民族の一員であればそれだけで罪になる。それを集団の罪Kollektibschuldという。こんな思想が許されていいのか」と訴え、最高裁が著者の利益侵害を認めたのは平成17年のことである。

 きっと、全国の図書館司書たちにもつらい経験であったと思う。それまで千葉の図書館といって私たちが思い浮かべるのは、船橋西ではなく、利用者の知的需要に応えるコレクションで全国に知られる浦安図書館の素晴らしさだった。

「タイトルになだしおの文字が含まれていないのではないかしら?」 永井優子先輩が声をかけてくれた。
「私もはじめそう思ったんです。でも、実物はこんなに大きいんです」。1ページの3分の2を占める大きなタイトルスペースに、〈再検証「なだしお」判決〉と2行にわたって大書きされた小堀氏の記事を見せながら、だんだん笑い事ではなくなってきた。

 土曜日、私は、締切に焦りながら、改めて図書館へ行こうと思ったのは、小堀氏が『正論』記事中、「苦境に立ちながら部下を庇ひ通す姿勢を一瞬も崩さなかつた当時の海上幕僚長東山海将の態度を全く正しいとして賛辞を呈することができただけであった」という『逓信協会雑誌』の論文も読みたかったからだ。

 ところが、この朝、この論文も検索システムに見当たらなかった。『逓信協会雑誌』は200件以上ヒットするが、絞り込むため「小堀」を加えると、もうだめだった。「見つかりません」という画面の文字が恨めしかった。あるいは、これらの文献を読まないで論文を仕上げる選択肢もあったかもしれない。けれども存在すると知った先行研究を読まずにいることは、臆病かも知れないができなかった。数が多いのも気になる。

 締切まで時間がない。子供たちを保育園へ預け、西武池袋線と有楽町線を乗り継い国会まで出かけ、文献が見つからない場合を想像し、また胃が痛んだ。

 思いきって、小堀氏に電話をかけた。

「恐縮ですが、先生がお書きになった逓信協会雑誌記事を見せていただけませんか。矢田論文も、お手元にございましたら…」

 協会に頼むならともかく、ご本人に「見つからない」と申し上げることほど恥ずかしいことはなく消え入りたかった。が、受話器の向こうで小堀氏は快く引き受けて下さった。「良いですよ。もう随分前の記事ですから、すぐ出てくるか分かりませんが探してみましょう」。

 昼過ぎ、バイク便で封書が2つ届いた。青い万年筆で「これは差し上げますので返却不要」と付箋がある封書には、依頼した2件の論文が入っていた。もうひとつは矢田氏の他の論文、参議院内閣委員会会議録などが入った分厚いものだった。こちらは参考までに、と添えられていた。あれだけ読み込んだつもりだったのに初めて目を通す文献ばかりだった。こうして先輩諸兄の協力を得て、ようやく、なだしお主因、第一富士丸主因の双方の資料が揃ったのである。

◆データベース採録の実態

『別冊正論』校了後、早速、国会図書館へ取材を申し込んだ。データベースはどうやって構築するのか。

 採録基準は、国会図書館公式サイトで公開されている。まず、採録誌選定範囲というのがある。板倉論文掲載の『月曜評論』や矢田論文掲載の『ゼンボウ』は、いわゆるミニコミ誌なのか採録対象となっていなかった。『月曜評論』は平成16年、『ゼンボウ』は十年年以降休刊状態である。毎年おびただしい数の雑誌が誕生したり、消えていったりする出版業界の現状を見た思いだった。

 データベース採録は、平成5年度の利用頻度調査に基づき、8年度に3千100誌から5千5百誌へ拡充されたという。このとき、やっと『正論』は採録が始まったと国会図書館総務課は説明する。小堀氏のなだしお論文は平成8年以前の記事だったので、採録されていなかった。ここで論壇誌の採録開始を比較してみよう(『マガジンデータ2006』掲載の印刷部数順)。
 
◇『正論』(産経新聞社)平成8年、287号から 8万7千部
◇『諸君!』(文藝春秋)昭和52年、創刊号から 8万2千部
◇『中央公論』(中央公論新社)昭和23年、4号から 4万部
◇『Voice』(PHP研究所)平成8年、223号から 3万2千部
◇『論座』(朝日新聞社)平成9年、31号から 1万9千部
◇『世界』(岩波書店)昭和23年、24号から 部数非開示
 
 この一覧によると、最少部数の『世界』記事が、もっと多くも古いデータを擁していることになる。戦後、いわゆる全共闘世代が『世界』をバイブルに闘った時代の名残を感じる。その後、世論も論壇も大きく変容したが、データベースはそのまま『世界』の採録を続け、『正論』の採録を始めることはしてこなかった。このため「なだしお」検索結果は『世界』関連がズラリ並ぶこととなった。

 ここで疑問なのは、創刊時期がほぼ同じ『諸君!』『正論』の開始が、なぜこれほど違うのか。
「恐らく『正論』を受け入れ始めてから、どれだけ続くか分からなかったのでしょう。八年の大幅拡充で実態があると認識されたようです」(館員)

