月刊正論:4月号から  
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産経新聞社「月刊正論」からEISへの提供コラムです。
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   〓2006 Wamer Bros. Entertainment Inc.and Dream Works LL.C

  サブカルチャーから読み解く
映像という名の戦場
「硫黄島二部作」の功罪
突きつけられたのは、戦後の日本人がいかに「みずからの視点」を持っていないかであった
(P122〜130)
 
評論家●さとう・けんじ 佐藤 健志


(頁 1・2 次へ
   戦後このかた、わが国の左翼は、国家権力、なかんずく日本政府のあり方を否定したがる、いわゆる反国家主義の傾向を顕著に見せてきた。だとしても「左翼は反日的なのだ」と単純に片づけるのは、必ずしも適切ではない。左翼の反国家主義的な姿勢の背後には、日本や日本人のアイデンティティを根底から見直したいという、ナショナリズムにも通じる心情がしばしばひそんでいるのである。

 たとえば映画監督の大島渚は、左翼的・反体制的な内容の作品を多数発表したことで知られるが、1968年、太平洋戦争を題材とする2時間のテレビ用ドキュメンタリーを作った。というと、いかにも軍国主義を糾弾して反戦を説いたかのようだが、じつは同作品、戦時中の映像と音声(大本営発表や、新聞社説の朗読を含む)のみで構成されており、それ以外のコメントは一切添えられていない。大島のねらいは、「戦後」の視点を盛りこむことなく「戦中」の実感を再現することにあったのだ。

 著書『体験的戦後映像論』(朝日新聞社、1975年)において、大島は「この手のドキュメンタリーでは、決まって反戦的な内容のナレーションがつくが、それが(平和を訴える)美辞麗句で飾られていればいるほど、見る側にとっては白々しい」なる旨まで述べている。しかも彼はプロデューサーと相談したうえで、同番組のタイトルを『太平洋戦争』ではなく『大東亜戦争』とした。なぜそうしたのか、本人の説明を紹介しよう。

「戦後になって一応の通称とされた『太平洋戦争』という呼び名は、歴史を偽造するものである。あの戦争の戦域は、太平洋に限られたものではない。総体として『第二次世界大戦』にふくまれつつ、日本人の主観としては、あくまで『大東亜戦争』だったはずである。そして客観的に見ても、あれがアジアにおける覇権争いだったことは確かである。日本とアメリカの覇権争いが、植民地化されていたアジア諸国の独立運動と複雑にからまりあいながら、アジア全域にわたって展開されたのがあの戦争である。その意味では、『大東亜戦争』は(番組制作当時に真っ最中だった)ベトナム戦争にまでつながっている。将来においては、アジア諸国の立場から、これらの戦争はすべてひとつながりのものとして、『アジア解放戦争』として一括されるだろう」(『体験的戦後映像論』、15ページ)。

 1941年末から1945年夏にかけて日本が行った戦争をどう呼ぶのがふさわしいかは、この解放戦争が完全に終結した時点になって、はじめて客観的に確定する。ならばそれまでは、妙に言い替えたりせず、戦争当時の呼称を用いるのが正しいというわけなのだ。

映像の欠如が語るもの
 
「アジア解放戦争」なる概念は、ベトナム戦争との関連づけが示すように、アジア全体がいずれは社会主義化されることを前提としており、きわめて左翼的なものといえよう。だが同時に、くだんの主張は2つの注目すべき認識のもとに成り立っている。第1の認識とは、アジア諸国民にとっても、大東亜戦争は「欧米の植民地支配から自由になるための戦い」としての意味合いを有していたというものであり、第2の認識とは、かかる解放の戦いが、日本が降伏した1945年以後も連綿としてつづいてきたとするものにほかならない。

 敗戦直後、インドネシアにいた日本軍将兵の中には、同国の独立運動に参加することで「アジア解放」の貫徹をめざす者たちが出たにしろ、大島はさらに20年あまりを経たのちも、そのような視点を保っていたのである。あまつさえ彼は『大東亜戦争』というタイトルの題字を、元首相の岸信介に書いてもらった。自国が過去に行った「過ち」とされる戦争について、性急な評価を避けながら、おのれの現在につながってくるものとして主体的に見つめなおす−−これはまさしく、真正な保守的精神に通じる姿勢と評されるべきであろう。

 しかるに『大東亜戦争』を作る過程で、大島は興味深い事実に気づく。戦局の推移と、素材として使える映像の有無には、明らかな相関関係が存在したのだ。『体験的戦後映像論』において、彼はこの点を詳しく述べ、「戦争においては、勝っている時だけ映像を持つことができるのである。敗者は映像を持つことができない」という秀逸なコメントを付した。

