月刊正論:4月号から
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 「支那事変」「南京」70年で過熱する反日宣伝
 中国だけでなく米国でも「大虐殺」の映画が製作され  日本では裁判所が「百人斬り」報道で  名誉回復を求める遺族の訴えを棄却…  プロパガンダの拡大をこれ以上許してはならない(P122〜130) <続き>
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■『レイプ・オブ・南京』の根深い影響    今年は、日中国交回復35周年である一方、日中事変勃発、そして南京事件 から七十年という節目の年にあたる。中国の世界に向けた反日宣伝戦が 一段と過熱することは必至だ。  国営新華社通信によると、中国と米英両国の共同で、「南京大虐殺」の 映画「南京浩却(災禍)」の上映が準備されている。 「スティーブン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』に次ぐ 第二次大戦中の大虐殺を扱った映画になるだろう」「アイリス・チャンの 遺作に基づき、旧日本軍による狂気じみた鬼畜のような残虐行為が行われた 中国の一般家庭の母と子の悲惨かつ不遇な状況を描く」と昨年8月15日の 同通信は伝えている。  この映画に出資している中国・江蘇省文化産業グループは2003年に 同省政府などの出資で設立され、中国共産党江蘇省委員会宣伝部が直接、 管理する国有企業だ。  アイリス・チャン氏は、米国でベストセラーになった『レイプ・オブ・南京』 (1997年)を書いた中国系米国人の女性ジャーナリストである。2004年11月に ピストル自殺した。鬱病が原因とみられている。  中国はこのほか、2004年に東京国際映画祭審査員特別賞を受けた陸川監督の 「中国戦回顧録」(仮題)や、香港のスタンリー・トン監督の「日記」などの 映画制作を進めている。 「中国戦回顧録」は、旧日本兵の老人が上海上陸から「南京虐殺」までを 振り返り、戦争が人間をどう変えたのかを描いているという。「日記」は、 南京事件の複数の当事者の日記をもとに日中戦争を描いているとされる。  さらに警戒しなければならないのは、米国での動きだ。  昨年12月9日、サンフランシスコの日本町にある「北加日本文化 コミュニティーセンター(JCCCNC)」で、日本の戦争責任を追及する 活動を続けている華僑団体「世界抗日戦争史実維護連合会」の主催による 南京事件の追悼行事が開かれた。これまでこの追悼行事はチャイナタウンで 行われていただけに、主催側の思惑が注目された。  行事には、中国総領事館関係者や中国系米国人のほか、慰安婦問題で 日本を追及している韓国系米国人も参加した。故アイリス・チャン氏を 記念する論文コンテストの入賞者の表彰も行われた。  同センターは地元の日系人団体により1973年に設立され、日本総領事館 などと協力して日本文化の紹介などを行ってきた。今回は、主催団体が 頭文字を使った略称で使用を申請してきたため、主催団体や行事の性格が 分からないまま、使用が許可されたという。  また、今年1月18日からユタ州パークシティーで開かれた「サンダンス 映画祭」に、南京事件を題材にしたドキュメンタリー映画「南京」が 出品された。映画祭事務局の資料は、南京事件で「20万人以上の中国人が 虐殺され、数万人が暴行された」としている。  この映画を制作したのは、大手インターネット企業「アメリカ・オンライン」 (AOL)のテッド・レオンシス副会長だ。レオンシス氏は、AOLの 事業モデルを有料インターネット接続事業から広告収入主体に転換した 米国の有力企業人として知られる。同氏は南京事件に関心を抱いた理由に ついて、保養中に読んだアイリス・チャン氏の自殺をめぐる古新聞の記事が きっかけだったと、ワシントン・ポスト紙に説明している。  音楽はグラミー賞を受賞したロック界の大御所、ルー・リード氏が 担当している。リード氏も作詞・作曲にあたり、チャン氏の著書 『レイプ・オブ・南京』を読んだとされる。  日本では信憑性を否定されている『レイプ・オブ・南京』が、いまだに 米国で影響力を持っていることに、愕然とする思いだ。   ■呆れるほかなし!外務省と文科省の対応   『レイプ・オブ・南京』には「第二次大戦の忘れられたホロコースト」という 副題がついている。98年にはペーパーバック版も出版され、ハードカバー版と 合わせ、発売は50万部を超えた。  その抜粋が初めて日本に紹介されたのは、ニューズウイーク誌日本版 (平成9年12月10日号)によってだった。「南京大虐殺 60年後の真実」 という見出しだったが、およそ「真実」とはかけ離れた裏付けのない話で 埋まっていた。 「赤ん坊を銃剣でくし刺しにし、生きたまま煮えたぎる湯のなかに 放り込んだ日本兵の行状を知る者はほとんどいない」 「女性も、2万〜8万人がレイプされた。レイプだけでは飽き足らず、女たち の腹を裂き、乳房を切り落とし、壁にクギづけにした例も少なからずある」 「中国で有数の歴史を誇る古都・蘇州。激しい雨が降る11月19日の朝、 ずきんで顔を隠した日本軍の前衛部隊が蘇州の街に侵入、以後何日にも わたって殺戮や略奪を繰り広げた…35万だった蘇州の人口が、気がつけば 500人を割っていた」  蘇州は「蘇州夜曲」にも歌われた中国の古都だが、日本側と現地の 自治委員会との協定によって戦禍はほとんどなく、戦時中も多くの日本人が 名所や古美術品を見学に訪れたといわれる。「日本軍がずきんで顔を隠した」 という話も聞かない。 『レイプ・オブ・南京』は南京での虐殺数として、中国側が主張する「30万」 以外に、「26万」「43万」などの数字を挙げている。例えば、26万の主な 根拠は、当時の南京での遺体埋葬記録だ。「崇善堂」が11万2266体、 「紅卍字会」が4万3071体を処理したなどとしているが、いずれも東京裁判で 出されたものだ。東京裁判の判決はこれらの数字をもとに、「南京虐殺20万」 と認定したが、崇善堂が出してきた数字が極めて疑わしいことは後に、 昭和史研究家、阿羅健一氏の調査で判明している。  チャン氏は「日本の歴史教科書は南京虐殺を全く無視するか、日本軍の 行動を都合のよいように解釈している」とも書いている。認識不足も甚だしい。 日本の多くの教科書には、中国が主張する「南京虐殺30万人」説、 東京裁判認定の「20万人」説や、それに近い誇大な数字が根拠なしに書かれ、 文部科学省の検定をパスしている。 『レイプ・オブ・南京』には、旧日本軍による残虐行為の証拠とされる写真が 20枚以上、掲載されている。そのほとんどが根拠のない写真であることが 判明している。  例えば、「連行される慰安婦たち」という趣旨の説明が付けられた写真は、 実は、戦前の日本で発行された写真週刊誌「アサヒグラフ」(朝日新聞社発行) の昭和12年11月10日号に掲載された、日本兵に守られながら帰途につく 中国の農村女性を写した写真だった。  全体が「ウソで塗り固められた偽書」と言っても過言ではない。  これに対し、日本の外務省は十分な反論を行っていない。 『レイプ・オブ・南京』の発行から1年後の98年12月、当時の斉藤邦彦 駐米大使は米PBS(公共放送)テレビに出演し、チャン氏と対決したが、 72(昭和47)年の日中共同声明、95(平成7)年の村山首相談話などに触れ、 「日本政府は繰り返し謝罪してきている。教科書も20冊以上のものを 調べたが、すべてこの事件に言及している」と述べるにとどまった。  現在も、外務省のホームページでは、「『南京大虐殺』に対して、 日本政府はどのように考えていますか」との問いに、こう答えている。 「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、多くの非戦闘員の 殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています」 「しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府として どれが正しい数かを認定することは困難であると考えています」  そして、「日本は、過去の一時期、植民地支配と侵略により、多くの国々、 とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことを率直に 認識し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、戦争を 2度と繰り返さず、平和国家としての道を歩んでいく決意です」と村山談話 を強調している。  