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宮崎知事選挙(1月21日投開票)で、元タレントのそのまんま東さんが圧勝したニュースは、翌日の新聞の1面を飾るに足る「想定外」の出来事であった。プレ統一地方選として同時に行なわれた山梨、愛媛両県の知事選がすっかり霞んでしまったほど、活字も映像も東さん圧勝の話題で賑わい、本人は十数のテレビ番組からひっぱりだこで1日潰したという。
今回の宮崎知事選挙は、官製談合事件で逮捕された前知事の辞職にともなう選挙で全国的にも注目されていたが、無党派層が少ないとされる宮崎県で、知名度は高いとはいえ、゛スネに傷持つ″そのまんま東さんが当選したことの意味はなかなか興味深い。新聞解説ふうに言えば、東さんの勝因は、まず保守層が2つに割れた「保守分裂選挙」に乗じた面がある。2つ目に、辞職した安藤忠恕前知事が、前回の知事選挙で支援を受けた企業に見返りとして県の公共事業を優先的に受注させようとした容疑などで逮捕されたことから、従来型の知事選びに有権者が嫌気をさしたという面もあるだろう。
このため各陣営とも、出直し知事選挙として政治と業界の癒着をどう断つかを重要なテーマとして訴えた。その意味では、あとで゛訂正″したとはいえ、東さんは当初、「談合は必要悪」などと語ってマイナスの印象が濃かった。しかも、選挙は当初から農水省、経産省出身の2人の元官僚による一騎打ちの模様と伝えられ、業界の支援や既存の支持母体を持たない東さんは、徒手空拳で選挙に臨んだ、泡沫候補と見られていた。
昨年暮れに出馬表明したときは、私も「へえ」と思っただけだったが、選挙戦終盤に入ってからの勢いはものすごく、「そのまんま東知事誕生か?」などという報道もあった。そして21日夜、開票間もなくして当確が出たのには正直、仰天した。対立候補に7万票余りの大差をつけての勝利だった。
東さんはタレント時代、師匠のビートたけし氏とともに写真週刊誌の編集部に殴りこんで警察の厄介になったことがあるほか、児童福祉法違反容疑で摘発された風俗店に出入りし、年齢を詐称した16歳の少女と関係を持つなど、いわゆる゛お騒がせ芸人″の1人だった。私は当時、あるテレビ番組のコメンテーターとして、そのまんま東を「品性下劣」の四文字で切り捨てた記憶がある。
謹慎期間が再チャレンジの下地に
さすがにテレビ界からも遠ざけられた東さんが、ふたたび話題となったのは早稲田大学第二文学部に入学したという報せだった。そのとき私は、母校早稲田の軽佻浮薄を真剣に案じたものである。
「広末涼子に続き、今度はそのまんま東か…、有名人なら来る者拒まずなのか。学校当局は、学問の府を一体全体何と心得ているのか」
広末涼子が登校するの、しないの、登校したらしたで、大勢のマスコミが彼女を取り囲み、在校生も野次馬と化してキャンパスは遊園地のカーニバル状態であった。ちなみに私が大学院生時代、同じ文学部二部に吉永小百合さんが在学していたが、そんな騒ぎは一切起きなかったように思う。あの頃は、ご本人もクラスメートも、早大生としての矜恃があったのだろう。
広末涼子の早稲田の日々は、彼女の青春におけるバブルの一瞬ででもあったのか、結局、ろくに登校もしないまま、あっという間にキャンパスから去っていった。それに引き換え、そのまんま東さんの大学生活は余り話題にならなかった。次に私が聞いたのは、彼が第二文学部を卒業後、AO入試で早大の看板学部の一つである政治経済学部に入学を果たしたという報せだった。「真面目に勉強していたのかな」と少々意外に思いながらも、それ以上格別の興味は覚えなかった。
それから1、2年経った秋のある日、私は大隈講堂の舞台裏で、そのまんま東さんの姿を見かけた。学生自治会の政治運動の資金源になるというので、学校当局は「早稲田祭」の開催を禁止していた。大学院時代から非常勤講師を務めていた1960年代後半から70年代前半、早稲田大学、とくに文学部は自治会に゛占領″されていて、私はその泥沼の学園紛争を目の当たりにしていた。「早稲田祭」禁止は、学問の府を静謐な環境に戻すという意味で当局の大英断であった。
