月刊正論:4月号から  
-------------------------------------------------------------------
産経新聞社「月刊正論」からEISへの提供コラムです。
-------------------------------------------------------------------
   〓2006 Wamer Bros. Entertainment Inc.and Dream Works LL.C

  サブカルチャーから読み解く
映像という名の戦場
「硫黄島二部作」の功罪
突きつけられたのは、戦後の日本人がいかに「みずからの視点」を持っていないかであった
(P122〜130)
 
評論家●さとう・けんじ 佐藤 健志


(頁 前へ 1・2 )
  虚構としての正義
 
 当の写真は、太平洋戦争末期を代表する映像の1つだが、先に紹介した笹川良一の言葉を思い起こすとき、これにも象徴的なものがあろう。日本側のカメラ(=視点)が、日の丸の旗とともに進むとすれば、アメリカ側のカメラは星条旗とともにやってくるのである。以下では2部作の内容を順に紹介し、そこにこめられた洞察や主張を検討してみたい。

『父親たちの星条旗』は、摺鉢山に旗を立てた兵士の1人である海軍衛生下士官ジョン・ブラッドリーの体験を、息子のジェイムズがたどる形式で展開される。ジョンは硫黄島の戦いに参加したことこそ家族に語っていたにしろ、「旗を立てた英雄」だったことはずっと打ち明けずにいた。父の死後、そのことを初めて知ったジェイムズは「なぜ沈黙を貫いたのか」という点に強い関心を持つ。

 かつて戦友だった人々をたずね、話を聞いてまわるジェイムズが、観客の視点を代表しているのは言うまでもない。もっとも映画の大部分は戦争当時の場面によって占められており、実質的な主人公は父ジョンの方になっていた。

 硫黄島の攻略が開始されて五日後、負傷兵の移送や応急治療に当たっていたジョンは、海兵隊員たちが星条旗を立てる際、頼まれて手を貸す。その様子を撮った写真はアメリカ国内で大々的に紹介され、戦争の長期化に苛立っていた国民に「もうすぐ勝てる」という展望をもたらした。他方、戦費調達に苦心していた政府は、写真を利用したキャンペーンを張って、人々に戦時国債を買わせようと思い立つ。

 写真に登場した六人の兵士は、かくしてアメリカに呼び戻された。ただし3人はすでに戦死していたため、祖国へと向かったのは、ジョンのほか、レイニーとアイラという海兵隊員のみである。軍や政府のお偉方から歓迎を受けたのち、「旗を立てた英雄」たる彼らは、キャンペーンの主役として全国各地を旅することになった。

 キャンペーンは大成功をおさめるが、名声を素直に楽しんでいるかに見えるレイニーとは裏腹に、ジョンとアイラの心境は複雑だった。多くの仲間を失い、生き残った者もなお前線で戦っているさなか、スターのごとく華やかに振る舞わねばならないギャップが重荷となっていたのだ。しかも彼らは、摺鉢山に初めて星条旗を立てた兵士ですらなかった。最初に立てられた旗は、上層部の命令で保存されることになり、かわりの旗があらためて立てられたものの、大々的に紹介されたのはこちらの様子を撮った写真だったのである。

 ジョンはどうにかキャンペーンの仕事をこなしてゆくにしろ、アイラは酒に溺れ、公衆の前でも醜態をさらすようになる。アメリカ先住民(いわゆるインディアン)の出であり、差別や抑圧を体験してきた彼には、このすべてが欺瞞として感じられたのだった。やがてアイラは前線に戻ることを決意、ジョンとレイニーの前から去ってゆく。

 そのうち戦争は終わり、ジョンは葬儀屋となる。彼は自分自身の会社を持つまでになる一方、レイニーはウダツがあがらないまま、恵まれない生涯を送った。そしてアイラは先住民の地位向上をめざす政治運動に参加するかたわら、酒との縁が切れず、野垂れ死ぬも同然の最期を迎える。

 −−ここまできて息子ジェイムズは、父が死ぬ少し前にあった出来事を思い出す。発作を起こして倒れ、病院に運ばれる際、ジョンはなぜか息子に謝ろうとしていたのである。父が硫黄島でイギーという親友を失い、それにずっとこだわっているのを知っていたジェイムズは、「『旗を立てた英雄』としての過去を語ろうとしなかったのは、戦友たちとの間に、家族でさえ入りこめない絆があったからではないか」なる旨を悟り、「彼らは祖国のために戦った。だが彼らは友のために死んでいったのだ」と述懐して映画をしめくくった。

