六カ国協議をめぐる日本の地位をごまかさずに直視すべきだ
今回の六カ国協議合意のさい、安倍首相は、拉致問題を解決しなければ経済支援はしないと明言した。そこで日本は、核問題中心の他の国のなかで「孤立」してしまうという批判があるかと思えば、逆に「日本こそ主役」だという論者もいる。しかし、これはいずれも間違いだ。とっくの昔に「蚊帳の外」同然なので、いまさら「孤立」することはないというのが正解ではないのか。
『論座』4月号に、政治学者の田中明彦氏が「日本の『孤立』はありえない」を執筆して、〈そもそも、北朝鮮にとって核開発問題と拉致問題の解決のいずれが容易かを考えてみれば、拉致問題の解決のほうが容易である〉などと述べている。だから、日本が拉致問題で突っ張っても、現実的な要求と見なされ、「孤立」などしないというわけだ。しかし、そんな日常的な「正論」が通るくらいなら、北朝鮮は核実験をやろうなどと思わないし、アメリカによる六カ国協議などという「ごまかし」も必要がなかっただろう。
そもそも、この六カ国協議に、日本がアメリカ、中国、ロシアと同等の存在感を持って参加しているのかを考えたほうがいい。北朝鮮はアメリカと取引をして、少しでも多くの支援と金融凍結解除を引き出すことを狙っている。アメリカは中東問題のほうが忙しいので、中国にほとんど任せてしまって、時間稼ぎをしたいということにすぎない。こうした妥協で生じてくる経済支援だけは、日本にやらせようというのが、他の国の暗黙の了解なのだと見るのが妥当だろう。
北朝鮮の専門家である重村智計氏は、昨年12月に刊行した『朝鮮半島「核」外交』で、〈2005年9月の六カ国協議での共同声明は、ワシントン・ポスト紙が指摘したように、「問題先送り」を糊塗した外交文書であった〉と指摘していた。『ウィル』4月号にも、今回の六カ国協議の合意を受けて「六カ国協議は米朝の八百長だ」を寄稿している。
ここで重村氏は、〈ブッシュ政権にとっては、イラクとイランが最大の問題です。その上、中間選挙で負けた。このため、北朝鮮以上に、ヒル国務次官補、ライス国務長官、ブッシュ大統領など首脳陣が個人的に困っている状況でもあります。その個人的な立場が優先されてしまった〉と指摘し、〈その上、ブッシュ政権のなかで朝鮮半島情勢を分かっている人がほとんどいなくなった。だから「南北朝鮮なんてもうどうでもいい」という空気さえある〉というのだ。
ここまでは、極めて冷静な観察というべきだろう。ところが、〈最後に金を出すのは日本ですから、六カ国協議は日本がいないと合意に至らない。……今回の緊急支援をしないからといって日本が外される、発言権を失うなどということはあり得ない〉と述べつつ、〈核については、そもそも北朝鮮はアメリカとしか話をしないと言っているので、日本は何もできない。当事者ではないのです〉というのは理解に苦しむ。
六カ国協議を舞台とする限り、核問題が解決しなければ、拉致問題の解決は覚束ない。ということは、もし日本が核問題の「当事者」でないなら、拉致問題についての解決能力もないということになる。他の国は金を出す分だけ喋らせてやるが、言うことを聞く必要はないと思っている、ということにすぎないのだ。
これが、政治学者の中西輝政氏になると、さらに訳がわからなくなる。中西氏は『ボイス』4月号で、今回の六カ国協議の合意は「北朝鮮外交大勝利」だと指摘するいっぽう、日本は「拉致問題」「お金」「核武装」という「3つのテコ」をもっているから、〈孤立どころか、日本は「自分こそ主役」といった姿勢で今後の六カ国協議に臨み、この3つの「カード」を使いこなして各国をリードしていけばよい〉などと主張している。しかし、今の日本がリードできるわけがない。そもそも〈六カ国協議は、いわば「ごっこ」なのである〉(『ボイス』2004年1月号)と指摘していたのは誰なのか。
ここに取り上げた論者たちは、日本は六カ国協議で米中に裏切られ続けているが、自虐的になる必要はないといいたいのかも知れない。しかし、そのおぞましい現実を直視すれば、むしろ人間として少しは「卑屈」になる方が自然だろう。耳朶に心地よい言葉で、読者の目を現実から逸らすのは、やめるべきだ。
ロシア・カードを使った日本外交の評価と賞味期限
六カ国協議に関する記事のなかで、今回、いちばんスリリングだったのは、佐藤優氏が『現代』4月号に寄せた「帝国主義外交の成果、そして資質なき外交官の罪」だった。佐藤氏は、〈第5回六者協議で日本は「勝利」したのにもかかわらず、それがテレビメディアや世論で客観的かつ正当に評価されていないことは残念だ〉と述べているので、今回の合意は成功だったと思う読者もいるかもしれない。しかし、この「勝利」の内容を詳しく見れば、そう単純な話ではない。
佐藤氏は、まず、〈国際秩序を破壊する横紙破り〉の北朝鮮が〈核開発を部分的に停止するという約束をするだけで、重油を貰うことができる〉という今回の合意は〈北朝鮮の「弱者の恫喝」外交の勝利であることを、われわれは率直に認めなくてはならない〉という。
では、佐藤氏がいう日本の「勝利」とは何なのか。〈日本外交はこれまで「カネは出しても、口は出さない」というスタイルだった。今回は六者協議で日本は積極的に口を出したが、拉致問題があるので、重油支援に対してカネは1円も出さないということで各国を押し切った。これは日本外交の快挙〉という意味での「勝利」なのである。