 それによると、1941年12月の真珠湾攻撃から翌年の半ばくらいまでは、戦場の光景にせよ、国内の様子にせよ、かなり克明に撮られており、素材に不足することはない。ただし戦局の変わり目となったミッドウェイ海戦(1942年6月)や、つづいて展開されたガダルカナル島の死闘(同年8月〜1943年2月)になると、すでに日本側の映像はなくなる。もっともこの段階ではアメリカ側の映像も少なく、両軍とも余裕がなかった(=アメリカが一方的に勝ち始めるまでにはいたっていなかった)ことをうかがわせた。

 だが次第に、映像面でも日本はアメリカに圧倒されてゆく。戦場を撮ったフィルムがないのはもとより、国内の様子を写しても「なぜか(画面に)力がなくなってしまう」というのだ。大島は山本五十六元帥の国葬(1943年6月)と、学徒出陣(同年10月)の様子をとらえたフィルムを、日本側による最後の力強い映像として挙げる。逆にアメリカは1943年5月、北太平洋のアッツ島を攻略した時点で、日本軍戦死者の姿などをくわしく撮りだしていた。いいかえれば映像に関するかぎり、われわれは大東亜戦争の最後の2年弱を、好むと好まざるとにかかわらず、もっぱら敵側の視点より見ることになる。

「日本が撮った最後の戦争場面が神風特別攻撃隊の出撃風景であったのは、さこそ(=しごく当然)と思われる。そしてそれは出撃風景だけで、敵艦隊に攻撃をかけ、撃ち落とされてゆく姿はアメリカ側のフィルムで見るほかはない」「この種の作品は原子爆弾のキノコ雲があればもう終りである。あとはどうしめくくるかだけだ。それがまことにしめくくりようがないのである。マッカーサーが厚木に到着してからは、再びアメリカ側の撮影したフィルムがある。そのちょうど中間の時期(=1945年8月の数週間)、日本にはフィルムがなかったのだ。いやフィルムはあったかもしれないが、★撮ろうという意志が★、、、、、、、、、★なかったのだ」(『体験的戦後映像論』、一九ページ)

 大島の指摘する「映像の欠如」とは、正確には「ドキュメンタリー作品の材料となりうる(=見るに値するだけの迫力を持った)映像の欠如」ということであり、戦争末期や敗戦前後のわが国について、映像が文字通り皆無なのではない。けれどもこれは裏を返せば、くだんの欠如が「負け戦で撮影の余裕がなかった」とか「物資不足でフィルムがなかった」といった理由だけでは説明しえないことを証拠立てる。敗色が濃厚となるにつれて真に失われていったのは、力強い映像を作る能力であり、さらにはそういった映像を撮ろうとする意志、つまり気力だったのである。

 この意味合いを理解するには、「力強い映像」がいかなる要素によって成立しているかを考えればよい。まずもって被写体が、見る者の関心を惹きつけるだけの魅力を有さなければ話にならないが、あわせて重要なのは、当の魅力をどうやって映像に定着させるかについて、撮影する側がはっきりした方法論−−すなわち「視点」を有することといえる。それがなければ、いくら撮影技術がすぐれていても、仕上がりは通り一遍にしかなりえまい。

 かかる視点を獲得する条件は、大きく2つに分けられる。第1は被写体の魅力について、撮影する側が確信を持つことであり、第2は「被写体を撮ることで何を表現するのか」というテーマが、きっちり把握されていることであろう。素材と主題に関する明快な★展望★ビジョン★こそ、力のこもった★映像★イメージ★を生みだす基盤なのだ。
 
「戦争と視点」をめぐる考察
 
 20世紀半ばの時点において、戦争をめぐる映像を製作するうえでの素材と主題はむろん決まっていた。戦場であれ国内であれ、撮るべき素材となるのは「戦争遂行に尽力する人々の姿」か、その帰結たる「戦果」(戦勝祝賀の催しや、犠牲者追悼の類を含む)であり、表現されるべき主題とは「祖国の正義」にほかならない。ちなみに現在では、「正義の戦争」という概念がかつてほど説得力を持たなくなった一方、映像メディアが高度に発達したこともあって、戦争をめぐる映像の素材や主題も多様化したものの、戦争が国を挙げて行うものであるかぎり、本質的な点がどこまで変わったかは疑問といえよう。

 戦前、愛国主義団体「国粋大衆党」の総裁だった笹川良一は、関連して興味深い発言をしている。彼は1942年、『映画★之★の★友』なる雑誌のインタビューを受けたのだが、真珠湾攻撃をはじめとする、大東亜戦争初期の日本軍の活躍ぶりをとらえたニュース映像にいたく感動したと語り、つづけてこう語った。