『父親たちの星条旗』が提起する主題は、「戦争は軍事力のレベルだけでなく、イメージ(=映像)のレベルでも戦われる」と要約できる。硫黄島の戦いにアメリカが勝ったのは、戦力において圧倒的にまさっていたからだが、劇中に登場する政府高官の台詞によれば、戦時国債が十分売れないかぎり、その戦力も活用できなくなる恐れがあった。そしてジョンたちの行ったキャンペーンは、他のいかなる戦時国債キャンペーンよりも多くの資金を集めたとされるのだから、アメリカの勝利を決定的にしたのは1枚の写真だったと評しうる。

「敗者は映像を持つことができない」なる先のテーゼにならえば、「自国の正義や、勝利への展望を、説得力をもって示せる映像を手に入れた側が、すなわち勝者になる」というところであろう。父の足跡をたどる過程でジェイムズが会う元兵士の1人など、アメリカがベトナム戦争に勝てなかった理由まで、1枚の写真のせいにした。同戦争はベトナム全土の共産化をめざす北ベトナムと、反共を掲げる南ベトナムの抗争に端を発しているものの、戦闘が激化してからしばらくして、南側のイメージを決定的に損なう写真が出回ったというのだ。

 問題の写真は、1968年2月、南側の国家警察本部長が、南ベトナム解放民族戦線(北側を支持する革命組織)の幹部を捕らえ、白昼の路上で至近距離から射殺する様子を撮ったもので、世界中に衝撃を与えた。くだんの元兵士によれば、これを契機に「南ベトナム=悪」の図式が確立されてしまい、南側を支援するアメリカにも勝利のチャンスはなくなったそうなのである。1968年は、くしくも大島渚が『大東亜戦争』を作った年にあたるが、『体験的戦後映像論』において、大東亜戦争とベトナム戦争を直接的に結びつけたところを見ると、「敗者は映像を持つことができない」なる発想の背後にも、「かくも力強い映像を得たからには、ベトナム戦争は必ず北側の勝利に終わる(=自分たちがアメリカに負けた仇をベトナム人が取ってくれる)」旨の思いがあったのかも知れない。

 同戦争で解放戦線のとった戦術が、硫黄島での日本側の作戦(日本軍は島中に地下壕を構築、徹底したゲリラ戦を繰り広げた)を参考にしたとされるにいたっては、いささか出来すぎではあるまいか。それはともかく、たまたま撮られた写真によって善悪のイメージが確立され、勝敗の行方まで左右されるとすれば、戦争にまつわる「国家の正義」など、およそ虚構にすぎないことになる。

 このせいであろう、『父親たちの星条旗』において、米軍(とくに上層部)は官僚主義のはびこる無責任な組織に描かれたし、政府は政府で「とにかくカネが必要」の一点張りであった。ジョンたちを英雄として讃える「各界の名士」の多くも、前線で戦う兵士の苦労など少しも理解しないまま、愛国的なポーズを取りたがる偽善的な面々とくる。レイニーはキャンペーン中、さる実業家より「除隊したらぜひウチの会社に来てほしい」と言われるが、戦争が終わるや、この約束は反古にされてしまった。
 
正当化される強い者勝ち
 
 アメリカではふつう、第二次大戦における自国の立場が絶対的に正しかったと見なされているのを思えば、かかる作劇は大胆なものといえよう。「『英雄』と見なされた父の真実が、息子の手で明かされる」というシナリオの構成が示すとおり、イーストウッドは「アメリカの正義」の普遍性が揺らいだ現在の視点より、その過去を見直そうとしているのである。

 実際、映画にはベトナム戦争への言及のみならず、イラク戦争を連想させる台詞まで登場した。硫黄島に向けて出発する直前、訓練に明け暮れていた兵士たちは、「お前たちは砂漠だらけのところに行くんだ。ベドウィンに気をつけろよ」などとからかわれる。ベドウィンとはアラビア半島に暮らす遊牧民を指すのだから、これでは極東ならぬ中東に送られるかのごとくではないか。


『父親たちの星条旗』には、「第二次大戦の勝者アメリカが、みずからの『正義の視点』を進んで捨てる」という含みが見られる。「戦争では、『正義の視点』を提示できた方が勝者になる」という発想にしたがえば、これは「勝者としての正統性を返上する」ことにひとしい。硫黄島の戦いについて、イーストウッドが日本側の視点に立った作品まで撮りたくなったのも当然であろう。片や日本は敗戦いらい、祖国の正義(わけても大東亜戦争における正義)を信じる視点を喪失したままなのだから、『硫黄島からの手紙』が作られたことには大いに感謝すべきだと評したくなる。