間違ってはいないが、あまりにも腰が引けた対応である。  昨春、文科省で高校教科書の検定結果が発表された。検定合格した 歴史教科書19冊のうち4冊が南京事件の犠牲者数について、中国政府の主張する 「30万人」や東京裁判認定の「20万人」という誇大な数字を載せていた。 その中で、三省堂の世界史Aは検定前の白表紙本で「20万人以上とする説が 有力」としていたが、「諸説を配慮するように」との検定意見を付され、 「さまざまな説があるが、そのなかでは20万人以上とする説が有力」と 書き換えて合格した。  その理由について、文科省の教科書課長は「日本や東アジアの近現代史を 専門とする学者の中で、20万人以上とする説をとる人が相当多い」として、 洞富雄・元早大教授(平成12年死去)▽藤原彰・一橋大名誉教授(同15年死去) ▽笠原十九司・都留文科大教授▽吉田裕・一橋大教授 ▽江口圭一・愛知大名誉教授(同15年死去)−の5人を挙げた。  いずれも、中国共産党の主張や東京裁判史観の影響を色濃く受けた 「大虐殺」派でつくる「南京事件調査研究会」メンバーの学者である。 あまりにも偏った人選ではないか。外務省とともに、日本の歴史問題を 担う文科省がこのような認識では、日本国民として心細い限りである。  昭和12年末、日本軍は上海派遣軍と第十軍の二手に分かれ、松井石根大将 の指揮の下、総勢10万を超える兵力で南京に進撃した。海軍も国民党軍の 退路を断つため揚子江を上って南京に接近し、「分進合撃」と呼ばれる 典型的な包囲作戦を展開した。これに対し、中国側は蒋介石から南京防衛軍の 総司令官に任じられた唐生智将軍が防衛戦を指揮したが、日本軍の降伏勧告に 応じず、南京陥落の直前、南京をオープン・シティーにしないまま脱出した。 これが市民を戦闘に巻き込むことになった最大の要因といわれる。 ■「偕行社」の調査も宣伝戦にやられている!?  最も実証的な資料として知られる旧陸軍士官学校OBの親睦団体である 偕行社が発行した『南京戦史』によると、通常の戦闘による中国軍の 死者3万人、日本軍に処断された捕虜などの総数1万6000人、一般市民の 死者1万5000余人とされる。  処断は、敗残兵に対する攻撃、市民の中に紛れ込んだ中国兵の掃討、 捕虜暴動の鎮圧などを指している。一般市民の死者は、当時の南京市の 社会学者、スマイス博士(金陵大学教授)の調査結果に基づいたものだ。  日本は戦闘では完璧な勝利を収めたが、宣伝戦では中国に完敗していた。 それが分かってきたのは最近のことである。  最初に、このことに着目したのは故鈴木明氏だった。鈴木氏は、朝日が 「中国の旅」で蒸し返した「百人斬り」に疑問を投げかけ『「南京大虐殺」 のまぼろし』(文藝春秋)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した 作家として知られる。  鈴木氏はその後の調査で、「南京大虐殺」の発信源とされる英文の著書 『戦争とは何か−中国における日本軍の暴行』(1938年)を書いた 英マンチェスター・ガーディアン紙の中国特派員、ティンパーリー記者が 「田伯烈」という中国名で中国社会科学出版社から出された 『近代来華外国人名辞典』(1981年)に載っていることを突き止めた。 そこには、「盧溝橋事変以後、国民党政府は彼を英米に派遣して宣伝工作に 当たらせ、中央宣伝部の顧問に任命した」と書かれていた。  さらに、北村稔・立命館大教授(中国近現代史)は台湾で刊行された 書物の中に、次の記述を見つけた。 