時代の流れや学生の気質も変わり、そろそろ再開という声も上がっているが、結局は学生の自主的な運営という形式で、ここ数年「早稲田祭もどき」が開催されるようになった。東さんを見かけたのは、そのイベントの最中であった。日本文化の伝承という大義名分の下、ある学生サークルが「着物を着よう」と呼びかけ、その日は大掛かりなショーが計画された。私は、シンポジウムのパネリストとして参加要請に応えるとともに、着物のモデルとしても出演をした。実は、モデルのほうが楽しいと当方が強要した結果である。結婚式からお宮参り、七五三、そして成人式と、女子学生をはじめ老いも若きも、男も女も、大いに楽しんだイベントであった。
舞台の進行に間に合わせるのに、舞台裏はテンヤワンヤ、着物を2、3回着替えて一段落したとき、目に入ったのが東さんの姿だった。彼は着物ショーに関係なく、舞台裏に1人でやってきていた。周りの喧騒を気にするでもなく、あちこち動いていた。誰かに声をかけるでもなく、かけられることもなく、1人でゴソゴソと゛何か″をやっていた。その姿には堕落した芸人の影は微塵もなく、謙虚な普通の男性に見えた。
私は以前から折に触れ、自由社会での最も良いことの1つは、何回でも仕切り直しができることだと語ってきた。再チャレンジが許されるということである。ただし、仕切り直し、または再チャレンジを成功させるには、それなりの条件が必要で、闇雲に再チャレンジを繰り返しても、結果は失敗の連続になりかねない。東さんにとって、そのための条件は何だったのだろうと考えると、案外問題を起こして謹慎していた時間が、彼にとっての再チャレンジの下地となったような気がする。
勝手な想像だが、謹慎を余儀なくされたタレント「そのまんま東」は、受験勉強に勤しむことで勉学の楽しさと意味を感じ取ったのかもしれない。そしてそれによってタレント、芸人とは違う人生の目標ができたのかもしれない。実際、東さんは児童福祉法違反で摘発された風俗店に出入りしていたことについて、「皮肉だが、あの事件で青少年の育成について再認識した。体験を身をもって伝えられるのが私の利点。過去の罪はまだ終わっておらず、県政の信頼とともに、回復しなければならない」と当選後すぐに語っている。天罰が、彼に人生を切り開く運をもたらしたとしたら、なんとも人生は面白い。
実際、タレントや有名人を動員するという手法に頼らなかった選挙運動中の真摯な戦いぶりや、訴え方が宮崎県の有権者、とくに多くの女性票を獲得することにつながったという。女性スキャンダルを起こした候補者が女性から圧倒的な支持を受けたのは、東さんの仕切り直しに好感を抱いた結果と言えよう。さらに約八十にも上るマニフェスト(具体的な選挙公約)を他の候補者よりも分かりやすく、強く打ち出したことも、東さんの勝因に上げられている。自堕落な日々を送っていただけだったら、知事選出馬を決意してもこうはいかなかったに違いない。自らを省みて変わろうと努力した結果を、私は率直に評価したい。
東国原知事誕生が問いかけるもの
安倍晋三首相は、「新たな日本が目指すべきは、努力した人が報われ、勝ち組と負け組が固定化せず、働き方、学び方、暮らし方が多様で複線化している社会、すなわちチャンスにあふれ、誰でも再チャレンジが可能な社会です。格差を感じる人がいれば、その人に光を当てるのが政治の役割です」と語って、内閣の重要課題として、総合的な「再チャレンジ支援策」の推進を強調した(昨年9月の所信表明演説)。
そのまんま東さんは、自らの人生を再チャレンジによって切り開き、タレント「そのまんま東」から宮崎県知事・東国原英夫となった。まさに安倍首相の語る「再チャレンジ」の現実的姿の一つを見せたといってよいのではないか。
就任早々、鳥インフルエンザ対策に忙殺されている東国原知事は、宮崎県産品のセールスマンとして全国を駆け回ることを宣言し、4千円で購入した作業着姿はなかなか板についている。これまでも東京都の青島幸男知事や長野県の田中康夫知事らのように、タレント性を生かして無党派層の支持を得て当選した知事は少なくないが、必ずしもうまくはいかなかった。「政治や行政のプロ」は信用できず、政官業癒着の利権構造に立つ守旧的な政治を刷新してくれ、という「破壊願望」を満たすだけでは、結局、議会会派と対立を重ねるばかりで実りなしということもあり得る。