 けれども「硫黄島における日本側の視点を、アメリカ映画を通じて見る」という構図は、「日本人がアメリカ映画に熱中し、向こうの視点にあやかることで自己肯定をもくろむ」という敗戦直後のそれとほとんど変わらない。しかも『父親たちの星条旗』に「アメリカが『正義の視点』をみずから捨てる」含みがうかがわれたことは、『硫黄島からの手紙』が「日本には日本の正義があった」ことを認める形で描かれることを意味しないのだ。イーストウッドの立場は「どこの国にも、その国なりの正義がある」というより、「どこの国にも正義などない」というものに近いからである。

『父親たちの星条旗』の幕切れに登場した台詞「彼らは祖国のために戦った。だが彼らは友のために死んでいったのだ」を、今一度想起していただきたい。この言葉はたしかに美しいし、「生死を賭した戦場においては、抽象的な理念よりも生身の友情の方が重要だ」と解するならば説得力も持つ。

 だからといって、祖国のために死ぬつもりが兵士たちになかったことにはなるまい。「戦友のために死ぬ」と「祖国のために死ぬ」は、イコールではないにせよ、つねに矛盾するわけではないのだ。しかるに先の台詞はこれを実質的に否定、「祖国」(=国家の正義)と「友」(=個々の兵士の人間性)を完全な対立概念であるかのように提示する。

 かかる発想にしたがうかぎり、「個々の兵士の人間性」を肯定するなら、「国家の正義」は否定してもよい−−いや、否定されねばならないことになろう。つけくわえるならば、現実問題として地上から戦争がなくならない以上、「どこの国にも正義などない」と構えるのは「強い者勝ち」を正当化するにひとしい。いかなる正義も虚構にすぎなければ、力の優劣がすべてとなるしかないのだ。

 これらの点を踏まえて、『硫黄島からの手紙』の内容を紹介しよう。映画は日本軍の戦いを、3人の人物を軸に描いている。すなわち守備隊指揮官の栗林中将、オリンピック金メダリストの経歴を持つ西竹一中佐(これも実在の人物)、そして身重の妻を国内に残して徴兵されたパン屋出身の一兵卒・西郷である。

 武官としてアメリカに駐在した経験を持ち、合理主義者でもあった栗林は、着任早々、通常の迎撃戦術ではすぐに負けると考え、地下に隠れたまま敵を上陸させ、ゲリラ戦を挑むことに決める。皇国史観(=日本を絶対視するイデオロギー)に凝り固まった守備隊幹部の多くは、この作戦に「弱腰」と反発するが、栗林は右腕たる西中佐の協力も得て地下壕の建設を進めた。

 片や西郷はまるで戦意がなく、陣地設営中も「こんな島、アメリカにくれてやればいいのに」とボヤいて憲兵にムチ打たれる。ちょうどその場に居合わせた栗林は、兵力が足りないのに体罰を加えるのは愚かだと指摘、彼を助けてやった。やがて米軍が進攻、戦闘が始まる。西郷は、敵の上陸地点に近い島南部の拠点・摺鉢山の部隊に配属された。

 五日後に山が陥落すると、部隊内では集団自決の声が高まるが、「生存者は島北部の司令部に向かえ」という命令が出ているのを知った西郷は山を後にする。だが司令部でも情報が錯綜しており、彼は敵前逃亡と見なされ処刑されることになった。しかるにこのときも栗林が中止を指示、西郷はふたたび助けられる。

 他方、別の壕を拠点にしていた西中佐のもとには、捕虜となった米兵サムが運びこまれた。殺すべきだと主張する部下を抑えて、西はサムの傷を手当てするよう命じ、英語で話しかける。彼がオリンピック金メダリストのうえ、戦争前はメアリ・ピックフォードやダグラス・フェアバンクス(どちらも当時のハリウッド・スター)と交友関係があったと知って、サムは心を開くものの、ほどなくして米軍の攻撃により西自身が重傷を負った。彼は部下に移動を命じると、ライフルでおのれの生命を絶つ。

 数週間の激戦のはて、日本軍は全滅寸前にまで追いこまれた。みずから先頭に立ち、最後の突撃を敢行した栗林だったが、ついに瀕死の状態となり、部下の将校の手で海岸へと運ばれる。もはや切腹する力がないと悟って、栗林は介錯(=首を切り落とすこと)を頼んだ。しかし軍刀を振り上げたところで、将校は撃たれて戦死してしまう。