「日本軍の南京大虐殺の悪行が世界を震撼させたとき、国際宣伝処は直ちに 当時南京にいた英国のマンチェスター・ガーディアンの記者のティンパーリー (田伯烈)とアメリカの教授のスマイス(史邁士)に宣伝刊行物の 『日軍暴行紀実』と『南京戦禍写真』を書いてもらい、この両書は一躍有名 になったという」(『中国国民党新聞政策之研究』、1996年) 「我々は手始めに、金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由で スマイスに依頼して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として2冊の本を書いて もらい、印刷して発行することを決定した…2つの書物は売れ行きのよい 書物となり宣伝の目的を達した」(南京戦当時の中国国民党国際宣伝処長、 曾虚白の『自伝』、1988年)  ティンパーリー記者もスマイス博士も、単なる「第三者」ではなかった のである。  また、東中野修道・亜細亜大教授は台湾の国民党党史館で、南京陥落直後 から3年間の中国国民党の宣伝工作を記録した『中央宣伝部国際宣伝処工作 概要』(1941年)を発掘した。検証の結果、中央宣伝部は南京陥落前に 漢口に事務所を置き、37(昭和12)年12月1日から38年10月24日まで外国人を 対象にした記者会見を約300回開いたが、@「南京大虐殺」は報告されていない A『戦争とは何か』に記載されている4万人不法殺害の報告が、同時に 出版された漢訳版『外人目撃中の日軍暴行』では削除されている−などの 疑問点が浮かび上がった。  中国国民党の情報・宣伝戦の巧みさは、今日の共産党政権にも受け継がれ ている。これに対し、日本は当時も今も、情報・宣伝戦で中国に大きく 遅れをとっている。  現在、日本では南京事件をめぐり、「大虐殺派」「中間派」「まぼろし派」 の3つのグループに分かれ、論争が展開されている。 「大虐殺派」には、文科省が゛認知″した5人のほか、高崎隆治、井上久士、 姫田光義氏らがいる。虐殺数を「10万〜20万」としている。その「大虐殺派」 でさえ、中国の「30万人」説を支持する学者は一人もおらず、 アイリス・チャン氏の『レイプ・オブ・南京』にも総じて否定的だ。 「中間派」は、虐殺数について「20万、30万人はあり得ないが、ゼロでもない。 一定程度の虐殺はあった」とするグループだ。「4万人」(秦郁彦氏)、 「2〜3万人」(元防衛庁防衛研究所戦史部の原剛氏)、「1〜2万人」 (南京事件研究家の故板倉由明氏)、「1万人前後」(田辺敏雄氏)、 「数千人」(中村粲氏、戦史研究家の畝本正己氏)などに分かれる。 「まぼろし派」は、「虐殺はほとんどなかった」とするグループだ。 鈴木明氏の大宅賞受賞作「『南京大虐殺』のまぼろし」から、この名が ついた。阿羅健一、渡部昇一、故田中正明氏らがこのグループに属する。  学問の自由が許されていない中国では、このような論争すらあり得ない。 日本では、偕行社の『南京戦史』で中国側の軍民合わせた死者数が10万に 満たないことが明らかになって以降、「大虐殺派」の主張は急速に説得力を 失った。その後、北村、東中野教授らの実証的な研究が進むに従い、 虐殺数は限りなく「ゼロ」に近づいているように思われる。  外務省や文科省は、こうした日本の研究状況をできるだけ正確に把握し、 海外に発信すべきである。そうしないと、荒唐無稽な「百人斬り」や 「レイプ・オブ・南京」が真実として国際社会に定着し、日本人は世界で 最も残酷で好色な民族として、われわれの子や孫たちが侮られることになろう。  
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産経新聞論説委員●いしかわ・みずほ 石川 水穂   略歴  石川水穂氏 昭和22年(1947年)三重県生まれ。  東京大学法学部を卒業後、産経新聞社に入社。  前橋支局、社会部、特集部などを経て特別記者兼論説委員。  主として教育問題に携わり、歴史教科書問題や慰安婦問題、  大学改革などのテーマに取り組む。  共著に『大学を問う』(新潮社)、『教育再興』(扶桑社)など。 ←「正論」購入を希望される方はこちら(送料無料) =================================================================== このコラムは、毎週水曜日に更新予定です。 ===================================================================

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