東国原知事は、2月15日に開かれた県議会で初の所信表明演説を行い、「宮崎をどげんかせんといかん」「新しい宮崎に全身全霊をささげる」など方言を交えながら改革姿勢を強調し、公約集(ローカルマニフェスト)にそって出直し選挙の発端となった官製談合事件を防ぐ入札・契約制度改革の実施なども表明した。本会議には傍聴席の定員60人を超える93人の傍聴希望者が詰め掛け、同議会では初めて傍聴席の抽選を行い、入りきれない傍聴者のために別室のテレビで生中継をしたという。その傍聴席からは拍手も起った。今は、新鮮さと物珍しさもあってマスコミも注目し、好意的に報道している。宮崎県民も選んだ直後ということもあって、見守るような心境であろう。これから東国原知事に本当の試練が訪れる。彼は、政治家としてだけでなく、人間としても、再チャレンジによって掴んだ道を活かせるか、あるいは再び損なってしまうかが問われている。
「故郷のために尽くす」
欲望ではなく希望の力
謹慎期間中の彼を支えたものは何だろう。それは案外単純な思いで、あえて言葉にすれば「希望」というものかもしれない。
ここで、そのまんま東さんの再チャレンジから離れて、少し考えてみたいことがある。格差社会、勝ち組負け組…、なんとも後ろ向きの言葉が今の日本を覆っているような気がする。競争社会に日本人がすっかり疲れてしまったということだろうか。いや、それどころか「日本には何でもあるけれど、希望だけがない」と語る者すら出てきている。数年前にベストセラーになった村上龍氏の『希望の国のエクソダス』の登場人物が口にする一節である。日本という国に絶望して独立国をつくることをもくろんだ中学生たちの物語だが、私は最初、この台詞の意味がよく分からなかった。
すべてがある国に、なぜ希望だけがないのか。すべてを与えてくれる国なのに、希望だけは与えてくれないと駄々をこねていると受け取れば、それは分からないことでもない。しかし、希望というものは自ら抱くものであって、誰かに与えてもらうものではない。何を希望し、何を追い求めるかというのはきわめて人間の内面の問題である。何でも国から与えられることに馴れてしまった日本人は、ひょっとしたら希望さえも与えられるものだと思っている。ここにあるのは究極の受け身の姿勢だ。
私は再チャレンジにも条件があると先に述べた。それは、自分の人生は自分で決めるべきだが、その自分は自分1人のものではないと感じられるかどうかである。「何でもある国」が先人たちの血と汗の辛苦の賜物であると気づけば、そのことにまず感謝すべきで、それを忘れて「希望だけがない」などと口にするような人間は、何度チャレンジの機会を与えられても、結局何事も成し得ないだろうと思う。
私が今の日本人、とくに若い人を見ていて感じるのは、現在の繁栄は自分たちより前の世代が営々と築いてくれたものだという感謝の念がないことだ。それでいて、今の「足りなさ」ばかりを強調する。そして、まるで砂粒のように己一個の感覚しか持ち合わせていない。格差社会と非難しながら、自分はどれほど努力をしたのか。あるいは他者のために何かをしたか。感謝を忘れ、要求ばかりが肥大していないか。
私は、そのまんま東さんの再チャレンジは、「故郷宮崎のために尽くす」という己一個を超えた゛希望″を、恐らくは謹慎期間中に抱いた結果ではないかと推測している。かりに自分1人の゛欲望″ならば、彼はこんな形での再チャレンジはできなかったに違いないと思うのだが、どうだろうか。今後が楽しみだ。
評論家
きん・びれい 金 美齢
(略歴)
金 美齢氏
昭和9(1934)年台湾・台北生まれ。
昭和34年留学生として来日、早稲田大学文学部英文学科入学。
同46年同大学大学院文学研究科博士課程修了。
ケンブリッジ大学客員研究員、早稲田大学の英語講師、JET日本語学校(東京・北区)校長を歴任。
辛口の評論家として雑誌、テレビなどで活躍中。
著書に『日本よ、台湾よ』(共著、扶桑社)、『入国拒否』(同、幻冬舎)など。 |
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