 するとその場に、生き残っていた西郷が現れた。一兵卒にすぎない彼に、軍刀を使って介錯するのは無理と判断した栗林は、自分の遺体を誰にも見つからないよう埋めてくれと告げ、大事に持っていたコルト拳銃で自決する。それはかつてアメリカを去る際、友人の米軍将校より贈られたものだった。西郷は直後に捕虜となるにしろ、いずれは祖国に生還することが暗示される。そして映画は、日本軍将兵が家族あてに書いた手紙が、現在の硫黄島で見つかるところで終わった。
 
皇国史観による二分法
 
 これらの手紙は、栗林や西郷が書いたものを中心に、ナレーションがわりとして劇中で朗読されるものの、内容は例外なく家族を気づかう心情に満ちている。『父親たちの星条旗』の台詞にならえば、「彼らは祖国のために戦った。だが彼らは家族のために死んでいったのだ」となるところであろう。

 本論前半でも指摘したとおり、太平洋戦争を扱った日本映画のほとんどは「罪のない普通の人々(ないし『純真で誠実な若者』)が、政府や軍部のせいで戦争に巻きこまれ、それでも精一杯生きようとする」という図式より抜け出せていない。それに比べれば、『硫黄島からの手紙』における日本軍将兵の描写はかなり肯定的なものと評せよう。日本映画の図式にしたがえば、将兵の犠牲は「生きたかったのに死ぬほかはなかった」もの−−つまり単なる無駄死にとなってしまうのにたいし、イーストウッドは彼らの死にも意義や価値を見出そうとした。

 このことはむろん、われわれの視点喪失ぶりの根深さを証拠立てるものにほかならない。ただし看過しえないのは、日本側のあらゆる将兵がひとしく肯定されているわけでないことといえる。内容紹介からも分かるとおり、『硫黄島からの手紙』には「皇国史観にとらわれていない者=良い将兵、皇国史観でガチガチの者=悪い将兵」なる、かなり露骨な二分法が見られるのだ。

 なるほど、戦力差を無視して正面切った迎撃にこだわったり、兵士にやたらと体罰を加えるのは、決して感心できたことではない。だとしても「皇国史観に凝り固まった軍人は、家族を思う気持ちなど持たない」と片づけられるだろうか。栗林の作戦に反対した幹部連や、西郷をムチ打った憲兵にしても、故郷に手紙を書いたに違いないのだが、映画を観るかぎり、その内容は想像もつかない。というより、彼らにはそもそも家族がいる印象を受けないのである。

 イーストウッドは「(良い)日本軍将兵の人間性」を肯定しつつも、「日本の正義」については「アメリカの正義」に輪をかけて否定したといえよう。『父親たちの星条旗』が愛国主義を偽善と見なしたとすれば、『硫黄島からの手紙』は皇国史観を悪と見なしているのだ。さらに前者で、兵士を肯定する鍵としての「友」が具体的に描きこまれたのとは対照的に、後者において将兵を肯定する鍵となる「家族」は、きわめて抽象的な形で提示されるにとどまる。序盤、身重の妻との別れを惜しむ西郷をとらえた短い場面があるのを除けば、守備隊の家族は誰ひとり映画に登場せず、西郷の子供が無事に生まれたかどうかも分からない。

 そして作品には、日本軍将兵を肯定するもう1つの鍵がひそむ。コルト拳銃を肌身離さぬ栗林、ハリウッド・スターを友人に持つ西、「こんな島、アメリカにくれてやればいいのに」とボヤく西郷と並べれば、くだんの鍵が「親米」なのは指摘するまでもなかろう。論より証拠、劇中には栗林の回想が何度か挿入されるけれども、それらはアメリカ駐在時のものばかりとなっていた。

 また西が、栗林より遅れて硫黄島に到着したおり、喜んだ栗林は1杯やろうと持ちかけるが、酌み交わされるのは日本酒にあらず、洋酒のジョニー・ウォーカーとくる。守備隊の将校の中には、栗林を「アメリカの腰巾着」呼ばわりする者が出るものの、これもあながち偏見とは言い切れない。西郷の本職が、米屋や餅屋ならぬパン屋という設定とて、彼が映画の創作であろうことを思えば、なかなか示唆的であった。

 きわめつきは、栗林の死をめぐるくだりである。この場面が史実をどの程度踏まえたものかさておき、重要なのはイーストウッドが、またもや彼の回想を挿入していることなのだ。おまけに回想の中で描かれるのは、日本への帰国を目前にした栗林が、アメリカで最後のドライブを楽しむ様子ではないか。
 