「日の丸の御旗の進むところ、カメラも共に進め。ニュース映画こそ、第一線の将兵の心と、銃後国民(=国内の民間人)の心をしっかり結び★繋★つな★ぐものだ。また大東亜共栄圏建設のために苦闘する人々の姿を、刻々、我々の眼前に展開させて★呉★く★れるなど、最大最強の文化の武器である」(佐藤誠三郎編『正翼の男・戦前の笹川良一語録』、中央公論新社、1999年。228ページ)。

 ここで笹川が「日の丸の御旗の進むところ」とか「大東亜共栄圏建設のために」などと述べているのは、じつに示唆的と言わねばならない。しかり、この戦争をとらえた映像に力強さがこもるためには、戦況が日本に有利か、せめて決定的に不利ではなく(でなければ被写体となる人々から魅力が失われる)、かつ日本の正義や、勝利の見通しについて、撮影する側が展望を持っていること(でなければ被写体を魅力的に撮ることはできない)が不可欠だったのだ。負けがこんでくるにしたがい、見るに値する映像がなくなってゆくのも当たり前ではないか。

 大島渚によれば、山本五十六の国葬をとらえた映像には「恐るべき神がかり的な名文」のナレーションが添えられていたらしいが、おそらくこの時点で、日本人は神がかりにでもならないかぎり、祖国の正義や勝利を(本当には)信じられなくなっていたに違いない。「敗者は映像を持つことができない」なるテーゼも、「敗者は自国の正義を信じる視点を持ちえない」と置きかえられる。いや、「自国の正義を信じる視点を失った者こそ、真の敗者である」とした方が、より的確であろう。そのような者が自己を肯定するには、祖国を「悪」として否定するほかはないものの、これでは負けて良かったことになってしまい、敗者の身分を永遠に抜け出せなくなるのである。

 大東亜戦争の敗北が、かかる「視点の喪失」をともなっていたことは、戦後における反国家主義の風潮はもとより、「大東亜戦争」なる名称自体が使われなくなったことが雄弁に物語る。はたせるかな、日本人は敗戦直後よりアメリカ映画を熱心に見はじめた。これについても、大島は『体験的戦後映像論』で意味深長なコメントをしている。当時の人々にとり、アメリカ映画はたんなる娯楽ではなく、「(占領軍から与えられた)食糧と同じもの」であり、「飢えを満たす何ものか」「生きるための、直接的な何か」だったというのだ。

 彼のいう「何か」が、「自己を新たに肯定するための視点」であり、それによってもたらされる「安定したアイデンティティ」なのは自明であろう。しかし敗者が、勝者の視点にあやかることで自己肯定をもくろむのは、いかんせん姑息と言わざるをえないし、そこから生まれるアイデンティティとて、しょせんニセモノにすぎまい。

「太平洋戦争」(名称の変化に注意)を題材とするわが国のドキュメンタリーの多くが、ナレーションで反戦や平和を説けば説くほど白々しくなるのも、「反戦平和」自体が悪いのではなく、借り物の視点で自国の戦争を批判したうえ、そのことに気づきもしない主体性のなさゆえなのである。劇映画、つまりフィクションの作品にしても、ほとんどは「罪のない普通の人々(ないし『純真で誠実な若者』)が、政府や軍部のせいで戦争に巻きこまれ、それでも精一杯生きようとする」という、お決まりのパターンを繰り返してきた。大島渚が『戦場のメリークリスマス』(1983年)で、イギリス人作家ローレンス・ヴァン・デル・ボストの小説をもとに、同戦争における日本軍人を敵側たる英軍捕虜の視点より描いたのも、こう考えると興味深い。日本人独自の視点など、どのみち失われているのなら、ずばり外国人の視点に立つ方が主体性の回復につながるというわけであろう。

 ところが最近、ハリウッドでも意欲的な企画が登場した。太平洋戦争末期、日米間で死闘が展開された硫黄島の戦いについて、アメリカ側の視点と日本側の視点から1本ずつ映画を製作、二部作として公開するというものである。2本の作品は、先に作られたアメリカ編が『父親たちの星条旗』、つづく日本編が『硫黄島からの手紙』と名づけられ、どちらもクリント・イーストウッドによって監督された。

 今までの議論を踏まえれば、この企画は「戦争と視点」とも呼ぶべきテーマをめぐる考察としての性格を強く持つことになろう。『硫黄島からの手紙』のシナリオは、同島の守備隊指揮官・栗林忠道中将が家族にあてて送った書簡をもとにしているものの、「アメリカ人監督が、日本人の原作より太平洋戦争の映画を作る」という図式は、『戦場のメリークリスマス』を逆転させたものにあたる。『父親たちの星条旗』にしても、硫黄島にある唯一の山らしい山・★摺★すり★★鉢★ばち★山の頂上に、米兵たちが星条旗を立てる様子を撮った写真が、アメリカ国内で政治的に利用された過程を取りあげた。


 
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