 新聞社の雑誌がうまく行くのか? ということらしい。『諸君!』は文藝春秋の刊行誌で信頼があったようだ。でも、そんな主観が入る余地があるのだろうか。

「微妙なところですが…。担当者も人間で、目に付けば『ああ、今度これが創刊するんだ』と思うかもしれません。毎日2千点から3千点を受け入れます。継続と新規はっきり区別しますが、その先、新規雑誌の記事データベース採録となると(媒体によって)時間差がある上、担当者の認識が緩いということはあるかもしれません」

 ああ、『諸君!』と『正論』の時間差は大きい。19年間である。
 
◆歴史と知識の泉として
 
 それにしても、この差を埋める手だてはないものか。私はたまたま『正論』編集部に属し、先輩に恵まれたから、事故から20年経った今、潜水艦事故を比較できた。しかし、もし私が大学の研究者だったら、あるいは政策立案者だったら。入手できる文献は限られていたろう。恐らくは、なだしおを袋だたきにした、事故当時の雰囲気のままの各種論文だけだった。本来、部数や時代の風に関係なく、両論を供するべきだろう。ある時期に出版された出版物の総体として、保存して後世に残す。部数を越えた意義がある。

 データベースを充実し、記事へのアクセスを可能にするためにも、現在の『世界』、過去の『正論』、また、いまなお採録対象となっていない多くの雑誌も、出来得る限り採録することが「知の泉」を潤沢にすることなのだろう。現状のままでは公正な分析はできない。少なくとも、海上自衛隊関連文献は、偏っていた。焚書坑儒ではないかと驚くほどに。

 この穴を埋めるべく、採録誌をさかのぼって入力しないのか担当者に聞いた。

「日々届く新着のものを入力するので手いっぱい。個別にバーコードを貼って管理する作業も完了していない状況で、遡及入力は始まったばかりです」

 入力は、国会図書館内の一室で日々10人ほどがパソコンに向かう。新着分は落札企業、ナカバヤシ(東京都板橋区)スタッフが行い、職員が管理する。1件のデータ作成は106円。年間35万件入力で単価契約3千895万円。それ以上やってもらうには金額を積み増さないといけないから、遡及分は職員が日常業務の合間を縫って細々とやっているという。

 当然、到底追いつかない。その職員数も、公務員改革で年々減りつつある。現在、『正論』のように未入力のまま遡及入力を待つ記事タイトルは、6百万件もあるという。

 一般に知られていないが、国会図書館は、国会議員の「知」を支えてもいる。国会の立法活動を補佐する調査研究集団の存在である。彼らが比類なき豊かさを誇る図書館機能を活用するにあたり、データベースは欠かせない。本館6階には、国会議員専用の閲覧室と研究室がある。有識者や行政府担当者を招いた勉強会や派閥の会合が開かれることもある。個室は14。百貨店のお得意様サロンのようにお茶も出すという。

 調査・立法考査局スタッフは、国政審議に必要なあらゆることを議員や政策秘書から内線1本で引き受け、資料を揃える。求めに応じて議案起草も行う。便覧で調べるものから、1次資料にあたってメモを作成するもの、直接説明にあがるものまで含め、平成18年度の回答数は5万件近い。平成13年5月、田中真紀子外相(当時)がアーミテージ米国務副長官との会談をキャンセルして休憩したことで知られるが、本来そうした場ではない。

 国会図書館には各国の資料が入ってくる。米議会で議員が「米軍受入国にもっと負担してもらおう」と発言したときは、思いやり予算の認識のすれ違いを日本の議員に伝えた。行政にも情報提供する。緊急時の国民保護法制論議で、内閣府に、先進例として冷戦下ドイツの制度抄訳を提出したのは国会図書館だった。裁判所から、国際結婚についてある国の慣習を聞かれたこともあった。

 議員への説明では、ひとつの問題について朝日社説、産経主張、有識者見解、米議会証言などさまざまな角度から紹介する。「政府案に反対」と結論が出ているときは、反対論の弱みもはっきり伝える。国立図書館機能と一体であることで、選択の幅の広さを確保している。現在、国会には、3つの調査部門が並立している。衆院調査局、参院調査室、そして国会図書館の調査・立法考査局である。だが国会図書館が衆議院・参議院のそれと決定的に異なるのは、資料の豊かさである。

 戦後、日本を再建するため、議会も行政府と同様に情報を持つ必要があるとして、米連邦議会図書館(CRS)に範をとって国会図書館が作られた。「官僚立法」を脱するためだったと参院本会議の羽仁五郎図書館運営委員長は述べている。現在、その目的はどこまで達しているだろう。

 衆院本会議では、中村嘉寿図書館運営委員長がこう語った。

「われわれの観念では、書物が集っていて、これを読みに行くところであるというのが通念であるが、欧米各国における国会図書館というものは、知識の泉であり、立法のブレーンであり、ものを整理するところの元締めである」

 当時、国会図書館の設立こそは、民主主義政治の促進の礎石となると議員たちは信じていた。同じ国会議員が、いま、国会図書館の定員を減らし、独立法人化を議論している。自らの「知」が崩れることに気付かずに。

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