二部作をどう評価すべきか
 
「帰国直前」なる点に着目すれば、これも「栗林の魂が祖国に戻ろうとしている」ことを表したものと取れなくはない。しかしその直後、彼が切腹を果たせずコルト拳銃で自決した−−つまり日本のサムライとしてではなく、米軍将校として死んだのを思えば、彼の魂はアメリカに向かったと解釈するのが妥当といえよう。なにせ西郷が現れたとき、栗林は「ここはまだ日本か」(硫黄島は日本領で、東京都の一部である)とたずね、西郷は「はい、日本であります」と答えている。すでに日本にいる栗林の魂が、あらためて日本に戻ることはありえまい。

『硫黄島からの手紙』のメッセージは、「皇国史観なる『国家の正義』にさえ取りつかれなければ、日本人は家族思いで親米的な『良い人々』なのだ」とまとめられる。つまりイーストウッドは、「アメリカの正義」に懐疑的な視点を向けつつも、アメリカの文化や生活様式については、その普遍性と優越性を自明視しているのだ。しかもすでに述べたとおり、「どこの国にも正義などない」と構えることは、「強い者勝ち」の正当化につながるため、アメリカの「勝者としての正統性」も本当には揺らいでいない。

 考えてみても、「かつて自国が行った戦争を敵側の立場から描く」(そして当の戦いを、世界最高水準の映像で再現する)のは、それ自体「アメリカの視点」の普遍性と優越性を誇示するものといえる。「敗者の視点」までもが「勝者の視点」の一部に組みこまれるとき、敗者が独自の視点を持てるはずはない。日本軍の隊長たる西中佐が、ハリウッド・スターと親しかったと聞いて、捕虜の米兵サムが心を開く場面にしても、この文脈では「戦争当時から『アメリカの視点』は普遍性を持っていた」なる意味合いを有する。米軍将校が、捕虜となった西郷にたいして「(当時の大スター)長谷川一夫を知っている」と告げる場面が成立するかどうか想像してみれば、これがアメリカの勝利を暗示することは自明であろう。同国の映画監督サミュエル・フラーの名言ではないが、まさしく「映画(=視点)は戦場」なのだ。

 とはいえ「結局イーストウッドは日本を貶めている」などと反発するのは、アメリカへの甘えに基づく八つ当たりにすぎない。「祖国の正義」を信じる視点は、その国の人間の手で提示されるべきものであり、外国人に肩代わりを期待する方がおかしいのである。だいたい敗戦後、日本人は国民規模で親米的になったのだから、「皇国史観さえなければ、日本人はアメリカの普遍性や優越性を認める」という認識が間違っているとは評しがたい。あまつさえ『硫黄島からの手紙』における日本軍将兵の描写は、たいがいの日本映画よりも肯定的とくる。

 戦後のわれわれが、みずからの視点と呼べるものをいかに持っていないか−−これを突きつけただけでも、硫黄島二部作は高く評価されねばならない。さらに両作品からは、「国家の正義にはいかがわしい点も多いが、強い者勝ちがまかり通るのを防ぎたければ、かかる正義を否定するわけにもゆかない」という洞察すら引き出せる。だが「アメリカが自分の正義を否定した」「日本側の立場を良く理解してくれた」と無邪気に喜んでいるようでは、映画はわれわれの視点喪失にいっそう拍車をかける恐れが強い。

 クリント・イーストウッドは、観客によってさまざまな解釈が成立する作品をつねにめざしているとされるが、硫黄島二部作の功罪がいかなるものかも、日本人の主体性いかんで変わるのだ。このような主体性こそ、視点の基盤をなすものであり、われわれが取り戻さねばならないものといえよう。映画に限らず、芸術の本質がコミュニケーションなのを思えば、作品発表の際に問われるのは作り手の力量ばかりではないのである。

評論家●さとう・けんじ 佐藤 健志
 
略歴
 佐藤健志氏 昭和41年(1966)東京都生まれ。
 東京大学教養学部卒。
 平成元年、戯曲『ブロークン・ジャパニーズ』で文化庁舞台芸術創作奨励特別賞受賞。
  著書に小説『チングー・韓国の友人』(新潮社)、
  評論集『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文藝春秋)、
  『幻滅の時代の夜明け』(新潮社)『未来喪失』(東洋経済新報社)など。
  今春、新著『リアリティ・ポップ』をNTT出版より刊行予定。


 
(頁 前へ 1・2 )
←「正論」購入を希望される方はこちら(送料無料) ===================================================================
  このコラムは、毎週水曜日に更新予定です。 ===================================================================

Copyright©EIS,Inc.2007 All rights reserved.