つまり、外交においてはプラスを勝ち取るのが勝利であることは当然だが、マイナスを出さずに済ませるということも「勝利」なのだと佐藤氏はいう。この「勝利」は、第1に極東の外交が「帝国主義外交」に回帰したことから可能になった。〈帝国主義外交の特徴は、各国が交渉のテーブルに自国の利益を露骨に出し、力の均衡点を探り、そこで折り合いをつけるという手法である。今回、日本が重油供与の負担を免除されたということは、裏返していうならば、日本の国力の水準に鑑み、日本の要求を各国は拒否することができなかったということだ〉
「勝利」の第2の理由は、日本外務省がロシアという「カード」を切ったからだという。〈大胆な筆者の憶測を披露する。帝国主義外交を展開しているのは、いわゆる「★谷内★(★内にルビつく やち)チーム」といわれる谷内正太郎事務次官に連なる外務官僚たちだ〉。佐藤氏は「谷内チーム」は密かにロシア外交筋に秋波を送り、さらに接触してロシアが「オーネスト・ブローカー」になってくれるよう工作したと推測する。
〈「オーネスト・ブローカー」とは「正直な善人」という意味ではなく、このゲームに関与する中で、「ロシアは自らの利益を追求し、儲けさせてもらいますが、日本の不利益になることは絶対にしません」ということだ〉
こうした水面下の工作の結果、六カ国協議において日本が拉致問題を強調し、解決がなされないかぎり経済援助を行わないとの表明に対し、ロシアは反対することがなく、他の国も特に拒否しなかったわけである。しかし、この「勝利」は、賞味期限がそれほど長くないことも、佐藤氏は指摘している。〈対北朝鮮交渉にロシアを巻き込むという日本外務省の戦略はとりあえず成功している。しかし、問題はこれからだ。2〜3カ月後には日本も重油供与の分担金支出を求められるようになると筆者は見ている〉
毛沢東に忠誠を尽くして殺された周恩来の「実像」に迫る
『文藝春秋』4月号に掲載された、最近、翻訳が出た『周恩来秘録』の筆者・高文謙氏と訳者の上村幸治氏の対談「周恩来は毛沢東に殺された」は、改めて中国の権力闘争に固有の、おぞましい陰湿さを教えてくれる。
高氏は述べる。〈1972年5月の検査で、周恩来が膀胱癌にかかっていることがわかりました。そこで医療チームは手術の許可を得るために共産党に報告します。ところが毛沢東は4つの指示を出しました。「病状を秘密にして本人にも夫人の〓〓超にも知らせるな」「検査をするな」「手術をするな」「かわりに栄養をつけさせろ」〉。そのため、周恩来は3年後に死去するが、このとき手術をすれば9割以上の確率で治っていたという。
もちろん、毛沢東は、周恩来は外交で多忙だからという理由を口にするのだが、上村氏は〈私には毛沢東が周恩来を殺したように思えます。毛沢東が事実上、いじめ殺した、なぶり殺しにしたのではないですか〉と質問したのに対し、高氏は〈まあ、そういうことです。中国では、こういうことを「血を見ずに殺す」といいます。徹底的に追い詰めて、死期を早めさせた〉と答えている。
高氏は、89年の天安門事件で学生を支持して処分され、今はアメリカで研究を続けているが、かつて中国の公式出版物『周恩来年譜』『周恩来伝』『毛沢東伝』の文化大革命の部分を担当した。そのさい、膨大な門外不出の秘密文書を目にしており、今回の『周恩来秘録』にも大々的に取り入れられている。同書は、現在、中国では禁書にされているという。
高・上村両氏の対談を読んで、最も衝撃を受けるのは、周恩来が毛沢東に対し、最後まで忠誠を尽くしたという事実だ。上村氏は述べている。〈周恩来の毛沢東に対する崇拝は徹底していますね。晩年に癌に襲われますが、死の床にあってさえ毛沢東の詩の「何をぬかす 見よ 天地は覆らんとす」という部分を読んでもらって、笑みを浮かべた。そして、「中国に毛沢東が現れた」と、『東方紅』という毛沢東を礼賛した歌を口ずさみます〉。
それだけではない。毛沢東は周恩来をいじめ抜くのだが、周は毛に隷従とすらいえるような卑屈な態度を示し続ける。その実像は、周恩来外交で颯爽としていた彼のイメージとはかけ離れている。
毛沢東が周恩来の癌を知らせず、治療させなかった話は、ユン・チアンとジョン・ハリデイの『マオ』にも登場するが、この本では周が毛の余命いくばくもないことを知って〈このときを境に、周恩来と毛沢東の関係が変わった。周恩来は、それまでとは打って変わって腹の据わった男になった〉とある。しかし、『周恩来秘録』では、周は毛の報復を恐れて、命乞いをしているとしか思えない手紙を出している。〈それは、歴史の大局から眺めると、中国の政治文化の伝統の中の忠君思想の現代版にすぎす、そこから中国数千年の伝統文化の核心、つまり−−「君主は臣の要(君為臣綱)」−−という皇帝型専制主義の古い根が見えてくる〉
同書によれば、中国共産党の草創期には周のほうが毛より序列が上で、しかも、32年の寧都会議で毛を失脚に追い込んだことがあった。このことを毛は後々まで恨みつづけた。こうした執念深さには、我々の理解を超えたところがある。